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読書感想 『平熱のまま、この世界に熱狂したい』 宮崎智之  「誠実で、切実で、正確な等身大の願い」

 気がついたら、何年も聴いているラジオ番組があって、そこに自分にとっては知らない人が出演していることも少なくない。失礼なことだと思うけれど、そこでの話を聞いて、興味を持って著書を読むことがある。

 宮崎智之氏も、その一人だったのだけど、自信があるように話す人たちが多いのに、その出演者の中で少し引っ込んでいるような、まだ考えが固まっていないまま、それでも話そうとしているあり方が、興味をひいた。

 その時の、試行錯誤が、自然に現れているような姿勢を、その著書を読んで、思い出した。

『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』 宮崎智之 

 「ぼくは強くなれなかった」が、1章のタイトルになっている。

 今の時代は誰もが「何者か」になりたくて仕方ない思いを抱いているように見える。
 しかし、「何者か」とは、いったい何者なのだろう。後世に残る芸術作品をものにした人を指すのか、偉大な起業家で富を築いた人を指すのか、それともツイッターで何十万フォロワーを獲得した人気者を指すのか。人によって定義はまちまちだが、誰もが頭の中に追い求める「何者か」がいて、その「何者か」に常に急かされながら生きている。少なくとも、ぼくにはそういった感覚がある。

 「何者か」になる、というのは、言葉を変えれば「強くなる」ということでもあり、「強くなれなかった」というタイトルがあれば、どこか自分自身を卑下するような、それこそ闇堕ちするような、外れれば外れるほど魅力を増す部分もあるから、そんな方向に話が進み、自分はこんなにダメなんだ、という言葉が連発されそうな流れを予感させる。

 著者は、離婚を経験し、その後、アルコール依存にもなり、急性膵炎で入院もしている。

 もちろん、それは本人にしか分からない大変さや辛さもあってのことだし、こんな短くまとめてしまうのは失礼なのだけど、著者は、その体験を、自分しか分からないこととして書くのではなく、また、辛さを強調して表現するのではなく、ポジティブに寄りすぎるのでもなく、切実でありながらも、誠実に、そしてその心境をできる限り、正確に表そうとすることで、静かに開かれた作品になっているように思う。

 ぼくが断酒してからまず取り組んだのは、目の前にある生活を見つめ直すことだった。かつて見えていたものをもう一度、見ようとすることだった。以前のようにクリアに見えることはもうないのかもしれない。でも、自分以外の「何者か」になろうとするよりも、すでにあるもの、あったものを見て、感じることのほうが、自分の人生を豊かにできると確信できるようになった。

 それは、さまざまな辛い体験を経たからこそ、見えるものでもあるのだろうけれど、実は、それ以前から著者にとっては、微かに気づいていたことが、改めて明確に感じるようになった、という成長の過程のようにも思えた。

 ぼくは、離婚を経験するまでは自分は心が強い人間だと思っていた。どんなことも理性と知性の力で乗り越えられると信じていた。そうできない人は、努力が足りないのだと思っていた。もしかしたら、今でいう「自己責任論」なんかにも加担するタイプだったかもしれない。  

「弱さ」と「身近さ」

 この作品の中で、「弱さ」と共に「身近さ」が、大事な言葉として何度も登場する。

 身近なこと、卑近なこと、日常的なことばかりに目を向けるスタンスを批判する人もいる。そういうタイプの人の目を、もっと広い世界に開かせようとする人もいる。その批判には一理ある。でも、ぼくは思う。身近な他者の痛みに敏感ではない人が、日常生活の機微に美しさを見出せない人が、かつての自分のような人が、本当に社会や世界のことなんか考えられるのだろうか、と。 

 著者の変化や成長の過程と偶然にもシンクロしているのだけど、執筆の時期が、コロナ禍と重なっている部分もあって、この身近なことや、日常的なことの重要性は、外出が難しくなった時期を経て、より見直されるようになってきていると思う。

 そのことが、この作品への距離感を、近く感じさせてくれる要素になっているような気もするし、気持ちの中には、重さも暗さもあるのだけど、そこから目を背けることもなく、さらに、そのことを忘れ去ったりせず、それらを十分に抱えながらも、それでも次へ進もうと決意したことで、そこにわずかな光が生まれ始めているように思う。

 誠実であることは、弱いままであっても、力になる。それは、自分が踏みにじられないための、もしくは、誰かが踏まれそうになった時に、その人を支えるために、必要なだけの力になるような気がする。

 この書籍を読み進めていくと、そんな気持ちになってくる。

 脅す言葉でも、煽る言葉でも、奮い立たせようと鞭打つ言葉でも、はたまた諦めを誘う言葉でもなく、少しでも「この世界も、あながち悪いものではないかも」と思える言葉を、ぼくは探している。情報を伝達する役割は、言葉の持つ一つの側面にすぎない。人間は言葉に癒され、慰められ、言葉によって世の中の見え方が変わることもある。そんな実感がこもった言葉をぼくなりに文章にしたのが本書である。

 著者にとっては、ここから始めるための、押しつけがましくないけれど、願いであり、誓いのような作品なのだとも思う。

コロナ禍以降の読者

 ここには、すぐに分かることは書いていない。
 読んで、明日から役に立つノウハウもない。
 派手さもなければ、すぐに元気も出ない。

 コロナ禍のなかで、これから、どうしたらいいのか。
 アフターコロナは、元の世界に戻ったほうがいいのか。
 今、変わってしまった世界で感じている戸惑いは、本当に、コロナ以前にはなかったのだろうか。

 そんな微妙な悩みや違和感を持っている方には、ぜひ、本書を手に取って、少しゆっくりした気持ちで読むことをおすすめします。

 読みながら、考え、また読み進めることを繰り返す時間のなかで、わずかですが、内面の変化が始まることに寄与するような作品だと思っています。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)



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