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奥武蔵ー狩場坂峠を越えて越生へ

奥武蔵ー狩場坂峠を越える


『距離を変えてみる』


山で見る花、いつも見る花と何が違うか?

電車・バスに乗り、そしてカメラを持って歩き始めると、
いつもと同じ花を見ているはずですが、
足を止めてしばらくその鮮やかさ、可憐さや心奪われることがあります。


俯瞰的に見ること。

全体を眺めることであり、広い視野で物事を捉えること。
本質を捉えた上で、先に進むために、世の中で求められているスキルであると思います。


ここで本質とは何でしょうか?


世の中には素晴らしい事柄に溢れています。

それに着目して、何か捉えようとして初めて、その美しさに気づくこともあると思います。
一方、人は見たいものしか見えない、分かっていることしか見えないでしょうし、
人は一般的に仮説思考‐自分で仮に決めた結論に基づき行動を起こす‐でしょうから、
例えば、旅行に行く前に思い描いた光景に基づき、その花を自らが美しく描くこともあるでしょう。


光と影、雨と晴。

何が正しいのか、何が素晴らしいのか、僕には分かりません。

世の中で良く問われる俯瞰力ですが、
多くの場合において、人は俯瞰的に見た行動を起こすことはできないと思います。

それはコロナの一連の動向を見ても、私はそれが理解できると思っていますが、
一人の命に着目すると、それは掛け替えのないものであり、
また、その大切さは周りへの共感を引き起こし、俯瞰的に判断する行動は容易ではなくなると思います。

また、俯瞰的な判断は、重要であることが多い反面、概して抽象的になりやすいですが、
具体的な方が、分かりやすい問題となり、自分の身と照らして考えることができるからだと思います。

今日、歩いた場所は、前回より少し標高が高かったからでしょうか?
その理由はよく分かりませんが、虫の音も小さく聞こえたり、風の音がいつもと違うように聞こえました。
単に天気の違いかもしれません。



山を降り、日が暮れてきました。
今日は自分の思い描いた写真が撮れたかという疑念を抱きました。

カメラのレンズは能力以上の力は発揮できないので、
何を撮りたいのかを決めて、それにフォーカスすることが重要だと思いました。

ただ、それだけで良いのかも疑問に思いました。


山で見る花、いつも見る花と何が違うか?


いつもと違う場所に自分を置いて、一つの対象との距離を変えてみる。
このことが旅行の意義であり、この習慣が自分の判断力を育てていくために、
必要なことであると気が付きました。

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