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「ボブ・ディラン」を聴いた-------『"ROUGH AND ROWDY WAYS" WORLD WIDE TOUR 2021 – 2024』

 初めて買ったレコードは、ボブ・ディランだった。

 それから、長い年月のあと、初めてライブを見ようと思って、2020年の時のチケットを、思い切って購入したら、コロナ禍で来日が中止になった。

チケット

 そのこと自体を忘れそうになっていた2023年になって、ボブ・ディランが、また来日するのを知った。もっとも高い席が5万円で、ちょっと手が出ないけれど、一番安くても2万円台だった。

 妻と相談をして、1度は見たいと思っていたので、思い切って、予約をあわててして、お金も払い込んだ。

 そして、まだ先だと思っていたのに、時間はいつの間にかすぎ、一週間ほど前に、メールが来た。

 そこには、場内への持ち込み禁止のものが、多く並んでいた。スマホ、カメラ、オペラグラスなど、アーティストの意向で、撮影などは遠慮して欲しい、といったことが書いてあった。

 その中には、スマホを入れる特殊な入れもの(YODER)がある、という自分にとっては初めて知った情報もあった。

 私は、スマホも携帯も持っていなくて、だけど、デジカメは持っていって、その新しい建物なども撮影したいし、その入れ物に入らなかったら、ロッカーに入れることになるのだろうか、などと微妙に悩んで、ちょっと不安が増した。

 ライブが始まっているのに、ラジオで、そのツアーのCMを何度も聞いたから、もしかしたら、まだ席が余っているのだろうか、と思った。

 懐かしい曲ではなく、2020年に出したアルバムを中心にしたライブになるらしい。それは、すごくかっこいいことだと思った。

会場

 東京ガーデンシアターという場所は行ったことがなかったが、東京ビッグサイトで降りる駅と一緒だった。

 そこから、どう歩くのかよく分からないと思っていたら、まだ会場までは距離がありそうな場所から、警備の人がいて、右側通行を強調するのと同時に、道案内をしてくれた。

 この横断歩道を渡って、左に行き、次の信号を渡って、右に曲がってください。

 その言葉通りに歩いていく。そこから見える遠くのビルが変わった形が並んでいて、なんだか未来に見えた。

 新しい東京ガーデンシアターは、外側は、新しいショッピングモールのような四角い建物だった。

 近づくと、また警備の若い男性スタッフがいて、もうそばまで来ていたら、「ボブ・ディランさんの公演はこちらです」と声をあげている。

「さんづけ」なんだ、と思った。

入場

 そこから、階段を上がって、曲がって、列ができていた。
 かなり大勢の人がいる。
 2023年4月16日。午後3時40分。開場まで20分。

 入場の方は4列になって、お待ちください。

 グッズご購入の方は、こちらへどうぞ、とも言われたが、メールで、金属探知機、も使うので、時間がかかる、という注意書きがあったので、もしかしたら、すでに自分の後ろにも人がたくさん並んでいる状態では、購入しに行ったら、間に合わないかもしれない、という小さい恐怖心が芽生えて、何か欲しいとも思ったけれど、そのまま並ぶことにした。

 カメラがどうなるのか、気になる。

 ボブ・ディランの昔のよく知られた曲が小さい音量で流れている。

 またスタッフが回ってきて、グッズ購入の方は、入場前にお願いします。いったん、入場してからの購入はできません。と声がかかる。

 今さら言われても、もう動けない。

 そうしたら、列は、急に前へと動いていく。

 持っていた手帳のペンを落として、拾って、少し後ろになるが、さっき、後ろにいたらしき方が、前へどうぞと言ってくれて、親切はありがたかったが、申し訳ないので、断った。

 そこから、会場に入る前に、まずスマホを袋に入れさせていただきます、というアナウンスが聞こえてくる。

 階段を降りて、そのテーブルに行き、ポット入れのような柔らかい素材の袋があって、私は持っていたデジカメを見せて、スマホもないので、これ入れていいですか?と告げて、相手に、微妙な戸惑いがあったものの、なんとか、その袋に滑り込ませたら、ロックされた。

 どうやって開けたらいいのか分からない不思議な構造。

 そのあとは、金属探知機を近づけられ、持っていたリュックのファスナーを開けてください、と言われ、中を探られ、さらに、持ち込み禁止物を持っていないか、最終的に確認もされる。

 念がいっている。

 そのホールの外側には、ここでボブ・ディランがライブをおこなうことを示すものが何もない。電光掲示板のようなもので、時々、その告知がされるくらいで、そのホールも、窓は、白いシートで中が見えない。

東京ガーデンシアター

 私が持っていたチケットは別の入り口だった。

 振り替え、という言葉を投げられる。

 歩いて行った先には、テーブルがあって、自分のチケットを渡したら、向こうで何かしらの作業をして、手渡されたのは、違うチケットになっていた。

 これは、なんですか?

 いいお席の方に振り替えさせていただきました。

 A席から、S席になった。ありがたい気持ちはあったが、それは、チケットが売れなかったということなのだろうか、と思う。

 さらに、そこから歩いて、エスカレーターで3階まで上がり、自分の席を探す。

 前から2列目。ステージは、比較的、見やすい角度だった。

 ただ、距離はある。50メートルくらい先、という印象だった。

 左隣に、私よりも年上と思われる初老の男性2人。何か、音楽的な用語を交えて話をしている。右側も、白髪で、その周りは年齢層は高い。

 まだ時間はある。

 午後4時20分。いったん外へ出て、トイレに行ったり、汗をかいたので、シャツを着替えようと思った。

 もう少し時間が経ってから、トイレに行かないと、と思い、ロビーのベンチに座り、本を読んでから、広いトイレに行き、シャツも着替えた。

 もし、始まったら、と急に焦って、席に戻ったら、開演20分前だった。

 さっきは、ガラガラだったけれど、人がいっぱいになってきている。ただ、自分がいる上の階は空席で、だから、前に動かしてくれたんだと思う。全体で、どのくらいが空いているのだろう。

 そういえば、上から、アリーナ席も見えるけれど、数千人が、ライブ前の時間に、誰もスマホを使っていない光景は新鮮だったけれど、でも、20年前には、たぶん、こういう風景だった気がすると、思い出そうとするが、ライブにもコンサートにも、ほとんど行っていなかったから、記憶自体が存在しないことに気がつく。

 私より、前の席の女性は、小さい双眼鏡を手に持っていた。

ボブ・ディラン

 午後5時になろうとする時に、拍手後、ボブー、という声が響く。

 どうやら、その歓声の中で、ボブ・ディランを呼び込もうとしていたようで、会場全体も、そんな空気になりかかった頃、音が大きくなって、ボブ・ディランも入ってきたようだった。

 ただ、3階からだと遠く、顔もはっきりと見えない上に、ステージ上が薄暗い。しかも、ボブ・ディランがいる中央付近が、もしかしたら、一番、光が当たっていない。

 こんなに見えないコンサートは初めてだった。大きい画面もないから、そのまま、コンサートは始まる。

 音が響き、リズムとメロディーが奏でられ、まだ始まらない、と思ったころに、歌声が響く。

 あのボブ・ディランの声だった。

 これまで、限りなく耳にしてきたはずの録音媒体を通しての声と、同じだった。

 ただ、とても強い声だった。確か、80歳を超えていたはずだったのに、そして、今のところの最新アルバムの曲のようだ。この前、聞いた。ボブ・ディランだった。

サンキュー

 とにかく、淡々と、歌い続ける。
 かといって、こなしている感じもなく、ずっとボブ・ディランだった。

 遠くて、暗くて、顔や姿はよく見えないままだったけれど、歌はずっと聴こえてくる。声は安定して強いままだ。

 どんどん歌うから、時間の進み方の割には、曲が多い。
 気がついたら、たぶん、8曲くらいは演奏されていた。

 45分ほど経って、曲が終わった後、「サンキュー」と、ボブ・ディランは言った。

 そのあとに、バンドのメンバーの紹介が始まる。

 ボブ・ディランが名前を伝え、楽器名を言う。
 〇〇〇〇、スティールギター。
 その行為を繰り返しているだけだったけど、品が良かった。

 さらっと全員を紹介し、また、曲に戻る。

 声は、ずっと安定して強い。

 2020年のアルバムを中心にすると、曲の並び方によっては、変化が少なめに感じそうだと思っていたら、隣の男性は寝ていた。

歴史

 目の前、というよりも、かなり遠い場所で、顔もはっきりと見えないところにボブ・ディランがいて、それでも声はマイクとスピーカーを通して、ずっと届いていたが、不思議な気持ちになった。

 どうして、あの人が、世界的な人であり続けているのだろう。

 自分が、その名前を知った頃は、世界中の人が知っている伝説の人だった。最初は1960年代にプロテストソングを歌うフォークシンガーとして人気になり、その後、ロックシンガーに転向した時は罵られ、それでもまた、1970年代にピークを作った。その後も、作品は発表していたが、迷走とも言える時期があったらしい。

 1980年代に、チャリティーとして、本当にスターといえるミュージシャンが集まったことがあった。

 そこにボブ・ディランも参加していたのだけど、そのメイキングの中で、ボブ・ディラン自身が、スティービー・ワンダーに、自分の歌い方をレクチャーされているような映像が残っていて、それほどの混乱があるのだろうかと思った。

 ただ、世界中に知られるような存在になるのは、おそらく自分だけの力だけでは無理で、様々なものに選ばれるようなことが必要で、そして、そんな状態は、その人たちしかわからないけれど、想像以上の大変さがあるのだと思う。

 だから、若くして亡くなったり、ドラッグに溺れたり、長く、そのポジションでい続けるのは、とても難しい。もし、なんとかとどまったとしても、過去の遺産で食い繋ぐような形になることも少なくない。

 それほど熱心なファンでもなく、ずっと追いかけていたのでもないから、何かを語れる資格もないのだろうけど、ボブ・ディランは、ただ生き延びるだけではなく、60歳を超えた2000年代に、またピークをつくる。

 このアルバム↑はビルボードチャート1位になった。

 その後も、2010年代になっても、新しさもあるような楽曲を提供し、さらには、フランク・シナトラが歌っていたスタンダードナンバーをカバーする中で、美声ともいえる歌い方もした。さらには、ノーベル文学賞までとった。

 すごく自由になっていったのだろうか。

 ただ、人の注目を過度に浴び続けることの怖さのようなものは、誰よりも知っているはずで、すでに人に知られているのだから、これ以上、必要以上に知られないように、過剰とも思えるほど、映像を撮られることにも警戒し、ライブも徹底して音楽を届けることに集中しているのかもしれない。

 デビューして60年だから、その年月を、限られた人しか体験できないような時間を、ずっと歩み続けた人が、少し遠いけれど、それでも、同じ空間で演奏を続けている。同世代のスターの多くは、すでにこの世にいないのに、ボブ・ディランは、昔のボブ・ディランではなく、今の人として歌っている。

 歴史が歌っているような気がした。

 そういう人がいるのが、改めて信じられないような気持ちになる。

 しかも、長い歴史を振り返らせたり、聴衆を懐かしい「あの日」に帰らせるのでもなく、歴史の流れの先としての現在を、ずっと、提示しているようだった。

 だから、少し感覚が揺らいでいたのだと思う。

タイムマシーン

 歴史はどれだけ長くても、今の時間は今しかない。

 気がついたら、さらに時間は過ぎて、ずっとボブ・ディランは歌っていた。

 午後6時30分頃。

 ボブ・ディランは、この日、2度目の「サンキュー」を口にした。

 ずっと、現在にい続けて、今、伝えたい新しい曲を演奏し、聴衆の多くが知っているような、あの時代の懐かしい曲は、歌わない。

 自分がタイムマシーンに乗らないし、聴衆にも乗せない。

 長い歴史をもとに存在し、歌っているけれど、ずっと現在にいた。
 そんな人は、他にはいないかもしれない。

 おそらく、最後の曲が始まる。

終演

 アリーナ席のかなり前方に、大柄な女性がいて、ずっと熱狂的に振る舞っているのは、3階席からでも分かった。

 演奏が始まると、立ち上がって、前へ移動し、一番前の左側に行き、客席側を向いて、自分が率先して会場を盛り上げようとし、腕を振り回そうとしたところで、場内警備のスタッフから、両手でバツを出されると、あやまるように頭を下げて、すぐに自席へ戻った。

 ボブ・ディランの声は変わらずに強いままだ。年齢のことを語ると、なんとなく怒られそうだけど、80歳を超えた人の声ではない。シンプルに、まずは、ずっと歌い続けている結果なのだろう。

 ボブ・ディランの顔は遠いし、ステージも薄暗くて、正直、よく見えなかったが、声はずっと届いていた。それは、近くに感じた。

 そして、ハーモニカを吹き始めたら、それだけで歓声が上がり、さらには、その音色が思ったよりも、とても強く響いた。

 曲が終わった。

 拍手が続く。

 ボブ・ディランが立ち上がる。少しよろめくような動きに見えたが、初めて、光が当たるステージの場所に来てくれて、小さくしか見えないけれど、ボブ・ディランだと分かった。

 こういう時、ただ、聴衆を凝視するらしいけれど、遠くからは、少し表情が動いたようにさえ見えた。

 ご神体のようだ。

 ボブ・ディランは、この日の、この光景を、しっかりと目に焼き付けて、また歴史を蓄積させているのかもしれない。

 そのまま、ボブ・ディランを含むバンドメンバーは、ステージから、あっさり引き上げて、拍手が起こりかけて、すぐに場内の照明がつく。

 約1時間45分。ほぼ時間ぴったりに始まったライブは、終わった。

 ボブ・ディランを聴いた。それだけは確かだと思う。

 何十年の年月の蓄積がそこにあったはずで、でも、何しろ、今だった。

 俺は、歌い続ける。おまえはどうする?
 そんなシンプルなことを聞かれた気もした疲労感なのかもしれない。

 現実的には、もう次はないかもしれないが、ボブ・ディランは、何年後かに、また日本にもやってきて、歌う。終演直後には、そんな姿が、確かにイメージできた。

帰り道

 会場を出る時に、号外と、チラシを渡される。チラシの束の一番上は、ポールアンカだった。年齢層に合わせているのだろうか。

 会場の外へ出て、やっぱり、グッズも買いたいと思ったが、すごく混んでいて、あきらめる。

 さらに、外へ出たら、選挙カーから、もっと開かれた江東区を、という声が聞こえてくる。ここは、江東区だった。選挙も近づいていたのだった。

 
 この何時間かの時間の流れ方が、やっぱり独特だったように改めて感じたのは、なんとなく日常に戻ってきたように思えたからだ。何十年も前から、ボブ・ディランは歌っていて、とても多くの人に伝えていて、それが、今日の、このわずかな時間にも影響を与えていたのだと思う。

 帰りも警備のスタッフがいて、誘導されるように歩いたら、行きとは違うルートで、同じ駅に着いた。どう歩いたのか、わからなかった。

 駅に着く。

 ホームで、ボブディランのトートバックを下げた白髪の高齢男性と、女性が電車を待っていた。夫婦らしき会話をしている。今日のライブのことを話していて、どこかは3分早く始まったらしい。スマホを見て、今日は1分早く始まった、という話をしていた。

 こうした光景も含めて、他ではできない経験だった。





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