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寝る前5分の世界のあいしかた

先が見えないと、いろいろ面倒になるという、だめな人の典型的な気質を持っている。夜は特に、ちょっとした見通しの悪さに始まり、徐々に視界が不明瞭になって、もはやどんなに視力がよくたって見えなかろうというところの景色に対して「見えない」と文句を垂れて、数時間後に来たる明日を捨てたい気持ちに駆られる。わかりやすく気分屋で、わかりやすく屑な、悲しいくらいの凡人だなあ、と思わされる。そういう時は、すぐさま寝るべきなんだけど、わかってるんだけど。

そういう夜、寝る前の5分くらいは世界を愛したい。遠くの世界のこととか、自分の手でまだ触れられない未来とか、そういうことを考えると、宇宙はいつか終わるとか、こうしている間にも氷山が溶けてる、とか思って体が弾けそうになるので、確実に今あるわたしの身体が感じられるもので愛しさを感じたい。どうしようか。

突然だけれど、わたしはポメラニアンが好きで、好きで、好きだ。可愛すぎる。なんでこっち見るん、という意地悪を言いたくなるくらいに胸を鷲掴みにされて苦しい。でも、そんなに心を強く掴まれたら夜は眠れない。ほしいのは快眠。ほしいのは愛しさ。ポメラニアンを見て感じる可愛さは、エネルギーを生みすぎなのだ。いつかかわいいが溢れてポメラニアンを握りつぶしてしまわないか、わたしは常々恐れている(だから飼っていない)。愛しい気持ちは、完全に対象が他者であること、自分の中に取り込みたいと思わないことが必要な気がする。だってなんか、冷静だ。愛しいものに対しては、握りつぶしそうな感情があまり起こらない。じんわり広がるだけ。

寝る前5分に、愛しさでわたしの全部が満たされて、世界を愛せる方法はなんだろう。

わたしの家の前は大きな道路だ。一日中ずっと、車の走る音が聞こえる。誰かがどこかに向かっている、わたしではない誰かに見えている今がある、わたしは眠りにつくけれど、今アクセルを踏んでいる人もいる、いろいろある、ああ世界。隣にあるけど、全然関係ない、ちょうどいい世界。

そういえば、実家の周りはこの季節になるとカエルがめちゃめちゃ鳴く。実家にいた時も、一匹一匹の今晩の生活を思い、生きてるなあ、と思いながら眠りについていた。わんわんわんわん途切れることなく、永遠なのかと思うくらいにアマガエルが鳴いている。目をつぶると、もうカエルが5000匹くらいわたしを取り囲んで夢の世界に送り出そうと必死だ。(ほんとは知ったこっちゃないと思う)そしてウトウトしてくると、時々ウシガエルが鳴く。

目をつぶってよく聞くことは、対象とわたしが離れていることをしっかり認識させてくれるけれど、世界とわたしが振動を通じて溶け合っていくその時を感じることもできる。いいとか悪いとか、楽しいとか嫌いとか、そういうのではなく、ただある、ただ、わたしの外である世界を感じることができるので、その時にわたしに触れる世界はとても愛しい。わたしの中に取り込みたいのでもない。興味がないのでもない。今この時に触れられる、でもわたし以外、というその距離感は、冷静で、しっとりと冷たく、愛しいと思うのに適していた。

ひとつひとつ聞く。エンジンの音、アスファルトとタイヤの音、ブレーキ、風、鉄橋の軋み。いろいろある。重なって、今がわたしに触れている。いいとか悪いとか、成功とか失敗とかではない、ただあるだけの今。それがとても幸せで、幸せで、愛しい。

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