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生活記録

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#エッセイ

五月某日 ゆめにっき

五月某日 ゆめにっき

蛇を飼う夢を見た。赤くて、10cmくらいの蛇が3匹。
そのうち1匹は特に小さくて、目を離すとどこかに行ってしまいそうだった。

本当はヤモリだか、イモリだかを飼いたくて、でも手元にいるのはどういうわけか真っ赤な蛇だった。

何を食べて生きているのかはよくわからなかったけれど、なにかしらを食べたのだろう。
ちょうど頭の方から順々に、胴が太くなっていた。さながらツチノコのようなフォルムだった。

3匹

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十一月某日 流れにあらがうこと、流れから抜け出すこと

十一月某日 流れにあらがうこと、流れから抜け出すこと

あっという間に11月になりました、すっかり秋も深まってまいりましたが皆さまいかがお過ごしでしょうか。
薄くなったカレンダーを見ては、時の流れの速さに驚く日々です。

さて今日は、そんな流れについての話。

便利な世の中であります。画面を撫でれば買い物が済み、次々に文字や動画が目に飛び込んできます。地球の裏側まで1秒もかからずに言葉を届けられ、遠く離れた知人でもタイムラインに行けばいつでも近況報告を

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八月某日 SNSを日記代わりに使うな

八月某日 SNSを日記代わりに使うな

冒頭、特大ブーメランここ1,2年、SNSに日記をつけている。主にTwitterやNoteを利用しているが、つくづく便利なサービスだと思う。間違いなく日常的なアウトプットを格段に増やしてくれる道具だ。

一方で、これらはある危険をはらんでいるようにも思うのだ。

SNSの倫理によって、思考の枠そのものが狭められてしまう可能性である。

壁に耳あり障子に目ありSNSでの発言は、必然的に不特定の他者に受

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八月某日 言葉を大事に

八月某日 言葉を大事に

「言葉を大事にしなさい、言葉には言霊がいるんだから」

中学生のころ、大嫌いだった先生から放たれた言葉だ。
あんなに反感を持っていたのに、幾何かの時間を経た今、ようやく私の心にストンと落ちこんだ。
せっかく心の中に漂うようになったので、ここで今一度言語化を試みたい。

自分で言うのもなんだが、わたしは言葉を大事に生きてきた方だと思う。
少なくとも、高校を出るあたりまでは人一倍言葉に気を遣っているつ

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六月某日 好きこそものの上手なれ

六月某日 好きこそものの上手なれ

「人生を通して何を成し遂げたいか」「どんな大人になりたいか」。
「キャリア」について考える際に、よくそんな問いを投げかけられる。
自分が到達するべき「何者か」像があって、そこから逆算して現在を生きなさい、ということらしい。

でも、人生ってそういうことじゃないんじゃないか。
それを成し遂げたいから取り組むんじゃなく、こんな大人になりたいからがんばるんじゃなく。無我夢中になって生きていくうちに、いつ

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六月某日 「余白」なカレーうどん

六月某日 「余白」なカレーうどん

晩ご飯を済ませて、ソファでくつろぎながら好きなエッセイを読んでいる。やらなきゃいけないことはあるけれど、一休み、一休み。
こんな時間を友人は「余白」と呼んでいたけれど、どうやら私にはこの時間が大切らしい。
もちろん主となるコンテンツがあってこその余った白さではあるけれど、実はそのあまりの方が好きだ。

手塩にかけたカレーライスより、翌日のカレーうどんを楽しみにするタイプ。伝わんのかなこれ。(後日追

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六月某日 教材としてのヴァージニア・ウルフ

六月某日 教材としてのヴァージニア・ウルフ

私の出身高校は英語科の癖が強い。
必ずと言って良いほど、長文読解の教材が「イギリスの」有名作家の小説になる。例えば私の在学時には、サマセット・モームやロアルド・ダール、ジェームズ・ヒルトンの作品を取り扱った。グレートブリテン島の外の作家はトルーマン・カポーティ唯一であった。

今年度の題材はヴァージニア・ウルフらしい。ひょんなことからテキストを頂いて目を通したが、読後感の悪いこと悪いこと……。詳細

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六月某日 ふと思い立つ

六月某日 ふと思い立つ

蒸し暑い。未だ梅雨に至っていないことを疑いたくなるほどの空気である。

やれSTAYHOMEだやれ自粛だと騒がれ始めてそろそろ丸3か月ほど経つ (我ながら信じがたくて指折り数えた。3月、4月、5月。書いているのは6月の上旬)。毎日同じような、かつ一様に崩れた生活パターンを繰り返しているせいか、時間感覚がハッキリしない。長いような、短いような。

どうやらハッキリしないのは、時間的な距離感覚だけでは

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