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機嫌がいい日のこと

椅子があればもうすこしまともな生活になるのではないか、と過去の私は思っていたが、劇的な変化はなかった。
そういう、ちゃんとできないことへ保険をかけるみたいなことをするのはあまりよくないな、とおもう。未来の自分に希望を託すと言ったって、先延ばししすぎると有限のその時がきてしまう。できるうちにやっておこう。またすぐ忘れるだろうけど、今だけでもそう思っておくことは大事だ。たぶん。

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毎週家族揃って楽しみにしている番組があり、今夜は宝石の特集だった。テレビ通話をつないで毎週一緒に観ている。関東と同じ時間帯にやっている番組でよかった。
とにかく宝石が欲しいとかいうタイプではないけれど、宝石は一つ一つが違うし、一つの小さい粒の中にいろんな色が見えたり、光の加減や肌の加減で表情が変わるので面白いな、とおもった。大きいのがいい、とか、たくさん欲しい、とかいう気持ちよりも、満足な一粒を見つけに世界中に行ってみたい、という気持ちになる。
おそらく、そちらの方が無限に散財しそうだ。あれこれこだわりがちで何かとお金がかかりそうな性格なんじゃないか、とうっすら自覚があるので、どれにも本格的にハマることを避けているところがあり、すごく情熱的になれるものがない。
久しぶりに友達と話したりすると、「最近ハマっているもの」みたいなテーマになりがちなのだけれど、私には好きだと自信を持って言えることがあまりにも少ない。

むかし英会話教室で、趣味は何かを発表する文章を習った時、「趣味とかない」という小学生たちに先生が、「1回釣りをして楽しかったら、釣りはHobbyと言っていいのよ、アメリカではそうよ。」と言っていたのをこういう時いつも思い出すのだけど、本当にそうなのだろうか。アメリカの人にはその後何度か出会ったけれど、そういえばまだ訊けていない。訊いたら失礼だろうか。私は、愉快でいい文化だな、と思っているのだけれど、そういうニュアンスとして伝わるだろうか。趣味の定義を細かく聞けるほどの英語力がなくて悲しい。

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健全に情熱を表現できるというのは、本当に豊かで素敵なことだと思う。
そういう人がまとっている自信のようなものは爽やかなのに熱い。月並みな表現だけれど、どんなに高価な服や宝飾品よりもその人を魅力的に見せるな、と思う。
やっぱり好きという気持ちが素敵だ。わたしは何が好きなんだろうなあ。

たぶんもう4年前くらいのことになるのだけど、バスドラムを鳴らすレッスンを受けていた時、この場面で効果的な音はなんだろう、と考えていた時、好きな音はどれ?と聞かれて、感動して泣くかと思ったことがある。
何が好きか、殊に音のような形のないものの「好き」を聞くというのは、なんだか生の根幹に光を当てられているような心地になって悦楽を感じる。
日頃うじうじと考える時間が長いからこそ、「ところで何が気持ちいいの」は解放の魔法なのだろうなあ、と、いま気づく。
ちなみに、「Don’t think!Feel!」の誤読はいけない。そういうことじゃない、という「Don’t think!Feel!」に出くわすことがしばしばあるのだけど、すぐさま国交を絶ちたくなる。頑固だから。

脈絡は特にないが、「悦」という漢字とその響きがすごく好きだ。この漢字で「ゆえ」と読む中国の女の子を知っているが、「ゆえ」という音も素敵で、いい名前だな、今でも思い出す。

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好きな歌に「私のお気に入り」というやつがある。サウンドオブミュージックのあれ。初めて曲を知った時は旋律しか知らなかったから、お気に入りとか言っておきながら暗いメロディーだな、と情緒のわからない私は思ったわけだけれども、後々歌詞を知ってこういうご機嫌加減は愉快で楽しい、と気づき、それ以来機嫌がいいと歌う。(ストーリー的には、機嫌の悪い時に歌った方が筋なのだろうが、そこまでロマンチックに怒れない)

説明するまでもないが、本当に、つまらないものがたくさん出てくる。そこかよ、というアイテムが目白押し。それがいい。情熱っていいなあ、と散々言ってきたけれども、きらきらくるくると目に映るものの中にたくさんうきうきできる出来事がある、というのもかわいらしくてよい。

こういう、るんるん、としか言いようがないような感情をそのまま形にしたみたいな鈴があったら、欲しいな、と思う。
そういうのを期待して時々鈴を買うのだけど、身につけた途端に熊よけみたいになるか、心配性のおばさんみたいになってしまう。現実は難しい。

このあたりで徐々に幸せな気持ちに満たされてきた。このまま眠って夢を見て、朝9時くらいに自然と目がさめるのが素敵だ。

各方面あたってみたところで、好きという気持ちはあっても依然として私が情熱的になるのは難しそうだということがよくわかったが、とにかく機嫌がよくなったので結果オーライということにしたい。機嫌がいいのも十分よいことだ。

ふとんに包まれて眠る。重ためな布団が好きだ。貧乏くさいと母には言われたけれども、掛けていないようなふわふわの羽毛ぶとんは心もとない。
それにしても、羽毛ぶとんはいつしまえばいいのだろう。今はまだ私が包まれていたいので、しまうときではないな。

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