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多世代交流って簡単に言うけれど...。

そこら中の公共施設、居場所づくり、まちづくり活動の中で嫌なほど出てくるのが「多世代交流」の言葉です。

子どもから若者、子育て世代、会社員、主婦、おじいちゃん、おばあちゃんなどなど、そんな幅広い世代が交流できる地域の拠点があればなんて素敵だろう!と思ったりはします。

でもね、考えてみてください。

そんな夢のような場所って見たことありますか?

正確に言えば、イベントやその場限りの会話など、一時的にはできるかもしれません。でも、継続的に多世代交流ができている場所なんて、ほんとに稀だと思うんです。

この理由はすごいシンプルなことで、違う世代と一緒にいるのは面倒だからです。

だってそうじゃないですか?

子どもだったらやっぱり子ども同士で遊びたいわけだし、思春期の中高生だったら余計にそう。

子育て世代にしても口うるさく言われたり、話が長いおじいちゃん・おばあちゃんとわざわざ仲良くするのは面倒だし、積極的に関わりたいとは思わないはず。

おじいちゃん・おばあちゃんたちにとっても、若い世代は未知だから関わるの怖いという声を聞いたこともあるくらいです。

そう、つまり多世代交流って簡単に言うけど、そんなに簡単なことじゃないんです。そもそも、そう言っているあなた自身が本当に多世代交流したいと思っているのでしょうか?

自分の本音を言えば、やっぱり話が合う同世代と一緒にいる方が楽だし、年齢が違うひと(それは年下でも年上でも)と話すのは気を遣うこともあるので、無理してまで多世代交流したいとは思いません。

じゃあ多世代交流は無理なのか?多世代交流は必要ないのか?と問われれば、答えはノーで、多世代交流は無理じゃないし、必要なものだとも考えています。

異なる世代との交流は、自分自身の大きな刺激になるし、知らないことを知れるきっかけにもなります。また、地域の単位で見てみれば、日頃から近所の多世代と顔の見える関係を築いておくことは、防災的にも重要なことと言えるでしょう。

だから、地域のコミュニティづくりに取り組む自分から、これからの多世代交流についてちょっと提案をしてみたいのです。

まず、ここまででご理解いただけたと思いますが、重要な前提として多世代交流がしたい!ってひとはあんまいないのです。

だから「多世代交流拠点」とか「多世代交流事業」と銘打って、多世代交流をしようとしているのであれば、その看板は早くおろすべきです。もちろんそれが目的なのは悪いことではありません。だって多世代交流は大事なことですから。

でも、ラーメンを食べたいひとがいるからラーメン屋は成り立つように、多世代交流をしたいひとがいないと多世代交流拠点にひとは集まりません。

実際に「多世代交流拠点」と書いてあるのに、高齢者だけの居場所になっていたり、いろんな世代はくるけどまったく交流が起こっていない場所はよく目にします。

つまり、ここで取るべき戦略は、他の看板を立てて人を集め、結果的に多世代交流が生まれる仕掛けをつくることです。

例えば、自分がプロデュースしまくっている「図書館」は良い例です。図書館はどこにも多世代交流と書かれていませんが、結果的には様々な世代が利用しています。

ここで重要なのは、どの世代の利用者にとっても図書館を訪れる目的は「本」だということです。誰も交流したいと思って図書館には来ていません。本を読みたい、借りたい、と思って、図書館にくるのです。

これが「多世代交流拠点」ではなく、他の看板を掲げたほうが良い大きな理由です。ひとは看板を見て、入るか入らないかを判断しますから、行く目的になれるかどうかはとても重要なことです。

ただ、このままでは多世代が来るだけの拠点なので、交流を促す仕組みを仕込んでおく必要があります。そのヒントも図書館に隠されています。

それは交流が有機的に生まれるような媒介を仕込んでおくことです。つまり、図書館では「本」が人と人との繋ぎ手、媒介になっています。共通の関心の本があれば、世代を越えた会話のきっかけにもなりますし、同じ本を読んでいたらそれだけで嬉しくなります。

これは決して本に限った話ではありません。他にも、公園でペットや赤ちゃんがきっかけになって会話が生まれた経験は誰にでもあると思います。これもペットや赤ちゃんが媒介となって生まれる交流です。

初対面のときはとく会話のとっかかりがないと交流するのは難しく、シャイな日本人はとくにこの場の設計が重要だと考えています。例えば、私が運営している図書館では、すべての本に読んだ人の感想が積み重ねられる感想カードを入れています。

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本を読む方はシャイなひとも多かったりするので、文字で交流する媒介になっています。また、感想を書いたひとと図書館内で直接会って、話が盛り上がることもあって、ささやかですがこうした仕掛けが交流を生み出していると感じています。

さて、つらつらと書いてきましたが、僕の実体験からわかってきたひとつの結論は、多世代交流をねらうと逆に多世代交流できないということです。

そもそも多世代交流は異文化交流だし、それを自分から積極的にしたいと思う人はあまりいない。だからちょっとした工夫が必要で、「多世代交流しましょう!」という掛け声ではなく、別の目的で人を集わせ、結果的に多世代交流ができている状態を目指すことが、実は多世代交流の1番の近道なんじゃ?って話でした。

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