- 運営しているクリエイター
#非二元
「否定から始めなさい」と語る J. クリシュナムルティの言葉
否定からはじめることが確かさへ至る方法であるJ. クリシュナムルティという聖者を知っておられるでしょうか?
彼は、インド生まれの哲学者・ 宗教家、そして、ヨーギー(非二元の実践者)です。
J. クリシュナムルティについて語るならば、私が20代だった頃に彼の本をいくらか読んだことがある程度で、その当時はその内容をほとんど理解していなかったといえます。
ただ、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡
「無垢なる顔を装う者」と「奇跡を行う者(ミラクルワーカー)」との違いを見分ける
無垢ではない者が無垢なる顔を装おうとする私たちはつい、無垢なる顔を装おうとします。
つまり、自分は善良であろうとするわけです。
そう、私たちは、「清くあろう、正しくあろう、善良であろう」と思っていて、それが良きことだと思っています。
特に、スピリチュアルを探究する者であったり、神聖さを求めている探究者であったりすると、その想いがなおさら強いといえましょう。
ただし、コース学習者の私たちは
自と他の分離のない生き方
”together or not at all”という一元的な思考システムを修得するノンデュアリティのスピリチュアリティにおいて、「私はいない」という言い方をします。
「私はいない」とは、別の言い方をするなら、「すべてが自分である」ということと同じ意味だということを知っておくと良いでしょう。
つまりは、個別性、特別性がないということです。
というのも、私たちはそもそもがワンネス(一体性/全一
「百匹目の猿現象」について
神の教師は一人で充分です巷のスピリチュアルやニューエイジの考え方において、「百匹目の猿現象」的な考え方があります。
それは、「ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、接触のない同類の仲間にも伝播する」という超常的な考え方です。
特に、「アセンション」や「目覚め」といったものをこの地上における意識進化として捉えているスピリチュアリストたちにとっては、その考え方が大いに信じられていると言うこと
湖面に映る虚像の幻影に惑わされて時空の海をさまよう私たち
「無」についてこの世界を現実だと信じているかぎりは、私たちは本当の幸せ、本当の平安にはなれないと、非二元の真理は教えてくれています。
というのも、この世界のすべてが幻想でしかないからです。
そもそもこの世界が幻想であるなら、つまり、無、であるなら、どこに幸せがあるというのでしょう。
たしかに、この世界に一時的な幸せといったものはあるかもしれませんが、それは儚く消えていくものです。
非二元(
二元性の思考体系に洗脳されていることに無自覚な私たち
「脱・洗脳」のスピリチュアリティ「コース(奇跡のコース/奇跡講座)を学ぶ」という言い方をしますが、何を学ぶのか?というなら、実際は、これまで学んできたものから自由になっていく方法を学ぶのだと言うことができます。
つまり、コースを学ぶことは、何かを付け足していくような学びではないということです。
むしろ、付け足していくような学びとは真逆の道であり、学んできたものを undoing(取り消し)、u