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修士1年春学期の備忘

春学期の振り返りを夏休みの最終日に書いている。
ものぐさを象徴するような書き出しで情けない。
そういう調子で、そこそこ長いだろうと思っている大学院生活も忙しさの中で日常と化し、手繰り寄せられない記憶になってしまう気がしたので備忘録的に書き残すことにした。

会社員を4年間やって、大学院の博士前期課程に入学した。
学費は頑張ったけど、生活費までは貯まらなかったので、2日と半日は今も会社員としてイベントの企画屋さんをしながら大学院生をしている、院生兼会社員。専攻は哲学なので、進学は特に会社員として即効性のある資格が得られるから、とかの動機ではない。
好きだしもうちょっと時間を使いたいな、という気持ちで来てみて、実際好きなことに時間を使い、好きなことを通して人や機会に巡り会えているのでとても楽しい。そう、とても楽しいんだ、ということを前提として、2022年の4月から9月までを振り返ることにする。

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とても楽しいんだ、と繰り返し書いたのは、早々に弱音をこぼすための保険だ。思い描くだけの世界はなんでこんなに素敵なんだろう、ほんとに。と、いつも思う。都合のいい自分の空想力が恨めしい反面、ここまで楽天的じゃなかったらさっさと未来を放棄しちゃいそうなので、呑気でありがとう、とも思う。
想像の中だけで終わるハッピーライフに満足できないの、どうしてなんだろうか。

最初の決定的な壁は、問うことそのものにあった。
問いを立てることに慎重になりすぎて、ほぼ思考停止なまま、こんなに考えられなかったでしたっけ?と焦る、という時間が学期の前半は続き、早々に「こんなはずじゃなかったよ…」と、浅い未来予想だったことが露呈した。

それもこれも、正解らしきものの気配を探して受身になっていたことが原因なように思われる。
私は「哲学対話」という、集まった人々と対話することで哲学的な問いを深めるという営みを研究テーマにしているが、哲学対話をする時、参加者には「ただ一つの正解はありませんよ」などと言うことがある。なのにも関わらず、である。文献の中にも授業での振る舞いにも、すごく正解を気にしている自分がいることに気がついた。
文献を読んで掴んだ問いではなく、この中から何を問うのが正解なんですか、という気持ちでそわそわしていた。
大海を前に、私が掴んだものなんて絶対藁ですよね!?なんかもっとちゃんとしたもの、あるはずですよね、みたいな不安。そこに、私以外の受講者は絶対ちゃんとした方掴んでますよね、きっと?というプレッシャーがさらに追い討ちをかける。
哲学対話において、(主体的に)問いを立てることは大きなテーマの一つになりうるが、難しい気持ちが奇しくも少しわかった気がした。

4年の月日で、私は無邪気さをちょっと手放し、その隙間には目的と効率が住まったようだった。クライアントの要望や組織における役割から導き出される、正解かつ唯一(っぽい)目的。それを達成するのが、組織の中での役目で、可能な限り効率よくやるのがベスト、という日々。
仕事の目的も、大海の中から誰かが掴んできたものなのだけど、いち社員として役割を担っているうちは、その掴んでくるところまで毎回出かけていかなくても、目の前に分割された仕事とその目的がやってきた。心の片隅で、私の仕事の先にある遠い人の遠い人生のことを思ったりすることも稀にあるけれど、大概は今日の締切!明日の締切!という生活が常…。
何のためにしたら良いのか、達成する項目は?みたいな気持ちが前面に出過ぎて、目の前の文献に純粋に向き合い、そこから問いを立てる、ということに信じられないほど苦労してちょっとショックだった。

6月くらいからようやく、藁から問い始めてちゃんと問題の芯に辿り着こう、というわらしべ長者並みの遠回りをする覚悟ができて、当初ほどの不安は感じなくなった。今も自信はないし、なんなら隔日で会社員をしているので、頭がちゃんと切り替わらない時もあるけれど、遠回りでも自分の言葉と頭で、問いとその先に向かいたいと思っている。

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弱音から話し始めてしまったけれど、楽観的なので楽しいこともたくさんある。
中でも、自分が一番好きなことで人や機会と巡り合えるのは本当に嬉しい。

その機会や出会いの一つ一つが貴重でそれ自体が刺激的であることはもちろんなのだけれど、それらが私に湧き起こさせる、楽しい・素敵だ・興味深い・知りたい、みたいな気持ちがとっても心を豊かにしてくれている。
できないことや難しいことや、なんだかいつのまにかやらなきゃいけなくなっていることの濁流に押し流されるように生活している日々の中で、自分自身がちゃんとその中心からいいと思うことに重心を置いて、そこから自分の手を伸ばして掴めるものには安心感が宿る。私が選んでいるんだ、という確かな感触みたいなものが、とても落ち着くみたいだ。

そういう感触のあるものを、忙しくても何かに飲み込まれそうになっても、日々のどこかに置いておきたい。大学院生活の先でどんな人生を歩むことになるのかはまだ漠然としているけれど、余暇とかお給料とかパートナーとか、検索すると出てくる安寧のキーワードに自分を当てはめるのではない仕方で、私の安心はこういうところにあるのだと気づくことができたのも、この生活をしてみたことで得られたおまけだな、と思って嬉しい。

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現時点の備忘なので、今後変わっていくかもしれないし、思い出していないいろんな出来事もたくさんあると思う。会社の飲み会で「ソクラテス的に言うと??」と雑な煽りを受けた時の正解かつ誤りのない返しに何よりも頭を使っていることとか、年下の先輩との楽しい帰り道とか。浮かんでは消える思い出を言葉にしたら、思ってもみない自分の気持ちに気づいて、これまで書いたこともちょっと変わったりするかもしれない。
考えて、変わることができるのもおもしろさだと思うので、変わることも厭わない。だけど、変わる前にも考えて考えて考えた味わいがあって初めて、変わった後に深みが出るような気がしているので、いつもその瞬間瞬間に触れて、感じて生活していきたい。

ああ、秋学期初回の授業の予習は終わったけど完全に朝。
帳尻合わせはそろそろ卒業したい。秋学期の振り返りにつづく…


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