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ニューオーリンズってこの辺りよね。

昔ちょっと練習したことがある曲が流れてきた時、曲名が思い出せないけど刻むべきリズムを覚えているわ、ということがある。聞き流しているつもりなのに、あらここだわ、と体が動く。それが心地よい時はいいが、時々焦燥感に駆られる時もあり、そういう練習の仕方をしていたのだな、と反省する。

音楽が楽しいなと思う時、自分は失敗をあまり覚えていないタイプなのかもな、と思う。残念がるべき性格かもしれないけれど、捉えようによっては楽天的で転んでも立ち上がれるのはいいことかもしれないので、そう思うようにしておく。二度と思い出したくないような練習や本番はどの楽器でも経験したけれど、それよりも今この曲が楽しい、と思わせてくれる曲や演奏がたくさん溢れていることもありがたい。

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最近はもそもそと1日かけてご飯を食べたりしながら、合間に音楽をかけたり映画を観たり、絶対に読破できそうにないなあ、と思いながらも積んでた本を出してきてみたりして過ごしている。こんなに時間があっても積んでいた本はやっぱり読破できそうにない。薄暗いストーリーだと特に億劫になってしまう。初夏だから。

おうちにいるのが全く苦ではない私だけれど、夏は外にいるのが好き。
夕方に吹く風とか、日が暮れる少し前のもうちょっと遊びたい感じがわくわくするので。とはいえ、あくまでもそういう時間帯のふわふわした気持ちが好きなだけで、夜遊びにはそこまで乗り気ではないけど。

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日中散歩に出たりするのと違い、夜遊びはそこに存在しているだけでセンスが問われているような気持ちになるので得意ではない。気の利いた一言とか、上手な歌とか、そんな大層なことでなくても、一品目に注文する食事に何を選ぶか、とかいうことに対するプレッシャーを感じる。
踊れると楽しいのかなあ、と洋画を観ていると憧れるが、Footlooseを観ると心が折れる。パーティー文化のあるところで青春を過ごさなくてはいけない人生だったらもっと人生暗黒だった、とぞっとする。(映画自体は音楽も楽しいのですき)

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得意な遊びはないけれど好きな遊びはある。延々と家にいて、意外とまめに手にして遊んでいたのが楽器だったので自分でも驚いた。音楽は惰性で続けていただけであまり好きじゃない可能性もあるのでは、と思っていたけど、強制されなくても手に取るのだからそこそこ好きなんだろうな、と気づく。マンションだから極めて遠慮がちにやらなくてはいけないのが残念。家の近くにスタジオがあると知ったので、ことが落ち着いたら遊びに行ってみたい。

一人遊びのレベルアップが始まりつつある最近だが、何にせよ楽しみがあることはいいことなので悲観せずにいきたい。

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