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修士2年秋学期の備忘

書き出しから苦しい雰囲気になってしまうが、お金のことを考えるとこころの動きが急速に鈍くなる。今もファーストフード店で隣の人たちが、未来の雇用や社会が変わらなければ、子どもの世代までうまいこと存続することはない、というようなことを話している。自分たちの時から30年も初任給が変わらないのは気の毒だ、あの頃は”いけいけどんどん”だったよね、など、先ほど美味しく食べたはずのナゲットの消化が悪くなりそうなことを言っている。 そんな話がされていてもここは新宿の住宅街で、未来を憂う話の前は

    • 修士2年春学期の備忘

      「何名様ですか?」「1人です」 という入店時の会話を凛とした心意気でやろうとすると、オードリー春日さながらの堂々たる振る舞いになっていることがある。おしゃれカフェの入り口でおずおずとひとりだと表明するのはやめたい、などと考えながら扉を開けるような私なので当然のように写真を撮られることが苦手だ。自意識がから回って変なことになる。 人に撮ってもらった写真で改めて自分の姿を客観的に見た。ポーズが想像していたよりも勇ましい。え、お城の前でプリンセスさながらのポーズしたつもりだったじ

      • 修士1年秋学期の備忘

        「びぼう」と入力してスペースキーを押したら、「美貌」と変換された。 うっかりエンターを押してしまって、そんな挑戦的なタイトルがありますか、と半笑いで慌てて消す。 おもしろも哀しさも、行き当たりばったりの偶然に任せすぎている最近。 いつか消えてしまいそうなものばかりを纏わせて、何が本物になっていくのか、あまりにも計画性がない。 確固たるもののないゆらゆらする足元で眺めるから桜はいつも儚く感じる。 春が桜の花に命の動きの生き生きした様を乗せて来る瞬間は毎年繰り返されてきたけれど

        • 修士1年春学期の備忘

          春学期の振り返りを夏休みの最終日に書いている。 ものぐさを象徴するような書き出しで情けない。 そういう調子で、そこそこ長いだろうと思っている大学院生活も忙しさの中で日常と化し、手繰り寄せられない記憶になってしまう気がしたので備忘録的に書き残すことにした。 会社員を4年間やって、大学院の博士前期課程に入学した。 学費は頑張ったけど、生活費までは貯まらなかったので、2日と半日は今も会社員としてイベントの企画屋さんをしながら大学院生をしている、院生兼会社員。専攻は哲学なので、進学

        修士2年秋学期の備忘

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          映画「ドライブ・マイ・カー」深く孤を愛するためにこそ語る

          顔を向かい合わせて言葉を交わすとき、そこには話しているわたしと聞いているあなたがいる。わたしの発した言葉にあなたは、うんうんと相槌をうつ。溶け合っているように思えてくる、わたしの言葉はきちんとあなたの中に流れ込んでいる、と。 わたしもあなたの言葉にうなづく。あなたと同じように心が動いたと思ってうなづく。その時わたしは、あなたに近づくことができた、と感じている。 それなのにわたしたちは、互いの背中のどこが痒いのか同じように感じることができない。そして、分からないという、のっぺり

          映画「ドライブ・マイ・カー」深く孤を愛するためにこそ語る

          今はロックもかっこいいと思うよ。

          わたしは子どもの頃「分かる人だけに伝わればいい」という雰囲気を醸し出すアーティストが苦手だった。伝えたい世界観があるのではないのか!それはたくさんの人に受け取ってもらわなくていいのか!ってかプロなら伝わる方法を考えるべきではないのか!と、消化不良である彼らの存在に対して、その消化不良ゆえの偉そうな不満を抱いていた。 そういう不満を抱いていたにも関わらず、哲学という、おそらく世の中的には「何でそんなに難しく言うの。伝える気ある?」の上位に置かれがちなそれを、好き好んで生活に取り

          今はロックもかっこいいと思うよ。

          夢のナマコ

          25歳にもなって、自室でひとりスライムで遊んでいる。 仕事帰り、閉店間際に駆け込んだ100円ショップで買ったハートの混ざった水色のスライム。日々の孤独も仕事の愚痴も、このぐにょぐにょに溶け込んでいる。 黙々と伸ばして丸めてとしていると、細長いぼてっとした物体に形を変えた。まるでナマコのような。 細かいラメの入った水色で、ハートのホログラム柄のナマコ。あの独特なグロテスクさが消えて、不思議な形状の愛しやすい存在になっている。こんなナマコは夢の中でしかありえない。あぁそんな

          夢のナマコ

          本と、たぶんその周辺のこと

          実家では、本が好きといえば私と父なので、実家には父親の買った本がたくさんあるが、思えば好きな本の傾向は全く似なかった。 似たとすれば母だ。 母は、文字を見ると眠くなるから、と娯楽といえば映画派なのだが、楽しい人たちが語っているエッセイを持っているのは母だった。 小学生の夏休みに借りたさくらももこは今でもバイブルだし、子供の頃の私は、大人になるというのは、神津カンナになることだと思っていた。 *** 私はエッセイが好き。 友達に本を紹介したとき、そのほとんどがエッセイだった

          本と、たぶんその周辺のこと

          空想の海の水面

          全身スパンコールが付いた服が着てみたい。太陽の下よりもスポットライトの光で圧倒的にきらめくようなやつ。私が着たら ややうろこの状態が良い市場の魚みたいにならないだろうか、と一瞬考えるけれど、スパンコールの衣装を着る人はそういうことで迷ったりしたままライトの光を浴びないのだ、と思い直し、着てもいないのに背筋を伸ばす。 反響版の裏の空間が好き。木の匂いとともに、そこにはまだ日常があるのだけれど、一枚板を介した向こう側は、作られたものしか置いてはいけないのだ、という感じがドキドキ

          空想の海の水面

          「エモいが使えない」(20代・女性)

          今使っているボディーソープは、市民プールの匂いがする。だから毎晩、低い目線から見ていた無人の受付を思い出す。あまり人のいない更衣室へと続く廊下。声が響く屋内プール。学区内にはタバコ屋が1軒あるだけの田舎に住んでいたので、学区外の市民プールに行くには、いつも車だった。自転車で行き来していた場所の景色は、肌にあたる風とともに季節の記憶も思い出すが、空気の動きのない車移動をしていたため、季節のことはあまり覚えていない。蝉の声とか夏の日照りが連想されないプールの思い出。まあそもそも市

          「エモいが使えない」(20代・女性)

          ニューオーリンズってこの辺りよね。

          昔ちょっと練習したことがある曲が流れてきた時、曲名が思い出せないけど刻むべきリズムを覚えているわ、ということがある。聞き流しているつもりなのに、あらここだわ、と体が動く。それが心地よい時はいいが、時々焦燥感に駆られる時もあり、そういう練習の仕方をしていたのだな、と反省する。 音楽が楽しいなと思う時、自分は失敗をあまり覚えていないタイプなのかもな、と思う。残念がるべき性格かもしれないけれど、捉えようによっては楽天的で転んでも立ち上がれるのはいいことかもしれないので、そう思うよ

          ニューオーリンズってこの辺りよね。

          ありがとうココア、というはなし。

          我が家の周りは、騒々しい。 鳥の鳴き声といえばカラスだし、目の前の大きな道路にはこんなときでもひっきりなしに車と電車が走っている。 マスクをしていては、散歩に行ったところで初夏の香りを胸いっぱいに吸い込むことができないので、せめてもと家にいる間はベランダに面する窓を開けているのだけれど、排気ガスが気になり清々しさには欠ける。無音になれるヘッドホンなどが欲しい。静寂のためにものを増やす、というのは情けない話だな、とおもう。 嫌だ嫌だと言っていてもきりがないので、人の気配を感じ

          ありがとうココア、というはなし。

          機嫌がいい日のこと

          椅子があればもうすこしまともな生活になるのではないか、と過去の私は思っていたが、劇的な変化はなかった。 そういう、ちゃんとできないことへ保険をかけるみたいなことをするのはあまりよくないな、とおもう。未来の自分に希望を託すと言ったって、先延ばししすぎると有限のその時がきてしまう。できるうちにやっておこう。またすぐ忘れるだろうけど、今だけでもそう思っておくことは大事だ。たぶん。 *** 毎週家族揃って楽しみにしている番組があり、今夜は宝石の特集だった。テレビ通話をつないで毎週

          機嫌がいい日のこと

          気配のこと

          凍ったぶどうをもらった。ぴやぴやしていて、まるくて冷たくておいしい。動物園にいる動物のような気持ちだ。ちゃんと飼われていて、ちゃんと芸ができる動物へのご褒美のような、人の手で美味しくされたぶどうを食べている。ほんとうにおいしい。 グラスにあけてみて食べた。ちゃんとしている、という満足感がすぐにわきおこって、自分を認めてやろうという気持ちになる。それが本当にちゃんとしているかどうかは置いておいても、理想を叶えに行った、という行為が満足につながった。 やっぱりわたしは、手の届く

          気配のこと

          宇宙に行く前に、地球でお腹いっぱい。

          棚の中に眠っている私の電子辞書のメモ機能には、お気に入り単語の例文とか、いつか言いたいセリフとかがたくさん保存されているはずだ、最近電源入れてないけど。昔使ってたガラケーにもきっといろいろ保存されている。恥ずかしいので、見たくもあり、見たくもなし、だが電子辞書に初めてお気に入り登録した言葉は「催涙雨」だったということは覚えている。とてもロマンチックな単語だ。 そうして、本を読んだりするたびにお気に入りワード集を作ったりするという楽しみが私にはある。好きな言葉はこれまでずっと

          宇宙に行く前に、地球でお腹いっぱい。

          寝る前5分の世界のあいしかた

          先が見えないと、いろいろ面倒になるという、だめな人の典型的な気質を持っている。夜は特に、ちょっとした見通しの悪さに始まり、徐々に視界が不明瞭になって、もはやどんなに視力がよくたって見えなかろうというところの景色に対して「見えない」と文句を垂れて、数時間後に来たる明日を捨てたい気持ちに駆られる。わかりやすく気分屋で、わかりやすく屑な、悲しいくらいの凡人だなあ、と思わされる。そういう時は、すぐさま寝るべきなんだけど、わかってるんだけど。 そういう夜、寝る前の5分くらいは世界を愛

          寝る前5分の世界のあいしかた