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つながるためになぜ「食」なのか

私は「食を介した多世代コミュニティ構築」というテーマで、修士論文を書こうと思っている。
しかし最近いろんな人と話していて、「なんで食なの?」と聞かれたとき、意外と答えられないことに気がついた。

」が「つながる」ために良い理由は、一つではなく複数あって、なかなか整理をすることが難しい。

そこで今日は、“つながるためになぜ「食」なのか”  について、今一度整理してみたい。

1. リサーチクエスチョン

まず私の研究の大きな目的であるリサーチクエスチョンは、「どうすれば多世代がつながれるのか」という how である。
これをさらに細かくすると、
なぜ多世代なのか
なぜつながることが必要なのか
という why も見えてくる。が、話が交錯するのでそれはまだ別の機会に考えることにする。

「どうすれば多世代がつながれるのか」を考えるといっても、多世代がつながるための場はいろいろと考えられるので、「どんな場面でのつながりを想定するのか」、場面をある程度絞る必要がある。

そこで私の研究では、つながるためのツールとして「食」を用いて、食のコミュニケーションを分析し、「どうすれば多世代がつながれるのか」を明らかにしていく。

2. 問題

2.1 高齢者の社会的孤立

日本の総人口に占める65歳以上人口の割合である高齢化率は2021年時点で28.9%、65歳以上の単独世帯の割合は2020年時点で22.1%であり、この割合は今後も増加することが想定されている(内閣府:令和4年版高齢社会白書)。
このように高齢者人口の増加 + 高齢者の単独世帯の増加が進行することによって生じる問題には、高齢者の社会的孤立がある。

そして、これと併発する問題に、一人で食事をとる「孤食」がある。
全世代の一日のすべての食事を一人で食べる孤食の頻度は、2011年の10.2 %から2017年には15.3 %に増加している(2017年農林水産省「食育に関する意識調査」)。 

2.2 高齢者の孤食が生む負の連鎖

孤食の問題点について、特に高齢者に関しては、一人で食事をとることによって食品摂取多様性が低下し、低栄養になること、摂取カロリーが低くなること、欠食が増加すること、低体重になることなどがわかっている。

この孤食による栄養状態の悪化が、嚥下機能・認知機能・高齢期の日常生活機能(Activities of Daily Livings: ADL)などの身体機能の低下と関連することがわかっている。 

さらにこの身体機能の低下が、社会参加の頻度や意欲の低下につながることが考えられる。
高齢者が地域活動を行うために必要な条件としては「自分自身が健康であること」をあげる割合が最も高く、別の調査においても、社会活動に参加したことのない人や、以前は参加していたが現在は参加していない人が現在参加していない理由では、「健康上の理由,体力に自信がない」とする割合が最も高かった(いずれも内閣府の調査 2013; 2020)。 
このことから、高齢者の身体機能の状態が、社会参加と関連することが考えられる。

そして社会のコミュニティに参加しなくなることによって、運動する機会や人と会話する機会が減少し、最悪の場合要介護状態になったり、寝たきりになることが考えられる。

以上のように、高齢者の社会的孤立と孤食の問題が、負の連鎖を生むことが考えられることから、これらの問題を解決することは喫緊の課題である。

3. つながるためになぜ「食」なのか

3.1 食が人と人との関係性を深める

問題ばかりを書いているとどうしても話が暗くなってしまうが、ここから本題である「食」と「つながり」の関係について書いていきたい。

食を共にすることで人は共同意識を育む。雰囲気が打ち解け、活気を帯び、自然と会話が弾む。

池上甲一・岩崎正弥・原山浩介・藤原辰史 (2008) 食の共同体―動員から連帯へ ナカニシヤ出版.

食が  “つながりをつくる”  ということは、言い換えると、食が  “人と人との関係性を深める”  ということである。

例えば、進学したり入社したり、なにか新しいコミュニティに参加する際に開かれる「懇親会」について考えてみてほしい。
懇親会の開催場所が居酒屋であれレストランであれ、そこではまだ「慣れ親しんでいる」とは言えない関係性にある人たちと、飲食と共にしながら話を聞いたり、時には質問を振られて自分のことを話したりしながら、何時間かの楽しい食の場を介して、「慣れ親しんでいない」関係性を、少しでもより「慣れ親しんだ」関係性に近づけることが、実は目的となっているはずである。

食が「人と人との関係性を深める」ために用いられているケースは、なにも懇親会に限ったことではない。
例えば合コンもそう。まあ懇親会と合コンで少し異なるのは、前者が学校や会社というコミュニティを同じくする人と開催されるのに対して、後者はまったくの初対面同士で開催されるケースも想定される。その場合、より短時間で相手を知り、関係性を深めるといった即時性が求められるため、合コンではゲームをしてみたり、席替えが行われたりする。

食の場でのゲームや席替えは、きっと合コン以外の場ではあまり行われないことから、それらは合コンがもつ「文化」であるともいえるだろう。

他にもお見合い、婚約する際の両家顔合わせ、友だちとのランチ、毎日食卓を共にする家族との共食に至るまで、例をあげればキリがないが、食が「人と人との関係性を深める」ために一役かってくれていることは、普段の何気ない日常で行われている共食から考えると理解がしやすい。

3.2 食事中は沈黙が気になりにくい

食の場には、コミュニケーションがとりやすい環境や状況を作り出す機能があることも考えられる。

食を介したインタラクション(とりわけ、分配)が初対面の相手に話しかける、既存の会話の輪に入り込むためのきっかけを作る、会話が途切れて生じる「間」を埋めたりする

小倉加奈代, 田中唯太, 西本一志(2012)大皿を介した食卓インタラクションの分析-「取り分ける」行為を利用したコミュニケーション活性化の試み 情報処理学会研究報告, 2012-HCI-146(15): 1-8.

摂食行為が会話のタイミングを調整してコミュニケーションを円滑にする

徳永弘子・武川直樹・木村敦(2012).Speakership に着目した共食参与者の戦略的な発話と摂食の行動分析.電子情報通信学会技術研究報告, 112, 13-18.

例えば一対一で話をする場合、沈黙が気になる人は多いだろう。話が途切れて沈黙が一秒、二秒と続いたとき、「やばい、次の話題を探さなきゃ」と頭の中の引き出しを片っ端から探していく。

しかし食事が目の前にある場合、食事が沈黙の気まずさを和らげてくれる。話が途切れたら、食事を口に運べばいい。相手のグラスが空いていたら、「何か飲む?」と一声かければいい。あるいは目の前にあるサラダを取り分けたり、ピザを切り分ければいい。
もし沈黙が続いても、口をもぐもぐさせていれば、相手に「今食べているところなんだな」と認識され、「今は食べているところだから、口を開けなくて話せないのかもしれない」と察知してくれるかもしれない。

このように、単に顔を突き合わせて話をするよりも、食事をしながら話す方が、コミュニケーションで感じられるプレッシャーが少ないことが考えられる。

3.3 食が一つの話題となる

食の二つの付加価値は「調理」と「共同体の構築(共食)」であり、
共同で調理し、それを食べることは、人々の共同意識を高めるもっとも簡単な手段である。
食の共有は、単に効率的に栄養摂取を行うことができるだけでなく、多くの場合、共有した人との関係を深める。たとえ顔を合わせなくても、同じものを食べたり、同じ時間に食べたりすることが共同意識を高め、この一連の行為が、人間関係を少しずつ深める。

池上甲一・岩崎正弥・原山浩介・藤原辰史 (2008) 食の共同体―動員から連帯へ ナカニシヤ出版.

食のコミュニケーションの分析方法は、相互作用を見たいと思っていて、今のところ行動観察と会話分析で行う予定である。
分析するのは①調理中と②食事中の、作って食べる2つの場面を分析する。

・調理中
まず行われるのは、食事を作りながら行う調理中のコミュニケーションである。メニューは事前にこちらから指定するとして、調理中で考えられる工程には、まず「食材を選ぶ」があり、「これ使う?」「サラダにグレープフルーツって美味しそう!」「たしかに!」みたいなコミュニケーションが起きるだろう。

もう一つはやはり「作る」であり、「火加減ってどれくらい?」「このくらいの麺の硬さでいいのかな?」「どうやってその形にしたの?」など、ここで生じるコミュニケーションの可能性は無限大。
でもその話題となるのは、きっと「相手がどこに住んでいるのか」「いくつなのか」「どんな職業に就いているのか」のような踏み込んだものではなく、「酸っぱいのが好き」「よくパンを食べる」など、今まさに行われている行為である食をベースとした話題になるだろう。

では、メニューを何にするのか?
これはとても大事なところだが、今のところ「一緒に作る」という共同作業ができ、そこでのコミュニケーションを通して共感が生まれることが大切だと思うので、一緒に作れるし、食材のバラエティが豊かで作れるバリエーションも多いピザとかがいいかな?と思っている。食べるときもシェアしやすいので。

・食事中
調理での共同を通して、相手との距離感が少し縮まったところで、料理を食べながら行われるのが食事中のコミュニケーションである。
ここでも最初は調理中と同じく、「おいしい」「甘いね」「柔らかい」「さっぱりしてる」などの食をベースとしたコミュニケーションがおそらく展開される。しかしある程度会話が進行すると、「普段料理はする?」「私家庭菜園しててね、野菜を育ててるの」「えーどんな野菜ですか?」みたいな、食なんだけど、ちょっと目の前の料理からは離れた話題になっていくだろう。そして最終的には、食にまったく関連のない話題になることも想定される。

以上のように、食は会話中の一つの話題となりうる。
あまり親しみのない人にいきなり「どこから来たの?」と質問するのは気が引けても、「トマト好き?」のような、食をベースとした浅い質問なら聞きやすい。また答える側も答えやすい。
その理由として考えられるのは、おそらく見知らぬ相手に自分の情報をgiveすることにはなんとなく抵抗感があり、その逆も然りだからだろう。

3.4 共食のメリットは会話と楽しさにある

家族と一緒に食べることの良い点については、「コミュニケーションを図ることができる」「楽しく食べることができる」をあげる割合が高いことから(農林水産省「食育に関する意識調査」(平成29年3月)、共食の大きなメリットは会話楽しさにあるといえる。

また、令和元年度食育白書(農林水産省, 2019)には、「食を通じたコミュニケーションは、食の楽しさを実感させ、人々に精神的な豊かさをもたらす」と記されていることから、食のコミュニケーションは、楽しさといったポジティブ感情を介して精神的な豊かさに関連することが考えられる。 
実際に、共食の質的な側面が精神的健康と関連することがわかっており、その要因には、会話や楽しさのほか、人との積極的な関わり合いなどがあり、食事場面の雰囲気といった環境面も関連することがわかっている。

3.5 歴史的にも食が集団の連帯感を深めてきた

「同じ釜の飯を食った仲」という言葉に表されるように、人間の集団は食をともにする事によって連帯感を深め、集団が強化される。

石毛直道: 食事の文明論, 中公新書. (1982).

ここで急に古代にさかのぼった話になる。
現代は飽食の時代といわれ、「明日食料にありつけるかわからない」ような不安にかられることは、特に先進国ではほとんどないだろう。

一方で、まだ狩猟採集が行われていた時代には、今晩の食事を確保するために狩猟に出たり、採集に出かけたりしていた。その場合、一人だと獲物を見つけられなかったり、見つけても仕留められなかったりして、食料を確保できないリスクもあり、「確実に今日の晩御飯がある」という安心感はない。そしてそのように食事にありつけない日が積み重なれば、最悪の場合栄養失調となり命を落とすような危険性もある。

そこで古代の人々は集団を作ることで、たとえ自分で食料を確保できなくても、人から分けてもらったり、逆に困っている人がいれば自分の食料をシェアすることで命を取り留める仕組みをつくった。
さらに、その集団の連帯感を強固にするために、同じ衣装を着たり、同じペイントを身体に施したり、一緒に歌を歌ったりする、今でいう祭りのようなことも行なったりした。

このように、歴史的にも生活や行動を同じくすることでコミュニティの連帯感は強化されてきた。そしてその起点は「食を分け合う」ことにある。

3.6 食は世代を問わず誰もが意欲的になれる

食行動は人の根源的なニーズを追求する活動。
参加する動機が様々であろうと、対象を「食」とすることで、作る・食べる・片付けるといった作業に従事することができる。

土屋 匠宇三 (2018) 食でつながるコミュニティにおける「食」の可能性 : 石部南学区まちづくり協議会にぎわい広場カトレアのケーススタディー 日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要31, 19-29.

多世代コミュニティを構築することを目的とした場合、「コミュニティ」をつくるのであれば、まず参加が一時的でなく継続的である必要がある。

そしてその構成員が「多世代」である場合、世代にかかわらず高齢者も若者も、誰もが参加したいと思えるような動機付けとなるものが必要である。
極端すぎる例しか思いつかず恐縮だが、例えば「インスタ映えする写真の加工方法」というテーマで人を集めても、高齢者にニーズがあるとは思えない。逆に「脳トレにはクロスワードパズルが有効」というテーマで人を集めては、きっと若者は集まってこない。

つまり「この指とまれ!」と言った時に多世代が集まってくるようなテーマを設定することは、かなり難しい。これが自治体などいろんなところで多世代交流の重要性が叫ばれているものの、それがなかなか社会に広がらない原因である。

そして、「多世代交流」という看板を掲げても人は集まらない。多世代交流を促すためには、まったく違った看板を掲げることで人を集め、結果的に多世代交流が起きるという結果論のような形を理想とするべきだ。こちらのnoteが参考になる。

そこで「」なのである。

食事は、人が365日、毎日三食欠かさず行うものであり、もう生理的に毎日に行わなければならない、人の根源的なニーズを追求する食をテーマとしたコミュニティを構築すれば、活動が習慣化しやすいことも考えられる。

また、「おいしいものを食べたい」という欲求は、世代を問わず誰もが持っているものである。食べるのみならず、「新しいレシピが知りたい」「初めて使う食材を使ってみたい」「普段自炊はしないけど、みんなとならやってみたい」など、世代を問わない、多様なニーズをカバーできるのが「食」であると思う。

3.7 おいしさが高揚感をもたらす

人は食べているだけで気分が上がる。これを言ってしまえば論点がずれてしまうのだが、たとえ一人で食べていたとしても、人は食べているだけで幸せになれるのである。しかし、この食べることで得られる幸福感は一時的なもので、あまり長くは続かない幸福感であるとされている。

この食事時に得られる高揚感を利用して行われているのが、ビジネスシーンでの会食である。歴史的にも、政治的に重大な決定が行われる際には、食事を共にする共食の場が用いられてきた。それが今日にも続いているのである。

3.8 一人ひとりの嗜好の違いから個性が感じられる

食で個性・多様性を感じ、対話を通して違いを受け入れ認め合う。食行動は栄養面に限らず、環境や文化など 様々な要素が複雑に絡み合って形成されるもの。一人ひとりの味や好みの違いから個性や多様性を感じることができる。
言語を用いて自分の思いや感情を表現する。同じ空間を共有し、互いの共通点や相違点に気づきながら相互理解や寛容の徳を身につけていく。

鑓水浩 (2020) 共食と文化のコミュニティ論 晃洋書房.

「好きな食べものは?」という質問は、なぜか自己紹介が行われるような初対面同士が集うシーンでは定番の質問である。
もし「お寿司」と答えれば、「なんのネタ?」「サーモン」「あーカルパッチョとかおいしいよね!」「私はとろサーモンかな」「チーズ乗ってるやつもいいよね」みたいに会話が活性化する。

食べるという行為は誰もが行うものであるために、多様な人がいる場で話題となっても、食は互いの共通項となりやすい。

そして当たり前のことだが、食べ物っていっぱいある。だから一人ひとりに好きな食べ物ってある程度バラつきがあるし、カレーひとつをとっても辛口派と甘口派がいる。そのような食の嗜好性の違いから、互いの個性を感じることができる。
そのため、食を話題としたコミュニケーションは、相互理解を促進することが考えられる。

かなり長くなってしまったが、「つながる」ために「食」が良い理由はこのようにたくさんあり、とても一言では表せない。

また別の機会に、「なぜ多世代なのか」 についても考えてみたい。


参考・引用


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