努力という考え方に対して
[努力不足]という言葉について
この言葉、発達障害当事者は色んなシチュエーションで何度も言われて来ているのではないかと思います。
私自身の経験でも、色んな発達障害関連の書籍やブログを見ても、当たり前の事ができない事を努力不足だと言われるケースは多々見られました。
もちろん、これは発達障害者だけに限った話ではないですが。
逆に、努力で大きな事を成した。努力の結果できなかった事ができるようになったといった話も良く言われると思います。
努力をどう定量化する?
先日、全豪オープンテニスで大阪なおみ選手が優勝し、アジア人初のシングルス世界ランキング1位になりました。
では、大阪選手は努力をしたのでしょうか。
答えは「当然」です。
では、テニスプレーヤーで1番努力をしたのかと言うとどうでしょう。
努力の質などを考えたり、結果から逆算すると1番努力したと言えるかもしれません。
ですが、単純にテニスの練習時間で考えれば、大阪選手より努力している選手は確実にいるはずです。
年齢的にも、21歳の選手と28歳の選手で比べれば、テニスを始めた年が同じだとしたら7年分多く練習している訳ですし。
では、単純に苦しい思いをした事を努力の基準と考えると、それも1位かと言われると難しいところです。
全豪オープンテニス決勝の相手、クビトバ選手は2016年に強盗に襲われ、利き腕に大きな怪我を負いました。
一時は腕を切断するかもと言われていた程だったそうです。そこからの復帰となると、想像を絶する苦労だったのではないでしょうか。
このように、努力とはその計り方によって多寡が変わってくるものだと思います。
努力が足りない、なのに努力で補う事はできる?
足りない才能を努力で補うと言う事は色んなシーンであると思います。
ですが、努力が足りないと言われた時、それを更なる努力で補う事はできるでしょうか。
1日10時間勉強しても東大に入れない予備校生に20時間勉強させても成績が上がるとは到底思えません。
むしろ、10時間の勉強内容を見直し、5時間は今までの成績を維持する為に使い、残り5時間で新しい取り組みをする方が余程可能性があると思います。
また、人間のモチベーションは自分で勝手に高められるものではありません。様々な方法(小さい報酬を重ねて脳の報酬系を刺激する。習慣化によって努力のハードルを下げる等)を取らなければ、努力を積み重ねる事はできないでしょう。
長くなったので次回に続きます
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