見出し画像

読書感想 『遅いインターネット』 宇野常寛  「これからのオーソドックス」

 宇野常寛が、久しぶりにラジオで語っているのを聞いた。

 考えたら、宇野氏は、ラジオでレギュラー番組を持っていたし、ワイドショーのコメンテーターまで務めていた時代があったことを思い出し、その発言も気になっていたし、最近の著作を読んでいないことに気づき、失礼ながら改めて読もうと思った。

『遅いインターネット』  宇野常寛

 これまでの30年の日本がダメだという指摘は、とてもたくさんされてきて、ただ、それは、おそらくは、この30年だけではなく、その前から続いてきたことだったし、ダメというだけではなく、その前からの構造に対して正確な見立てができていないと、その指摘自体に意味がないのに、とは思ってきた。

 この著書の比較的冒頭で、この30年のことが改めて振り返られているのだけど、日本の組織からの距離感が近すぎず、遠すぎないで、しかもこれだけ端的に正確に描かれている文章はあまり読んだ記憶がなかった。

 かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と讃えられた日本的な経営は、いまや個人の個性を抑圧し、才能を潰し、組織の歯車にすることで、情報産業を支えるイノベーションを阻害するための仕組みでしかない。そしていまでもこの国では成果ではなくメンバーシップに対して報酬が支払われる制度が生き残っている。会社への忠誠心を測る基準として残業時間が評価され、「打ち合わせ」という名の上司や取引先への愚痴大会が稼働時間の大半を占め、その不毛で陰湿なコミュニケーションがそのまま夜の「飲み会」に反映される。こうしたコミュニケーションのためのコミュニケーションを反復する中で、人間は「個」を失い、独創性的な思考を失い、組織の歯車となっていく。

 この本が発売された当時「遅いインターネット」というタイトルを知って、速さとセットになっているような概念に、あえて「遅い」という形容詞をつける、いわゆる「逆張り」のような印象を持ってしまい、読むのを避けていた自分の印象を思い出した。

 ただ、こうした「この30年」に関する冒頭の文章を読んで、その判断自体が恥ずかしながら間違っていたし、著者・宇野常寛氏は、これまでを振り返りながら、これからを本気で考えようとしていると感じた。

 これからをなんとかしようとしないと、本当にどうしようもなくなる。
 そんな基本的なことも、読み進めるほど、改めて思い出した。

「壁」があるところ

 この10年ほど、まるで時代が逆戻りするかのような動きが、地球上のあちこちで発生していて、それは、どこか絶望的な気持ちにつながったりもする。

 ただ、そうした「逆戻り」に感じるのは、どうしてなのか、と考えると、時代が進めば、人類はより自由に、平等に、そして、より幸せになっていくのではないか。

 そんなことをどこかでぼんやりと信じていたから、「分断」が明らかになり、差別的な言動が、権力者から連発されるようになっていくのは、「逆戻り」に思えてしまうのだけど、でも、それは、いろいろなことに注意深くなれば、自然な流れなのかもしれない。そんなふうに、著者は思わせてくれる。

 例えば、トランプがアメリカの大統領に選ばれた時、シリコンバレーで働いているいわゆるエリートたちは、嘆きながらも、その言動は、とても似ていたと著者は書いている。

 こんな状況になっても、絶望することはない。グローバルな我々には、国民国家は関係ない。アメリカが不自由な場所になったとしたら、世界の他の場所に行けばいい。

 彼らの主張は概ね、正しい。しかし正しいからこそ、彼らは決定的なことを揃いも揃って見落としている。自分たちは既にあたらしい「境界のない世界」の住人であり、旧い「境界のある世界」のルールなどもはや関係ないのだと語るこの「語り口」こそが、トランプを生んだのだ。そのことに彼らはまるで気がついていない。彼らの「語り口」とその背後に渦巻くものこそが、トランプが述べるものとは別の、そしてより決定的な「壁」を再生産してしまっているのだ。

 その「壁」は、こうした場所で発生しているようだ。

 あたらしい世界の「Anywhere」な住人たち(グローバルな資本主義のプレイヤー)は、無意識のうちにこう述べてしまっている。君たち「Somewhere」な人々(ローカルな民主主義のプレイヤー)はもはや世界に素手で触れることはできないのだ、と。世界に革新をもたらし、人類を前に進め、パイそのものを増やすことができるのは自分たちのあたらしいビジネスとテクノロジーであり、民主主義によって国家を操縦し、適切な再分配を求めることは(必要なことかもしれないが)副次的な問題に過ぎないのだ、と。あたらしい世界、「境界のない世界」に生きる自分たちにはもはや民主主義のような旧い世界のシステムを必要としていないのだと。この主張が、民主主義というゲーム上で支持されることが果たしてあり得るだろうか? 

 だからこそ、民主主義は、「逆戻り」のような動きに見える。だけど、これは、ここまでの流れを検討しみれば、避けられないことのようにも思える。

 いま、民主主義にコミットするインセンティブがあるのは主に時代に取り残された「Somewhere」な人々であり、より排外的でナショナリスティックな人であるほど、その動機は強くなってしまうのだ。

著者の提案

 これは、ある意味で絶望的な結論でもあるのだけど、ここからどうしていくか?について、著者の思考は、さまざまな場所や人や試みを参照しながら、提案という未来の思考へと進んでいく。

 例えば、民主主義の決定権を狭めること。

 すでにドイツでは、憲法の中で「改正できない条項」が存在しているのだから、これは、不可能ではないかもしれない。

 
 これからの未来を考えるときに、吉本隆明に注目すること

吉本がおよそ半世紀前から一貫して「日常×自分の物語」の領域へのアプローチを考えてきた思想家だからだ。

 その「思想」の実践としての糸井重里の「ほぼ日」本質と、その可能性と限界を考えること。

「ほぼ日」は、20世紀末の消費社会においてインターネットというモノではなくコトを用いる装置で、人間に「自立」をそっと促すメディアとして誕生した。
 だが今日の、上場後の「ほぼ日」は違う。
「株式会社ほぼ日」として、糸井重里引退後のブランド継続を視野に入れた上場を成し遂げた今日の「ほぼ日」は、事実上のEC(インターネット通販)サイトだ。
間違えてはいけない。変質したのは糸井でもなければ「ほぼ日」でもない。僕たちの生きる社会のほうだ。

 そして、もちろんインターネットについてもたっぷりと触れている。

「遅いインターネット」へ

 インターネット上で、本格的に、誰もが発信できるようになった歴史は、それほど長くはない。

 20年前は、まだ限られていたし、誰もが、という印象になったのは、ツイッターが登場し、アイフォンも誕生した200年代後半以降だから、それから15年ほどしか経っていない。

 そして、当初は希望と共に語られていたはずの、インターネットの希望のない現在も、著者は、かなり正確に描写している。

 現在のインターネットは人間を「考えさせない」ための道具になっている。かつてもっとも自由な発信の場として期待されていたインターネットは、いまとなっては、もっとも不自由な場となり僕たちを抑圧している。それも権力によるトップダウン的な監視ではなく、ユーザーひとりひとりのボトムアップの同調圧力によって、インターネットは息苦しさを増している。
 一方では予め期待している結論を述べてくれる情報だけをサプリメントのように消費する人々がいまの自分を、自分の考えを肯定し、安心するためにフェイクニュースや陰謀論を支持し、拡散している。そしてもう一方では自分で考える能力を育むことをせずに成人し、「みんなと同じ」であることを短期的に確認することでしか自己を肯定できない卑しい人々が、週に一度失敗した人間や目立った人間から「生贄」を選んでみんなで石を投げつけ、「ああ、自分はまともな側の、マジョリティ側の人間だ」と安心している。

 この現状は、15年経って得られた「結果」だと思うし、そうした変化自体が「速い」のもインターネットの特徴かもしれないが、それを踏まえた上で、著者が提案しているのが「遅いインターネット」だった。

 そこで、僕はひとつの運動をはじめようと考えている。「遅いインターネット計画」と呼んでいるそれは、あたらしいうウェブマガジンの立ち上げと、読者に十分な発信能力を共有するワークショップが連動する運動だ。

 ここからの具体的な内容については、本書を読んでもらいたのだけど、それは個人的には、思った以上に誠実でオーソドックスな方法だった。それは、「書くこと」と「読むこと」を中心にし、人間が主体的に考えることを取り戻すための、地道な実践でもあった。

おすすめしたい人

 SNSに疲れてしまった人。
 
 未来に不安しかない人。
 今への違和感が言葉に出来そうで出来ない人。

 これからのことを少しでも考えたい人。

 おそらく、そうした幅広い方にオススメできると思います。私もそうでしたが、タイトルなどを見て、自分には関係がないと感じた方にこそ、必要な作品だとも思いました。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




#推薦図書    #読書感想文    #遅いインターネット   #宇野常寛

#ラジオ   #本    #壁   #民主主義   #読むこと #書くこと

#これからのオーソドックス   #基本的な方法   #インターネット

#SNS       #毎日投稿




この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。