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菩提を求め自らの能力を高め悟り、衆生へ教えと慈悲を与える


【上求菩提下化衆生】


智慧を獲得することというのは、悟りを得ることです。
そのための方法として【上求菩提下化衆生(じょうぐぼだい・げげしゅじょう)】の実践があります。


上求菩提とは、菩提を求めて自らの能力を高め悟っていくこと。

下化衆生とは衆生(生きとし生けるもの)を教化し、救っていくこと。


上に向かっては悟りを求めながら、下に向かっては多くの人に対して教えや慈悲を与えていくこと。





これは仏教の言葉で、この二つを行うことが修行であるということですが、

直葉は、これは現代社会においても
とても大切な考えだと思っています。




上に向かっては悟りを求めながら
下に向かっては多くの人に対して、教えや慈悲を与えていくこと。




上のベクトルでは
『悟りを極めていく』という上昇志向を指すのに対し、
下のベクトルでは、一般に広めていくためにどうしても教えを、簡単でシンプルなものにせざるを得ないので、

この二つは
相反することのようにも思えます。



しかし、この両方を同時に伸ばしていくことで
魂の器が広がっていく。

そんな考え方を持っていただきたいと思います。





どちらかが正しいのではなく
どちらも正しい。


スピリチュアル、
つまり霊的に生きる上で、もっとも大切なことと言ってもいいでしょう。




これを別な言い方をすると、進歩と調和の原理です。

進歩と調和というのも、相容れることが難しかったりします。






例えば…

『科学技術の進歩』と『環境』との関係を考えてみてください。


科学技術を伸ばしていくこと
それそのものはいいことですが、自然の調和を崩してしまうことも起こり得ます。



この違う方向性のベクトルを同時にやりなさい、

両方を満たす価値基準をつくりなさい、

というメッセージだと強く感じています。





そもそもこの『上求菩提心』がなければ、
人はこの世に生まれ変わってくることはないでしょう。


この世は何かを学びに生まれてくるところ、


しかし、生まれ変わってくるもう一つの理由というのは『下化衆生』です。

つまり、人との関わり。






どれだけ人と関わり
どれだけ人に優しく
どれだけ人を愛し
どれだけ人を許せるか、

同時にこの部分も試しに来ているのです。





地球的にいえば
進歩と調和の原理が『上求菩提下化衆生』であり、

個人的にいえば
自らの菩提心で悟りを高める気持ちと、
多くの人と関わることによって

自分の愛の器を広げていこうとすること。




つまり、これは自分の魂レベルを高めていくこと、
それと同時に、自分の魂の器を広げていくことです。



この2つの大きな命題が
魂にはあるということです。





悟りを求めるという「自利」と
衆生を教化するという「利他」、

つまり
自利利他の菩提行をさした言葉とも言われます。




自分を磨いていくことは大事だけれども、

同時に共生の精神も磨いていかなくてはいけないという、この世での『魂修行』における課題です。



文字通り『上』と『下』という
相反するベクトルではありますが、実践していくうちに実は、

下化衆生というのは、自分を高めていかないとできないということに気づいていきます。




多くの人や、多くの人の幸せに関わっていこうとした場合、

自分のモチベーションも含めて、自分の能力を高めていかないと、広く何かを届けるというのは難しいことになってきます。



逆に言えば、
自分が高みをつくっていくことによって、それだけ多くの人への感化力というのが高まっていくはずなのです。




しかし、得てして人は向上していくと

他人に厳しくなったり
できない人に裁きの態度をとったり
人をコントロールしてしまいがちです。


これは、
『自己処罰的発想』を持った魂の人によくみられる傾向性です。

自分にも厳しい人で、心がどうしても両極端になっていってしまいます。



すべてを円満に、
すべてを自分が納得できるようにする
といったことは所詮、無理な発想です。



 
大事なことは
時間を止めて考えないこと



相手にこうあってほしいとか、

会社に不満を言うとか、

自分ではどうにもならないことに
注意を払うことを止め

流れて行く時間の中で、

「いつかはこうなっていけばいい」
「きっといつかはこうなっていく」

と考えてみることです。






諸行は、無常

万物は常に変化しています。 



ですから短時間では成らないことも
過ぎ行く時間の中では成っていくこともありますし、

逆にどんなに盤石に思えるものでもいつかは消え行くのです。






スピリチュアルな発想の中では
「執着を捨てる」べきだと言われます。

その究極においては、思いを一点に滞らせないことです。


それが執着になるのです。 


「いつかは…」と信じる心、
暖かく豊かな心を持ち続けましょう。





そのような心を持って

上求菩提とともに
下化衆生を同時に考え、

実践していくべきなのです。



広く底辺にまで愛を広げていこうと思うと
そこに智慧が必要となり、

その智慧がまた愛を広げる
原動力となっていきます。






・誰かの役に立つこと

・人を励ましたり、導くこと



それは、紛れもない「貢献、奉仕」であって
魂の成長になるのです。



「貢献、奉仕」には【神様ポイント】
というものが加算されていき、

どんな貢献をしたのかによって点数があります。





・1点

人のいるところで、いいことをする

・2点

人に優しい言葉をかける

・3点

動物や植物に、優しくする

・4点

人をサポートしてあげる

・5点

人を抱きしめてあげる

・6点

人に無条件で、何かを教えてあげる

・7点

人を受け入れる

・8点

人の悪いところを見逃し、許す

・9点

人の見えないところで、いいことをする

・10点

人の魂を目覚めさせてあげること






長く活躍できるセラピストを
たくさん世に出す✨


これが、私の【上求菩提下化衆生】最終ゴールです。



最後に…



お釈迦様、チャネリングによる直々にいただいたメッセージをお伝えします。





すべての人は、分け隔てなく平等である


私たちは、人それぞれにみんな異なる価値観を持っています。


過去の経験に基づいて創り出す価値観
自分が正しいと思うことは、人それぞれ、

誰もが自分の真実を生きています。




それは、自分の真実であって、

似通っていたとしても、
誰一人として同じではないということを認識することです。



それが認識できたら、

誰が正しい
誰が間違っている

という議論は生まれないでしょう。



それぞれの価値観を認め、
互いを尊重しあう社会が出来上がることでしょう。




また、価値観など何も無くてもいいと思えるようになり、価値観に縛られて窮屈な思いをすることがなくなってきます。

自分で自分自身を制限して、縛っているだけなのです。



柔軟になり、臨機応変に、拘りを捨て、どちらでもOk!
という生き方は、本当に楽なのにも関わらず、そちらを選択せず、あえて悩み苦しむ人間は、本当に不思議で面白いものです。



そうやって不自由さを味わい尽くし、
満腹になるまで堪能しないと分からないのです。

このように、
学び、成長していくのです。



自分が、より多く得ようと戦うことを止め、
奪い合い争わずとも、地球に生まれた者は皆平等なのです。


産まれた環境の違い
民族の違い
国の違い
両親の違い
所有している物質や金銭の違い
容姿や性格の違い
病気の有無、など

全くもって関係ないのです。



ですから、
見える物に囚われ、惑わされませんように。
真実を見る目を曇らせ、目を奪われませんように。



あなたが地球に持って来たものを、大切にし、上手に活かしてください。

分からない…などと言わず、自分自身を良く理解し、歩みを止めずに努力してください。




満開に花開くのも
萎れ枯れるのも

すべては自分次第なのです。



人を羨まずに
妬まずに

それぞれが、自立し責任を持って、
自分を上手に成長・進化させてください。




すべての人は、分け隔てなく平等である


皆、平等に
『幸せになる権利がある』

お釈迦様は、そのようにおっしゃっているような気がしてなりません。








生きとし生けるものすべての命が
幸せでありますように、



スピリチュアルライフコンサルタント直葉

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