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考えたこと

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田無-遍立寺、田無神社、総持寺

田無-遍立寺、田無神社、総持寺

地名の由来
田無の語源については様々な説がありますが、定説は得られていません。文字どおりこの地域一帯が「田のない」ところであり、その核心地域として「田無」の名称が残ったと考えるのが、もっとも一般 的な解釈です。
(西東京市Web 市のおいたち・地名の由来(田無版)より/https://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/syokai/ayumi/oitati_

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鷲宮・加須-鷲宮神社、慶雲院、加須はなさき公園、龍宮寺

鷲宮・加須-鷲宮神社、慶雲院、加須はなさき公園、龍宮寺



今日は、久しぶりに出雲族の草創に係る関東最古と名乗る鷲宮神社に来る。

たまにここを訪れますが、
アニメの聖地ということで、参拝者が描く絵馬を見るのが好きです。
何か思いを表現できる手段があるというのは素晴らしいですね。

たまには足を延ばそうと、稲穂の間を抜けて、加須市の慶雲院へ。

ここから加須はなさき公園を経由して龍宮寺に着く。
仁王像の山門があり、柵で囲われることなく
直接その体を拝見

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渋谷-東福寺、金王八幡宮、氷川神社、宝泉寺、吸江寺

渋谷-東福寺、金王八幡宮、氷川神社、宝泉寺、吸江寺

子供のころから20代まで。渋谷には通ったり、買い物に行ったりしたため、馴染みにある場所であったはずですが、今は渋谷に着くと、ただ迷うばかりの自分であります。

TOEIC試験で渋谷を訪れ、試験後に散歩してみようと思い調べると、あちこちに寺院があるようです。見たことのない光景。僕は、今の姿の昔の姿も分かっていないようです。

渋谷。人の祈る姿。

どこにいっても頭を深く下げ、拝む人はどこにでもいます

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奥武蔵ー狩場坂峠を越えて越生へ

奥武蔵ー狩場坂峠を越えて越生へ

奥武蔵ー狩場坂峠を越える

『距離を変えてみる』

山で見る花、いつも見る花と何が違うか?

電車・バスに乗り、そしてカメラを持って歩き始めると、
いつもと同じ花を見ているはずですが、
足を止めてしばらくその鮮やかさ、可憐さや心奪われることがあります。

俯瞰的に見ること。

全体を眺めることであり、広い視野で物事を捉えること。
本質を捉えた上で、先に進むために、世の中で求められているスキルである

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奥武蔵ー顔振峠

奥武蔵ー顔振峠

懐かしい友人との再会を喜びあう奥武蔵。
私は狩場坂峠付近が一番好き。
涼しい緑の木陰のトンネル。
見上げると青い空が近い。
走れる幸せを感謝します。
2000年8月 会田順子

奥武蔵グリーンラインを歩いているときに、
源義経弁慶主従がその眺望の素晴らしさに顔を振り降り眺めたことがその名の由来という顔振峠の近くで見た石板です。
その石板について、後で調べてみると、事故で亡くなった方の追悼碑でした。

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まずは、差別している自分を受け入れる

差別することにより、仲間意識をもつ。
ともに戦うことができる。

肌の色で差別することは普通。
それは歴史の一つの描写なのだから。

差別することが問題でなく、
識別された対象の抽象化されたイメージであり、
いわゆるステレオタイプと言われている問題である。

抽象化は事実に基づくことがあるが、
そのイメージを作るサンプリング率は見えにくい。
また、そのサンプリングレートが正しい場合、

どのように

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ものの捉え方

-コロナに振り回され続けた受験生-
朝日新聞記事タイトルより

僕もそうだが、人というものは、人のせいにしたがる傾向があるように思う。

正確に言うのであれぱ、
人々、社会により、形成されたコロナ対策に振り回された受験生ではないだろうか?

コロナは、人を振り回す意図はないし、特に何もしていない。
ただあるがままに生きているだけ。

自分を正直に見て、初めて本質が分かることは、人生には良くあると思

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連帯と勇気

『連帯と勇気の連鎖』

世界が、医療現場の皆さんが、民衆が、見知らぬ人同士が、手を取り合い、そして助け合いながら戦う。

コロナ危機を前に、我々自身が鼓舞され、勇気づけられ、困難に立ち向かう。

素晴らしい光景。

少しの勇気の足りない自分。そのような姿を見て、自分の至らなさに気づき、自分も前に進まなければ。
強く自分の意思を持つことの大切さを感じる。

一方、『連帯』の重要さ、素晴らしさ、をマス

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人種差別

人種差別に反対する運動があるが、
僕は、特に人種差別することに反対ではない。

人を区別すること、そして差別することは、生活で人によく見られる性質であり、
自分を正当化し、守る場面で、そして、仲間を意識する場面で、よく使われるような気がする。
そのことを否定し、意義を唱えることは、あまり意味はない。

それよりも、その自分の性質を知ることから始めることが重要だと思う。

また、その差別のある現実(

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