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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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2021年10月の記事一覧

私たちが本当に恐れているもの

私たちが本当に恐れているもの


罪の感覚コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、「罪」という言葉(概念)が出てきます。

キリスト教用語である「罪」という概念は、日本人である私たちにとってはなかなか分かりづらいし、あまりピンとこないという方が多いかもしれません。

でも、

「自分は何かいけないことをしてしまった、、、自分は何かマズイことをしてしまった、、、自分は何か至らない点があるんじゃないか、、、いつか

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幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない

幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない


いまここの平安に留まろうとする実践について「いまここの平安に留まること」
「いま良い気持ちでいること」
「リラックスすること」

それが、ノンデュアリティのスピリチュアリストたちが提唱していることだったりするわけです。

ときに、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学習者たちもそのような実践をしていたりします。

要は、心地よい気分になろうと、平安な気持ちになろうとするわけですが、コース

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夢の中で生きたいか、それとも、夢から目覚めたいか

夢の中で生きたいか、それとも、夢から目覚めたいか


苦しみの世界から脱却していくためにこの世界にはまざまな人生の選択肢があるかのようにみえます。

人それぞれの生き方があって、人それぞれに人生の目的や使命があるかのようにみえます。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点からみるならば、そのように知覚していること自体が、自我を教師としている状態だということです。

自我の教師と共にこの世界を見るならば、誰もがそれぞれに多種多様な人生を生

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たとえ絶望、苦しみ、孤独の中にいたとしても、私たちは導かれている

たとえ絶望、苦しみ、孤独の中にいたとしても、私たちは導かれている


誰もの内に等しくガイドは与えられているこの世界にいる誰もが幸せ、喜び、平安を求めています。

それは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいようがいまいが、スピリチュアルな探究をしている者であろうがそうでなかろうが、幸せ、喜び、平安を求めているのは誰もが同じです。

というのも、なぜなら、「もともと私たちは神と一体(ワンネス)の平安と幸せの中にいた」その記憶を誰もが微かながらにも覚

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あなたは自分が正しいことと幸福であることのどちらを好むだろうか

あなたは自分が正しいことと幸福であることのどちらを好むだろうか


私たちは自分の見ている世界と闘っている自分が見ている外側の世界に対して「これでいい、OK」とは見てないなら、つまり、不平不満を抱いているとしたなら、

それは、闘っているということです。

なんでこうなのだ、、、そうじゃない、、、あぁなるべきだ、、、こうでなければならない、、、あぁでなければならない、、、というふに、外側の世界を変えようし続けているということがそういうことです。

では、私たちは

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問題は認識しないかぎり訂正はなされない

問題は認識しないかぎり訂正はなされない


自我を咎めずに見る私たちはコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)で何を学んでいるのか?

というならば、

自我(の力動論)について学んでいる

と言うことができます。

というのも、私たちは自我についての理解が深まっていくにつれて、自我がしていることがはっきりと認識できるようになっていくからです。

実践においては、私たちはその自我を認識して、その自我を咎めずに見るという訓練をしていくわけ

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幻想と真理の境界線

幻想と真理の境界線


選択肢は二つしかない「人生の目的」と言うとき、一見、この世界には人生の目的がいくつもあるかように見えます。

その選択肢はたくさんあるかように見えるわけです。

ですが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、そのどれもが無益で無意味な旅で終わらせるものでしかないと教えてくれています。

さらに、コースは、それらの目的とはまったく別の目的でこの人生を生きる(見る)ことができるのだとも教え

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すべては起きることが起きているだけなら、私たちには何もすることがないのか?

すべては起きることが起きているだけなら、私たちには何もすることがないのか?


自分には選択の力がある悟り系やノンデュアリティのスピリチュアリティでは、「ここ(この世界)で経験していることは起きることが起きているだけ」という言い方をします。

そのことについては、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えでも、「私たちはすでに終わった過去を見ているだけ」とか「すでにシナリオは書かれている」といった表現がされています。

そこで、誰もが疑問を抱くのが、次の質問だといえま

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苦痛、苦しみがあるところに、その同じ場所に、真の救いがある

苦痛、苦しみがあるところに、その同じ場所に、真の救いがある


真の救いは何処に私たちにとっての真の救いとは、一体どこにあるのでしょう?

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、以下のように述べられています。

十字架刑の中に救いがあるということの意味は、つまり、苦痛や苦しみがあるところにこそ、真の解放の鍵が隠されているのだということです。

にもかかわらず、むしろ、そこから逃れようとしているのが、私たちです。

それが何を意味しているのか?という

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