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私小説

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しあわせ

しあわせ

近所の川辺に設置された正方形のベンチに腰をかける。辺りの桜は完全に散っていて、新しく生い茂った緑の葉っぱが生ぬるい夜風でザワザワと揺れる。ここに来る途中の近くのローソンで買ったからあげクンを一度ベンチに置き、仕事終わりの彼と『乾杯』と缶チューハイのプルタブを開けて飲み始めた。私はチーズ味、彼はレモン味のからあげクンを食べて、からあげクンってたまに食べると美味しいよねとか、そっちの味も食べたいから半

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ミルクと七草

ミルクと七草

楽しい時間はあっという間というありきたりな言葉を使ってしまうくらいに心底楽しい飲み会だった。この日空いてる?とロック画面に表示されるメッセージを見た瞬間から楽しみを募らせ、誰が参加する飲み会なのかも確認せずに参加しますと即答し当日を迎えた。仕事終わりに指定された馴染みの居酒屋に到着すると見覚えのあるマスターに奥の席だよと心地のよい雑な案内をされ、言われた通り奥に進むとカウンターに久しい顔を見つけ頬

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生命体

生命体

「あの一番光ってる星、なんか揺れてない?」
寒空の下ハンモックに寝転びながら、隣に並ぶ彼が呟く。それは私がずっと一点に見つめていた星だった。左右に揺れるそれは、一点に留まり輝き続ける星達よりも一段と強い輝きを放っている。広い空にたくさんの星が存在するなかで、私達二人が同じものを見つけ出してしまう程に、力強く、チカチカと揺れていた。
 「私もずっと気になって見てたんだけど、あれってもしかしてUFOじ

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隠し味

隠し味

彼を想って、ふとした瞬間泣きそうになる。ひんやりと冷えきった浴室で、ひねる蛇口と共に噴射される水に体を打たれながら、水の温度がだんだんと温かくなり私の体を包むように、私の心も彼への気持ちで満たされていく。この狭くて暗い浴室で、彼のことを考える。

入浴をする時、私は浴室の電気を付けない。脱衣場からこぼれた灯りの中で、考えごとをしながらじっくりと入浴する時間が好きだ。今日だって何があったわけでもない

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ゆるゆる

ゆるゆる

透き通った水を両手のひらですくい上げるような日常を、大切にしたいと思う瞬間がある。日が昇る上空でゴーーっとなる飛行機の音。どこからか飛んできたタンポポの綿毛が砂利道に落ちる。あの綿毛は石が敷き詰まったその地で、きっと周りの石をかき分けて根を張り雑草に紛れて花を咲かす。部屋でグルグルと回る洗濯機の音に重なる、こぽこぽと沸騰する湯沸かし器の音。赤いソファにこぼれる窓から差し込む黄色の光。カチッと湯が沸

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雨の日

雨の日

目を覚ますと窓の外はどんよりと暗く、灰色に包まれた景色を見つめた後そっと目を閉じた。外からはザアザアと雨の降る音が聞こえてくる。都会に住み始めてから自然と触れ合う機会がめっきりと減った私は、こういう雨の日に唯一自然を体感することができる。田舎に住んでいた頃には当たり前のように歩いていた田んぼ道も、大きなビルばかりが立ち並ぶ東京では見かけることがない。

ふと学生時代の記憶が蘇る。湿気でじめじめとし

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月の腕

月の腕

腕をもらった。知らないおじいさんが、満月の夜、私に渡すことがさも当然であるかのように。残業で帰りが遅くなった夜道を歩いていると突然、はい、と渡してきた。
誰の腕?とか、なぜ私に?とか、聞くのも面倒臭くて、とりあえずもらってみた。

家に帰って腕を眺めた。その腕は肘のあたりで切断されており、切断部分はガムテープでぐるぐる巻きに止められていた。よく見ると、手のひらはゴツゴツしている。目立ったシミやシワ

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シーラカンス

シーラカンス

ひどく暑い。蒸しかえるような暑さで目を覚まし、もう朝かと窓に目をやると辺りはひっそりとした暗闇に包まれていた。部屋の時計を確認すると時刻は3:04。中途半端な時間に目を覚ましてしまったと、ベッドの横に置かれたペットボトルを手にとり、ぬるくなった水で喉を潤す。額にはじんわりと汗が滲んでいた。
残暑と呼ばれるこの暑さは一体いつまで続くのだろうか。寝相で乱れたキャミソールの紐を肩にかけ直し立ち上がると、

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終わりがくる愛情

終わりがくる愛情

私の感情をコントロールできるのは私だけであるべきだし、行動を決断するのも私だけの特権である。それなのに、それをいとも簡単に振り回せてしまう彼の存在に憤りを感じる。

深夜。自宅。一人暮らし用のワンルームに置かれたソファに座る私。目の前のテーブルに置かれた携帯が光る。画面を見ると、彼からのメッセージだった。思わず心拍数が上がる。緊張で震える指を抑え、慎重に画面を覗く。
「久しぶり。何してるのかな。」

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