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A Course in Miracles について

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『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
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2022年2月の記事一覧

自分は病んでいると自覚するなら、癒しを望まないわけがありません

自分は病んでいると自覚するなら、癒しを望まないわけがありません

私たちはみんな病んでいるコース(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?

というなら、それはまさに「心理学」であると言うことができます。

もちろん、コースは一元論(非二元)のスピリチュアリティであるわけですが、そのもっとも特徴的なところが「心理学」と融合しているところだといえるでしょう。

それというのも、そもそもコースは心理学者であるヘレン・シャックマンによってチャネリングされて書き

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二元性(デュアリティ)と非二元(ノンデュアリティ)

二元性(デュアリティ)と非二元(ノンデュアリティ)

自分と自分以外というものの見方ふだんの私たちは、この世界を認識するとき、自分と自分以外、というふに知覚しています。

自分がいて、自分以外の他の存在がいる、世界がある、というふうにです。

実際のところ、自分は存在しているし、その自分を世界が取り囲んでいるように見えているのが、私たちの通常の知覚の仕方だといえます。

そう、そこに見えているのが、いわゆる「二元性の世界」というものです。

そして、

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それは悟りの完成への道であり、解脱への道であるということ

それは悟りの完成への道であり、解脱への道であるということ

「悟り」と「悟りの状態」のちがい「悟り」というとき、「悟り」と「悟りの状態」を分けて捉える必要があるかと思います。

本来は、「悟り」というものがあるだけです。

そこに、悟った者、悟っていない者といったものもありません。

「悟り」は、この世界に属するものではありません。

そして、その「悟り」を一瞥することを一瞥体験、見性体験と呼んでいたりします。

そのような人たちは、実際は、「悟り」を一瞬

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ブッダの言葉をコースの言葉に置き換えるなら?

ブッダの言葉をコースの言葉に置き換えるなら?

叡智によって理解するとき、苦しみはなくなるブッダ(仏陀)が語ったとされる仏教の経典には、次のような言葉が残されています。

”叡智によって理解したならば”という言葉をコース(奇跡のコース/奇跡講座)の言葉で言い換えるならば、「イエス(聖霊)と共に見るならば」と言い換えることができるでしょう。

聖霊(イエス)とは、まさに、真理(神)の記憶を覚えている私たちの心の中の正気(正しい心)の部分のことを云

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スピリチュアルの旅の終わりへと向かわせるスピリチュアリティ

スピリチュアルの旅の終わりへと向かわせるスピリチュアリティ

コースはスピリチュアルに属するものではないコース(奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを深く理解するようになっていくと、「これは心理学なのだ」という認識が強くなっていくといえます。

それが何を意味するのか?

というならば、「コースはスピリチュアルのジャンルに属するものではない」と認識されてくるということです。

これは、スピリチュアルではなく、まさに心理学であると。

それと同時に、他のス

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心のしくみ、この世のしくみを完全に熟知していくためのスピリチュアリティ

心のしくみ、この世のしくみを完全に熟知していくためのスピリチュアリティ

コース(奇跡のコース/奇跡講座)は心理学ですコース(奇跡のコース/奇跡講座)とはいったいどういうものなのか?

というなら、それはまさに「心理学」であると言うことができます。

コースは、一元論のスピリチュアリティであるとともに(フロイトの)心理学と融合したものであるということを知っておくとよいでしょう。

そう、コースを従来のスピリチュアルとして捉えずに、心理学として捉えて学んでいくならば、コー

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ノンデュアリティといっても、「非二元」と「純粋非二元」に分類される

ノンデュアリティといっても、「非二元」と「純粋非二元」に分類される


ノンデュアリストも二種類に分かれる非二元とか、悟りとか、目覚めとか、真理とか、そういったものについて探究していくスピリチュアリティ(霊性の道)を、ノンデュアリティ(非二元)、もしくは、一元論のスピリチュアリティと呼んでいます。

そして、そういった探究者たちのことを、あるいは、ノンデュアリティについて語るスピリチュアリストのことを、「ノンデュアリスト」と呼んだりします。

そういう意味でいえば、

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