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#非二元
コースを学んでいくには、果たして聖霊やイエスが必要なのだろうか?
コースの独特な言い回し表現について真理に至るために、神との合一に至るために、そのためのスピリチュアリティ(霊性の道)をいわゆる一元論のスピリチュアリティあるいは非二元のスピリチュアリティと呼んでいます。
そして、それらは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)以外にもたくさん存在します。
そういう意味で、コースは、たくさんある一元論あるいは非二元のスピリチュアリティの中の一つの霊性の道に
自我か?聖霊か?その選択について私たちが理解しておかなければならない重要なこと
あくまでも神話であることを忘れないことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践において私たちは、
自我か?聖霊か?
その選択の訓練をしていくことが求められているわけですが、
ここで私たちが理解しておかなければならない重要なことがあるといえます。
つまり、私たちがわきまえておかなければならないのは、自我(幻想)を実在化させてしまっているからこそ、その訂正である「聖霊」という概念があり
「百匹目の猿現象」について
神の教師は一人で充分です巷のスピリチュアルやニューエイジの考え方において、「百匹目の猿現象」的な考え方があります。
それは、「ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、接触のない同類の仲間にも伝播する」という超常的な考え方です。
特に、「アセンション」や「目覚め」といったものをこの地上における意識進化として捉えているスピリチュアリストたちにとっては、その考え方が大いに信じられていると言うこと
ゲイリー・レナードの著書について
ゲイリー・レナード氏についてコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)に出会うきっかけというものは、人それぞれにあると思います。
その中でも、ゲイリー・レナード氏の著書(『神の使者』など)をきっかけにコースに出会ったという方々はたくさんおられるといえるでしょう。
私も、その一人です。
彼の著書がコースに出会うきっかけとなった人は、国内、そして海外においても、そうだといえます。
コース(『ア
わかっちゃった!?とはいえ、それがゴールではありません
「わかっちゃった」ということが目覚めではない非二元(ノンデュアリティ)や悟りについて語るとき、「わかっちゃった」とか「わかちゃった人」という表現でなされています。
「わかっちゃった」とは、「自分たちは本当はすでにわが家にいる」ということを深いレベルで一瞬だけ思い出したということなのでしょう。
いわゆる、私たちが知覚しているこの世界は「わが家(天国)から離れた」という幻想(夢)だったとわかった、
興味がある、関心がある、というだけではコースを学んでいくことは不可能です
本気でないなら、わざわざ難解なコースを学ぶ必要がない近頃は、ノンデュアリストの方々もコース(奇跡のコース/奇跡講座)について語りはじめたり、興味を持ちはじめている傾向が出てきているようです。
そういうこともあり、コースに関心を持ち始める方も増えてきているといえるでしょう。
ただ、興味がある、関心がある、というレベルでは、コースを学んでいくこと、さらには理解していくことは不可能だといえましょう
これまで学んできた非二元や悟りの知識をいったん脇におくつもりで
コースは他の非二元のスピリチュアリティと共通するところとそうでないところがあるなぜコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいるのか?
というなら、コースの教えを学んで、その実践を通してこの世界の夢から目覚めていきたいと思っているからこそ、私たちはコースを学んでいるわけです。
だとしたなら、その教え(形而上学)を徹底的に理解していくことは当然のことです。
ときに、コースの形而上学もよ