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#伝統文化
茶道にのめりこんだ阪急社長・小林一三、戦時中に手に入れた壮絶な茶道具とは
阪急、宝塚、東宝など作りつつ茶人だった小林一三の記念館が大阪府池田市にある。2013年での展示レポ。
1945年6月。神戸大空襲でやられた店舗を見に行った小林社長が、焼夷弾をみつけた。
そしてのちに茶道で花をかざる入れ物にしたと!!
しかも名前を「復興」にしたんだと…!!!!!!!!
戦国武将の中で流行った茶の湯。本来はこういった世界観で構成されてたはずだ。戦国時代、敵の矢が飛びまくる竹藪
ラッパーを目指していたOLが、茶人に転向した理由
「もう来月から来なくていいよ」音楽仲間から声をかけられた。いつかそう言われるんじゃないかと思っていたセリフがどんぴしゃで降りかかってきた。
クラブ仲間にリストラされた!200年代前半、小さいクラブがたくさんあった時代。毎月1回平日の深夜、小さな音楽イベントを友達と企画していた。まだYOUTUBEもそんなに普及してなかった時代、DJは足繁くレコード屋に通い直接レコードを買っていたもんだ。今なら
世阿弥と文化庁長官、ゆるふわなのはどっち?
世阿弥の具体的な指導イイ
コロナ支援具体的な案ゼロ、ゆるふわ文化庁長官ポエムと大違い!!!!!
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夏川賀央 訳「風姿花伝」メモ
●1番よい能の脚本
古典の典拠をもって、新鮮な趣向を凝らし、山場を設け、演出に幽玄さを出す
●2番目によい脚本
新鮮さはなくても複雑でなく、すぐ理解できる上に面白い物
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世阿弥は、1ミリも抽象的なことは書かない。後世の自分の流派を守る人たちへ、具体的な