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修士2年秋学期の備忘

書き出しから苦しい雰囲気になってしまうが、お金のことを考えるとこころの動きが急速に鈍くなる。今もファーストフード店で隣の人たちが、未来の雇用や社会が変わらなければ、子どもの世代までうまいこと存続することはない、というようなことを話している。自分たちの時から30年も初任給が変わらないのは気の毒だ、あの頃は”いけいけどんどん”だったよね、など、先ほど美味しく食べたはずのナゲットの消化が悪くなりそうなことを言っている。
そんな話がされていてもここは新宿の住宅街で、未来を憂う話の前は、子どもの進路面談で海外進学について担任に話したとか、実家はせめて世田谷がよかったとかいう話をしていた。

考えるのをやめたくなる。この間、会社の同僚と低い給料に怒って「サービス業を楽しいと思って選んだ私たちが悪いんですかね」「市場で価値のない性質なんですかね、我々」と呟きあった。その時は昼食後で元気があったのでぷりぷり怒っていたが、思い出すと泣きそうになる。
せめてあの時気持ちを声に出さなかったら、日々のあれこれの中で忘れられただろうか。忘れてはいけない気もするけれど、寒の戻りで春のるんるん気分を削がれた私は、今は全然立ち上がる気になれない。追い討ちをかけるように新生活やら就職活動やらの話題が世の中に増える。自分の生活の周りで起きる出来事の一つ一つが幸せで楽しくて大切であればあるほど、それが維持できる”身の丈”を探らなくてはいけないような雰囲気に、なんとなくやるせなくなってしまう。

冬はいつだって後ろ向きになりがち。
そうしてぐずぐずしていた秋学期、何を考えていたのか振り返る。

***

10月。仕事に追われていたらしく、授業の予習がままならないと泣き言を言っているメモが見つかる。そもそも受講した授業で読んでいるものが難解だったこともあると思う。社会や世間の根本深く、そもそも私たちが立っているところがどんなところなのか、ぐるぐると考えられている本を読む。彼の考えた軌跡が文字になっているような本だ。論理立てて説明されているようには到底思えないので、著者と一緒にじわじわと難しい言葉を追いかけていかなくてはいけない。
生活の中ではいつだって、すぐに変わる客先や同僚から言われる事柄に右往左往している。だから、そうして授業で読む彼の言葉が言っているような"底"に戻ろうとする時、虚しさを感じることが全くないと言ったら嘘になる。しかし、それはどちらの世界に対しての虚しさかというと、振り回されている方の世界において、一つ一つの出来事やそれを取り囲む問題が、あまりに簡単に・わかりやすく述べられようとしていることに対してかもしれないな、と思う。
もっと世界が混沌としている可能性を、豊かなものとして受け止めながら生活できたらいいのに、すぐにノリとテンポで問題をまとめるなよ、なんでベストセラーの投資本がいいと思うんだし、などの文句が絶えない。常にのんきそうな表情でいたいのに、眉間に皺がよる。

11月。壊れないからという理由で長年使っていたiPhone8をiPhone14に変える。長く1つのものを使い続けたいけれど、保証対象外になってしまうというシステムと、端末がこなす仕事の中身の進歩が早すぎて古い機種では対応しきれないという理由から、買い換えざるを得ない。

様々な機能が追加されていて道具に翻弄されてしまう。特にカメラとFace ID。
カメラの機能が良くなったことには感動したが、何をするにもモタモタしてしまうので、細かい設定を撮影状況に応じて変えるというようなことは背後が気になってしまってできない。
Face IDの反応が悪い時は、私の顔としてどの部分が認識されているんだろう?と考えてしまう。名前は思い出せないことがあっても、顔を見て知っている人だということが雰囲気で判断できることはあるが、その時の私はFace IDの注目点と同じところを見ているのだろうか。

最近、AIの類のものについて考える時、やっぱり自分たち人間のことを同時に考えてしまう。上司がChatGPTで記事を書けばいいと言うが、ChatGPTの学習源のデータもChatGPTの生成した文章になったときを想像して、なんだか虚しいな、と思ってしまった。
誰が書いていても、別に実はどうでもいいのだろうか。学ぶ元にも学んだ先にも人間がいなくて、ただ楽しむのだけが人間ということになったら、それはどういうことなんだろう。生み出した側の意図や経験には関係なく、”どんな文字の並びで、どんな意味を読み取れるか”ということに面白みを見出しているのだろうか。趣味もあるだろうけど、うーん。

中学校に行って哲学対話をする。音楽室でやって、西陽が眩しかった。
問いに対して「何を答えたらいいのか」と探られている感じがして始まったが、話されている内容をゆっくりと追うと、決められないことについては自分の考えを話し、それに耳を傾けなければいけないのではないか、と彼ら自身が自分たちの言葉で言っていることに気づく。一方で、でも言葉にできるということは理解の一つの形であって…という発言もされる。自分を開示するのには勇気がいるよね、とも。

進むには暫定的な答えが必要だけれど、それの過程があることを忘れたくないし、大きな権力を持っていなくても、その過程に関わる者として生活しているという矜持は持っていたいような気がする。

なぜか音楽室の入り口の扉にバッハやベートーヴェンを差し置いてアリストテレスの使い込まれた磁石が貼られていた。あれはなんだったんだろう。生徒が帰ってから気づいたので、聞きそびれてしまった。

12月。浮かれてやたらとクリスマスソングを聴くが、大人がサンタに何かをねだるという歌によくない気持ちになる。(ここまでの3ヶ月が不機嫌すぎる記録になっている気がする…浮かれて聴き始まったクリスマスソングにまで疑問を呈しはじめるとは。でも疑問は不機嫌ではないはず。)
大人はなんとなく無邪気なだけではいけなくて、なんなら無邪気を装うことはもっといけないと、なんだか思ってしまうところがある。無邪気なお願いは子どものためにとっておいて、大人はその場所をあけてあげる心のゆとりが欲しい。偉いからとか上からものを言いたいとかではなく、何かをしてあげたい・譲ってあげたい・楽しい気持ちをただ享受するだけの経験をして欲しい、と(気分の良い時には)人(とりわけクリスマスシーズンの子ども)に対して思う。


11月に参加した哲学プラクティス連絡会でいろいろな発表を聞き、いつかやると言っていてはやらないんだよな、と言う気持ちにさせられ、哲学対話を企画する。「仕事をする人とする哲学対話」というタイトル。タイトルと思ってつけてもないのだけど、なるだけ嘘のないタイトルにしようとしたら長くなってしまった。

開催の動機は、”組織の中で目的に追われて仕事をする時間が1日の大半という生活していると自分のことを忘れそうになりますが、まずそこには私がいませんでしたっけ?その私は何を考えていましたっけ?”というのを思い出したかったから、というのがあった。会社から離れて人と話す機会は、フットサルとかに馴染めない人にとっては得難いものだから、ハイタッチのいらない、人との交流の場を作りたかったというのもある。(かつてフットサルやスノボに誘ってくれた人たちはいい人たちだったけど。)

問いを立てることにこだわりたくて、哲学対話が初めての人がいたけれど、日常の中から問いを立てることから始めた。「問いは立てるものではない、問われるものなんや!」という教授と演習の授業でやや言いあったことがあるけれど、対話で話す中で「そういえば今思ったんですけど」と問いを思いついた人は問われていたようにも思える。これからも、問われるということの不思議について考えながら、問いを立てるところからはじめる哲学対話をしていきたい。

1月。年明け最初の歯医者で親知らずの抜歯について話題にされるかと思いきや何も触れられず、自分から言う勇気も出なかったのでまた”その日”が先延ばしになる。なぜ私の親知らずはきちんと生えなかったのだろう。歯のことを考えると暗い気持ちになる。そもそも親知らずの抜歯も虫歯予防のためと歯医者さんに言われているのだから、歯が何度も再生できればもう少し軽く受け止められたかもしれない。
折れても何度も生えてくるワニが本当に羨ましい。歯こそ最も身近なところでやり直しが効かないものの代表ではないか、とさえ思う。考えすぎてしまう。

レポートに追われるのも4回目になると、「また仕事の締め切りと被って〜」というのがさすがに情けない泣き言な気がしてきて、ある程度の計画性をもって進める。本当にこれで書けるの?という、10月に困難を極めていたあの深淵な本を読み返してちまちまとやる。単位が必要と思ってどうにかして進めるが、修論はそういう順番で取り組みたくないなあ、と理想を抱く。初詣で「ちゃんとがんばれますように」とお願いしたから、きっと私はがんばってくれるだろう。

教授と先輩たちと飲みに言った時の速いペースの雑談についていけず、さらにその時の話題も私の知っている文脈とどのように結びつけて考えたらいいのか悩んでモタモタしてしまい、出遅れが加速して苦い思いをした。誰も悪くないけれど、一人で苦々しい気持ちになることはある。そういう時は早く寝るほうがいい。

眠くなるまで、どうでもいいネットニュースを眺め、もはや炎上や切り取りややっかみのコメントを含め展開が読めてしまう文章を追い、考えなくて良い頭を作る。全然人に胸を張って言えないことなのに、なんでやってしまうんだろう。そうして疲れた目で追いかけた文字数の分、論文や本を読んでいたら…といつも思うのに、それでもやってしまう。2月になって、目が何かを読みたい時のために、久しぶりに小説を買った。

2月。中学校の哲学対話を見学した。「なぜ誕生日は祝うのか」というような問いで対話していたクラスのホワイトボードに、「Happy Birthday!●●君!」とその月のクラスメイトの誕生日を祝う言葉があった。それを見て、なんで祝うんだろうね、と改めて思う。

対話を聞きながら、「ふだん生活していて主人公になれる機会なんてそうないんだから、それを満喫してもらうためでは」と下世話なことが浮かぶ。それってさらに言えばどういう意味なんでしょうか、わたし?と、自分の心の声にさらに問いかけるが、その時はあまりうまく言葉にならない。みんなは何を考えているんだろう、と教室を回る。

産んだ人は祝うかもしれないけど、そのほかの人は同等の尊さは感じているのかな、というようなニュアンスのことが話されている様子があった。生きることは大変だから、生き延びたことに対するおめでとうだよ、という声も聞こえてくる。そういう流れがあるからなんとなく、儀礼では?という考えもあった。

それらを思い出して、今になってじっと考え直してみる。
…存在しているということをまるっと肯定する行動なんて、なかなか照れてできないのだから、年に1回誰にでも必ずそういうことをしてあげられる機会があるというのはありがたいことだ、と私は思う。ほんとうに、いてくれてありがとう、と思うことはあるし、誰かにそうして肯定されたことがあるという事実が、ずっと支えになることは、ある。だから祝うのかもしれない。

そういえば、大学院生同士でやった哲学対話で「もっとその話聞きたいのですけど」という進行役の言葉がすごく温かいな、と思った。その気持ちがあるならば、言葉にして私も表明できるようにしたい。

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春休みが始まった頃にいくつか下書きをしたけれど、結局どれもあまりしっくりこず、「備忘1」「備忘2」とかいうタイトルがついて保存されている。
暖かかった日に気分が良くなって書き始めたものとか、パワー系になることを社会を乗りこなすよすがとすることを疑っているときのものとか、いろいろだ。
毎日はとても楽しいのに、つまづくような出来事はちらほらあって、それでも誕生日を祝われるような大きな肯定がなんとか下支えになって心折れずに今日までいられている。

「愚痴っぽい」と思われるのかもしれないが、ほんとうは、本当にどうにかしたいと思って嘆いていることがほとんどだ。(だからぶつぶつ言う文句も愚痴じゃないんだけどなあ、という言い訳はちょっとだけしたい)
どうにかしたいと思っているから、無意識に言った一言がむちゃくちゃな勢いで自分に返ってきてしまって(そういうならまず自分がやりなさいよ!というようなやつ)、不意にダメージを受けるということもあるけど、それにもできれば誤魔化さず真摯に向き合いたい。(やっぱり市場の価値の他にその人の価値があるということは、もっと考えて実感のこもった言葉で何度も声に出して話してみないといけない、という気がする。)

繰り返しのような、でも実は新しい毎日。
心構えをする準備期間があるものも、まだ未知数で不安なことも。私が決められることだけが未来ではないので、決意半分、お願いのきもち半分でまたはじめる。

暖かい春がきたら、優しいやわらかい世界をちゃんとあるいていけますように。何卒。


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