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なんのコネも実績もなく無職なのに、「独立行政法人 役員募集」に応募しようとした自分の混乱。

 今、振り返ってみても、どうして、そんなことをしようと思ったのか分からないのだけど、新聞に小さく出ていた「独立行政法人 役員募集」の四角い広告を見て、応募しようと思って、電話で問い合わせたことがあった。もう10年以上前のことだった。

 それだけ、気持ちとしては追い詰められて、焦ったり、どうしていいのか分からなくなっていて、思った以上に混乱していたのだと思う。

独立行政法人

行政代わって政策実施一部担当するために設立され法人のこと。

 とても、大仰な話であって、普段だったら全く関係があるとは思えない組織だった。

 その新聞広告を見て、申し込もうと思った時には、自分も病気になって、仕事も辞めて、介護に専念してから10年ほど経っていた時だった。それに加えて、自分でも介護者支援をしようと思って、その支援職のために資格を取ろうと思って、学校へ入ろうと思って受験をし、一度、失敗をして、もう一度チャレンジしようと考えて、勉強は続けていた頃でもあった。

 だけど、なんだか、うまくいかず、11月になっていた。ただ介護をしていて、なんの収入もなく、将来のことを考えると、何もない無職の中年男性として、ただ真っ暗になっていて、その一方で、2000年から介護保険が始まって、それを利用しないと、在宅での介護も難しいのはわかっていて、だけど、介護保険が5年ごとに「改正」されるたびに、サービス抑制の方向にしか進んでいないのに、さまざまな言葉によって、何かあいまいにされている気がしていて、根深い怒りはずっとあったのだと思う。

 2005年の介護保険の「改正」の際に、何がおかしいのか?を、家族介護者の立場から、A4で何十枚も書いて、説明会でも配ったし、国への意見として提出したこともあった。

 まったくの無力なのもわかっていた。どれだけ伝えようとしても、最初から無視する視線や態度は、とても嫌なものだというのも分かった。

 だから、どこかで、何か政策に近いような場所に関わらないと、介護に関しては、何も変わらないのではないか、と絶望に近い思いもあったのだと思う。

電話での問い合わせ

 「独立行政法人」の役員を募集していて、そこに申し込もうとしたりしたのは、どこかで、自分も社会に生きていることを証明したい気持ちがあって、それを早く形にしたい、というようなちょっとあせりに似た気持ちもあるのかもしれない。

 ただ、自分でも無理だろうとは分かってはいた。

 冷静に聞こえるような声を出すように、ということを少し練習をして、説明だけでも聞こうと、新聞に書いてあった、内務省かどこかへ電話をしたら、「今は話し中です。お待ちしますか?かけなおしていただけますか?」という女性の声は、でも、いったん切ってくれ、と言う微妙な圧力を感じ、さらに、名前まで聞かれた後に、電話を切った。

 しばらく時間がたってから、またかけて、今度は新聞にのっていた内線の番号を言うと、「応募ですか?」と聞かれた。それに「そうです」と答えると、また人がかわった。

 若く、ちょっと冷たく感じる男性の声だったが、反応は早かった。

「新聞を見たのですが、今回の応募の制限はありますか?」

「任期が終わった時に、65歳未満という条件だけです」。

「それぞれの独立行政法人で、それぞれ募集している、という事ですか?」

 「そうです」という相手の声は、さらに何か話そうとしていたのだが、それが始まったら、自分の応募ができなくなる話になりそうだったので、申し訳ないのだけれど、その前に聞こうとした。

 今の自分の、介護をしている立場を語り、そして、この経験を生かせるような法人を教えていただきたいのですが。というような質問をすると、『そういった経験を生かせるかどうか分かりませんが、今回、必要なのは、役員として組織を運営していく「能力」です』と、また素早い反応が返ってきた。

 それで、一応尋ねてみる。

「じゃあ、そういう管理職などの経験がないとダメなのでしょうか?」

『いえ、あくまでも「能力」です。経歴ではありません』と「能力」を強調する答えが返ってきた。

 気がついたら、こちらも早口になっていた気がする。

「分かりました。それならば、法人の中で介護なり、福祉なりに関係するところを教えてください」

 少し調べた気配もあったけれど、本当に短い時間で「福祉医療機構がありますが」という答えがかえってきたので、「どんな組織ですか?」と聞いたら「3000人くらいの人間がいて、そこを運営できる人を募集しています」と、また早い反応だった。

 最小限のことしか知らない、無知な人間に対しての対応としては、それ以上の回答はないだろうし、逆に、これ以上、時間を使いたくない、という圧力も感じたので、「分かりました。ありがとうございました」と言って電話を切った。

 相手が頭がいい人なのは、分かった。

自分の中の検討 

 自分のどこかから、出来るんじゃないか。という声も聞こえた。

 少なくとも、応募して判断するのは向こうだし、とも思った。でも、3000人の生活がかかっているわけだし、外部に位置して意見をしたり、監査をしたり、という立場ならばともかく、運営していく、というのは自分が、こうしたい、という意志とはあまり関係がないし、やるならば24時間態勢で運営する人にならないと、最初から無理だし、介護を続けている自分では、不可能だった。

 それは。最初から分かっていたはずだった。

 本当は問い合わせをする前に、自分の中で検討すべきことなのだろうけど、いろいろと一応、考えが回って、今回はやめる事にした。と妻に言った。年収1500万円。1年でも2年でも働いて、それを貯金し、これからの事に役立てたい、という気持ちがあり、それだけの収入を得られるチャンスなんてほぼないから、という理由もあった。

 その発想ができること自体、冷静さを失っていたのだけど、それは、その時には分からなかった。

 介護を始めてから、いろいろな無理解にさらされ、孤立感に蝕まれていて、この10年の事を見返したい、という誰に向けるのでもない怒りみたいなものがあって、それはこの何日間か前に、私が、こうしてただ介護をしている10年間に、その同じ年月に社会で働いている人たちに会って、どこかで張り合う気持ちが知らないうちに芽生えていたのかもしれない。

 自分も何かしらの蓄積を作らないと、このまま歳をとり、ますます何も出来ないまま死んでいく事になるんではないか。働き盛りと言われる年代に、ずっと介護をしていた事は、やっぱり狭い範囲で、家族にはほめられたりしても、他の場所では何もないまま死んでいくことにつながる人、みたいに見られているのではないか。というような恐怖に近い気持ちや焦りがやっぱりあって、それで、応募してみようという気持ちになったのかもしれない。

 ただ、それは、だけど、こうした応募があるたびに、何人かは問い合わせがある、変な人として処理されたのだろうと思っている。

 今の自分でも、この問い合わせ自体を、どうしてしてしまったのか、よく分からない。

「天下り問題」

 その電話の時に名前が出た「医療福祉機構」は、どうやら、資金の貸し付けをするような組織だし、自分が思っていた「家族介護者支援」とは、おそらくは直接、関係があるようなことでもなかったのだと思う。

 それに、明らかに大きい組織でもあるだろうし、もちろん採用もされるわけもないけれど、こんな組織の「役員」を務める「能力」に関しては、組織で務めた年数も少ない人間には、想像もできない。

 さらに言えば、「独立行政法人」といえば、少しでも世の中を知っている人ならば、すぐに「天下り問題」という言葉が浮かぶようなので、なんのコネも実績もない人間が採用される可能性は、全くの0%なのを知っているから、問い合わせというか、応募しようとすら思わないことも、こうした記事↑を読むと分かるから、自分が、どれだけ無知なのかを改めて知った。


 そうなると、逆に新聞に応募広告が出ることすら不思議なのだけど、この時期は、民主党が政権を担っていた時で、事業仕分けで「独立行政法人」が話題に上がっていたし、もしかしたら、外部から人材を採用する、という狙いがあったのかもしれない。


 そう考えると、今は、こうした募集広告が出ること自体が、さらに考えにくくなっているから、なんのコネもなく、実績もない人間が、応募しよう、と思って、問い合わせをできたたこと自体が、かなりレアな経験だった可能性もある。

 それは、「優秀な官僚」という、自分とは無縁の存在の気配に、ほんの少しだけ触れられた経験だったのかもしれない。




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