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「マスク」のことよりも、「丁寧に説明」してほしいこと。

 新型コロナウイルスは、その扱い方について、5月に「2類」から「5類」に移行するだけではなくて、その名称も変わるらしい。

「コロナ2019」という名前にすると、今は2023年だから、まだ感染が収束していないのに、かなり過去のものという印象にはなる。

「ノーマスク」への誘導

 今、「コロナ」に関して、もっとも多く議論されているのは、「マスク」のことのように思える。それも、「個人の判断」と表現しながら、暗に、はずすことへの誘導がされているような気がする。

 では、なぜこのタイミングで政府から「ノーマスク」の方針が出てきたのか。
 「政権浮揚と、5月のG7(先進7カ国)広島サミットを成功させるために岸田首相は政治的な賭けに出た」と指摘するのは政治ジャーナリストの泉宏氏。「もともと首相はウィズコロナによる経済再生を掲げ、コロナ政策を転換する時期を探っていた。政府内には『G7で各国首脳にマスクを着けさせて記念撮影するのか』という声もあった。準備などを考えると、1月に方針を打ち出すしかなかった」と分析した上でこう懸念する。「多くの地方では、まだコロナの流行が収まっていない。首相の決断がうまくいくのか、裏目に出るのかは分からず、危険な橋を渡った」

 これは、2023年1月の記事だけど、もし、この政治ジャーナリストの推測が本当だとすれば、G7でマスクをするかどうかという「見栄え」のような理由で、人の命に関わることを決断したことになる。

 そこに、社会の中で、重症化のリスクが少ない人の、マスクをはずしたい主張が後押ししてきたのが、この2か月のような気がする。

 感染しても、軽症で済むような、健康で老いていない人にとっては、コロナ禍の丸3年が経って、いい加減、マスクをはずしたい、という気持ちは、わかる気もする。

 そんな「空気」が、「ノーマスク」への誘導として感じられるのかもしれない。

マスクをめぐる議論

コロナ対策においてマスクが無意味なことは、もはや明らかである。持って回った内容の文書で事業者や国民をむやみに混乱させるのではなく、政府やメディアがアナウンスすべき事柄は、端的に以下の3点だと考える。

【1】新型コロナ感染症は空気感染することが定説となったが、マスクでは感染が防げない。ウイルスは不織布マスクの網目より圧倒的に小さいのだから防ぎようがない。なお「着用しないよりマシ」論は、不要。むしろ着けることのデメリットのほうが多い。
【2】日本ではもはや、効果うんぬんではなく、「他人の目」対策でマスクを着用しなければならない空気になっている。そうした風潮は、もう終わりにしよう。
【3】「マスクを着けていない人」のことを恐れる人々に、これ以上、社会全体が合わせる必要はない。

これらのメッセージを発したうえで、「着けたい人は着けてください、着けたくない人は着けなくて構いません。皆さんの自由です」で終わりにすべきだったのだ。

 こうしたマスクは無効とする後ろだてに、「コクラン」に掲載された論文のことが頻繁に登場する。

 ニューヨークタイムズのコラムニストであるブレット・スティーブンス氏は、2023年2月21日の電子版で「The Mask Mandates Did Nothing. Will Any Lessons Be Learned?」というコラムを発表した。  タイトルを和訳すると「マスクの義務化は意味がなかった。ここから何か教訓は得られるのか?」となる。同コラムは、イギリスの権威ある医療・予防情報提供組織「コクラン」に、「新型コロナウイルスの対策として、マスクには効果がない」と示す論文が掲載されたことを受けて著された。  

 これまで発表されてきた「マスクには効果がある」と言い張る論文などは、そう主張するために都合のよいデータを集めて書かれたものにすぎない。今回、コクランに掲載された論文は、世界61万827人が参加した78のRCT(ランダム化比較試験:もっともバイアスがかからないとされる試験。そのうち6つは新型コロナ関連)をベースにしたものだ。

 その一方で、「マスクには感染予防効果がある」という論文も存在する。

 この研究は州の方針変更から約15週間の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)発症率を、解除した学校と継続した学校で比較している。

ボストン市近郊の72学区を分析対象とし、通学している生徒29万4084人と教職員4万6530人が含まれる。観察期間は州の方針変更が発表された2022年2月28日から6月15日まで。主要評価項目は生徒と教職員のCOVID-19発症率とした。ルール変更の影響は差分の差分析で評価した。

ルール変更の影響は生徒よりも教職員でより顕著だった。15週間で教職員1000人当たり81.7人(59.3-104.1人)COVID-19患者数が増えていた。検査で感染陽性と判定されると少なくとも5日間隔離するよう指示されるため、生徒は延べ1万7500日通学できなくなり、教職員は延べ6500日通勤できなくなったと考えられる。これらの結果から著者らは、学校でのマスク着用義務解除は明らかにCOVID-19患者数を増やしていたため、2022~2023年の冬シーズンの感染拡大防止策と、マスクを外すための判断基準を明示することが重要だと結論している。

 さらには、医師のこうした言葉もある。

 個人の判断と言われてもお困りでしょう。「マスクを着けなくていい」と思うのは誤解です。過去三年間の知見でコロナの流行を抑える有効な方策が明らかになり、その一つが皆でマスクを着用すること。流行中はマスクを着けた方がよいが、流行状況の判断が個人には難しい。不親切です。

 マスクについては「着ける、着けない」の二元論で語らず、「必要な時には着ける」と考えてほしい。
 必要な時とは「感染しているか把握できない人と、飛沫(ひまつ)が届く二メートル以内で会話をする際、もしくは偶然そのような機会が起きる可能性がある時」です。

 新型コロナは発症前からも、無症状でも人に感染する特徴があり、インフルエンザのように「せきをする人はマスクを」だけでは防げません。自分が感染者かもしれないからマスクで飛沫が飛ぶのを防ぐのが医学的な理由。感染者も感染してない人も全員マスクをするのがリスクを一番減らす良い方法です。

 2023年3月現在、「マスクの感染予防の根拠」について話をしても、「マスクを外す/外さない」に関しては、信じることを信じる、という争いになってしまっている印象すらあるし、「無症状でも感染する」という新型コロナウイルスの特徴については、大事なことなのに、すでにあまり語られていないようでもある。

 だけど、新型コロナウイルスの感染が収束していない以上、もし、マスクを外す人が増えて、再び、感染者が増大し、その結果として、感染死者数が急増したら、どうするのだろうか。誰かが責任を取るか、もしくは、謝罪をするのだろうか。

 ただ、「個人の判断」という言葉が出た以上、この後、どうなっても、それは「自己責任」という話になりそうな気がする。

 それも含めて、やっぱり怖さがある。

海外を基準にすること

 特定の誰が、というのではなく、「マスクを外す」という主張を以前からしている人たちは、その職業や立場や違っても、「海外では、もうマスクをしていない」という言葉を発する場合が多いように思う。

 その具体例として、よく目にした印象があるのは、イギリスの「コロナ対策の緩和」についてだと思う。

ジョンソン政権にとって、「ワクチン開発・接種拡大によるコロナ退治」と「経済・家庭生活の復活」は、国民が強く望む、大きな政治課題である。いつまでも規制が続いたら、国民の不満感が高まり、経済も回復不可能なほどに停滞し、財政出勤の額が巨大となって大きな負債になり、ひいては政権崩壊の芽を作ってしまう。

そこで、この数カ月、「いつ、規制を解除するか」が最優先の課題となっていた。
とはいっても、政治家の判断だけで規制解除はできないので、科学者・医療関係者らとの相談のうえ、毎日のコロナ状況のデータ開示、3回目のワクチン接種への呼びかけを経て、今月末からの段階的解除にたどり着いた、というわけである。


 これは、2022年1月のことだが、その1月の初頭には、イギリスでは、「新型コロナウイルスによる死者が15万人」を超えている状況だった。

ボリス・ジョンソン英首相は、1人1人の死は「その人の友人や周りのコミュニティーにとって、すさまじい喪失」だとして、追悼の意を述べた。さらに、パンデミックによってイギリスは「ひどい打撃を受けた」として、「このパンデミックから私たちが抜け出すには、全員が追加接種を受けるか、まだ受けていない人は1回目や2回目の接種を受けることだ」と、ワクチン接種を強く促した。

 イギリスは、こうして、追悼の意を、国のリーダーとして発した後の、コロナ対策の緩和という選択だった。

 イギリスの例を出すのであれば、少なくとも、コロナ対策緩和政策を打ち出した2023年1月に、日本の国のリーダーも、こうした追悼の意も含めて、意志を感じさせるメッセージを、公に伝えるべきだったと思う。

イギリスの検討と対策

 さらに、イギリスが感染対策の緩和に至るまでには、コロナ禍当初の対策の遅れへの反省から始めているようだ。

 この、コロナ禍初期の2020年6月の記事では、イギリスのコロナ対策の遅れについて、検討が始まっている様子を伝えている。

ただし、東南アジア諸国やカナダ、イスラエル、ドイツなど他国の経験を参照すると、これほど大勢が亡くなるのは決して必然ではないことが分かる。検査や防護具の確保に加え、施設から施設へとスタッフが移動しないことを、他国は意識して重視していた。

人手不足から多くの介護施設は、人材会社に依存している。
介護分野の歴史的な予算不足が、施設内の人たちの危険な状態につながったと、公衆衛生の政策責任者から自治体や病院の幹部に至るまで、関係者は誰もが同じ意見だ。介護施設がパンデミックにどう対応したか、そしてもちろん社会全体がどう対応したか、これから何十年にもわたり検討が重ねられるはずだ。

公開調査は避けられないだろう。どういうミスが重なったのかが、明らかになるはずだ。

政府の首席科学顧問、サー・パトリック・ヴァランス自ら、5月末のブログでそれを認めている。これから数年の間に私たちはこの数カ月を振り返り、今回の経験から多くのことを学ぶはずだと、サー・パトリックは書いた。次回はもっと上手に対応するため、その方法を含めて。

 そうした検討と、反省があったようで、当初は対策が遅れたイギリスの医療体制は、2021年には、かなり急速に整えてきた、という話もあった。

 この記事は、2021年4月のものだが、2020年の3月のロックダウン以降のイギリスの医療体制について、こうした話が出ている。

イギリスの新型コロナウイルス感染症対応について、讃井將満医師(自治医科大学附属さいたま医療センター副センター長)が英レスター大学の鈴木亨教授に訊く

鈴木 ロックダウンと同時に、1週間から10日という短期間で、国内の医療体制が新型コロナ感染症用にシフトしました。新型コロナ感染症用の病床確保、ICUの増床、さらに、“ナイチンゲール病院”という名称の専用仮設病院が全国に設けられました。
 イギリスでは、ナショナルヘルスサービス(NHS:国営で医療サービスを提供するシステム)という制度の下、病院の9割以上が公的病院です。きわめて短期間で医療体制をガラッと変えることができたのは、このようにほとんどの病院が国の管轄下にあり、トップダウンで組織を動かせるからでしょう。

讃井 病院数で約8割、病床数で約7割を民間病院が占める日本とは対照的です。新型コロナ感染症の医療体制構築がスピーディーとはいえない日本から見ると、うらやましく感じます。一方で、検査体制の構築についてはいかがでしたか?

鈴木 イギリスでは巨大なPCRセンターを各地に設け、昨年10月末時点で1日あたり約50万検体、現在では1日あたり約75万検体のPCR検査のキャパシティを確保しています。イギリスの人口は日本のおよそ半分ですから、日本でいえば1日あたり150万検体の検査能力ということになります。

讃井 日本では、自費の検査を除くと、現在も自己負担なしでPCR検査を受けられるのは基本的に医師が必要(発熱や咳などの症状がある、または濃厚接触者)と判断した場合に限られます。まだまだ敷居が高いと言わざるを得ません。イギリスでは検査は簡単に受けられるのですか?

鈴木 イギリスでは、新型コロナ感染症のゴールドスタンダード(現時点で最も効果が高い、精度が高いと評価された方法)であるPCR検査を市民が必要な時にいつでも受けられるようにと、検査体制が整備されました。医師や保健所が問診によって感染可能性を完全に否定できるわけではないので、疑わしい場合にはとにかく検査を受けてもらおうという方向性です。
 申し込みは基本的にウェブで、症状の有無、症状のある人が近くにいるかどうか、など簡単な質問に答え、宅配便をリクエストすれば検体採取キットが届きます。それを送り返せば、だいたい24時間以内に検査結果が判明します。その他、車で行くドライブインセンター、徒歩で行けるウォークインセンターもあり、疑わしい人はすぐにPCR検査が受けられるようになっています。
 さらに今年3月から、第3波に対するロックダウンの解除に向けて、迅速抗原検査キットも導入されました。症状のある人が受けるのはPCR検査ですが、無症状の人に対しても職場、学校、自宅で簡単にできる抗原検査キットを提供し、定期的な抗原検査を行なってもらうことにより、スクリーニングを徹底しようというわけです。

 イギリスは、これだけの医療体制を整えた上で、コロナ対策を緩和しているのだから、海外を基準にするのであれば、少なくとも、このレベルの医療体制を、日本でも整備させるべきだと思うのだけど、現状は、どうなっているのだろうか。

イギリスの緩和対策のあと

英国では2021年の緩和のプロセスで高齢者の多くが感染して、2022年の全面緩和を介して同年冬までに高齢者の8割が感染しました。そんなことがありながらも、状況は良くならない。ずっと慢性的に悪い状態が続き、抜本的に解決する手段が今のところないのです。
エンデミック化する途上に日本は今、います。

今、日本ではすごく低かった再生産数が少しずつ高くなっています。その過渡期にあります。
高い感染割合のままエンデミック化してしまうのか、何とか踏みとどまって低い感染割合で続けられるように社会で協力して過ごすのか、今後の状況を考えるのに、今は重要な局面にあります。
緩和が進めば「継続的に高い感染レベルで伝播が続く状態に至る」ということを最低限、共有しておくべきです。「そうなるとは知らなかった」「流行が終わると思っていた」では済まない問題です。

英国ではエンデミック化が起きていますが、慢性的な医療逼迫に対する抜本的な解決策はない。その状況を日本にいる私たちは今知ることができています。

どれぐらいの感染レベルでエンデミック化に向かうか、どのぐらいのスピードでそこに向かうか、という選択肢がまだ日本には残っています。
緩和をするにしても英国のように完全ノーガード状態にすると、医療逼迫は慢性的に起きるし、後期高齢者がたくさんいる日本では間接的な死亡が相当増えると思います。

一方で、一定の感染対策をしっかり行って、ファイティングポーズを取りつつ緩和することもできるわけです。流行が厳しくなった段階でファイティングポーズをしっかり取れば、一定のリスクを下げながら進むことができる。日本にはそんな選択肢もまだ残っているのです。
その選択は極めて重要ですし、今後、日本で医療のサービスが継続できるかにも関わってきます。

 この記事は、2023年1月だが、こうしたイギリスの状況を知った上でも、とにかく緩和に向かうとすれば、イギリスの感染死者数が、15万人を超えているけれど、現在、死者数が、7万人をこえた日本でも、そのレベルまでの死者数を許容するということなのだろうか。

高齢者施設の現状

 マスクを外すことを「誘導」するのであれば、もし、感染しても、いつ誰でも適切な治療を素早く行われる、という医療体制の整備が前提だと思う。

 この記事は、何度も引用させてもらっているのだけど、感染症の専門医が、この記事の中で、「With コロナ」社会を、こう述べている。

「感染した人がいつでもどこでも安心して医療を受けられる社会」

 現在まで、高齢者の死亡者が圧倒的に多いし、その際、問題になっているのが、高齢者施設でのクラスターだった。それは、コロナ禍と言われ始めた2020年から、ずっと課題のままのはずだ。

 このままでは「withコロナ」社会は、難しいと思う。

 高齢者施設では医療機関のような感染対策がなかなか難しい現状があります。

たとえば、認知機能の低下した利用者が多く、マスク着用や手指衛生などの基本的な感染対策が難しいです。また、教科書的な感染対策を講じようとしても、施設ごとに構造が異なるため、マニュアル化したとしても複数の施設をカバーできるわけではありません。

 こういった点は、もう3年、現場からの訴えとしてはずっと続いているはずで、こうした問題点に対して、政策レベルでの対策が必要だと思えるのに、今も、何か具体的な対策がとられている、と聞いた記憶がないのは、私が無知なせいなのだろうか。

「世間と介護の現場のギャップはどんどん広がるばかり」。岐阜市でデイサービス施設を運営する男性は、行動制限がなく「コロナ慣れ」する社会の現状にため息をついた。

重症化しやすい高齢者と関わる福祉事業者にとって、警戒を緩めることはあり得ない。一方でコロナ下の街は徐々に自粛モードが緩んでいく。こうしたギャップはなぜ生まれたのか。厚生労働省が示した一つのデータがその一端を物語る。

 今年の感染者を対象にした調査によると、第7波が起きた7、8月の重症化率は10代が0・01%、20代がそれ以下だったのに対して、80代は1・47%、90代以上は2・72%だった。90代以上は感染者の50人に1人以上が重症化する計算になり、受け入れ人数の多い高齢者施設で1件でも感染が起きてクラスターになれば、命の危険と隣り合わせになる。その一方、若者にとって重症化のリスクは「万が一」の可能性でしかない。

岐阜大病院感染制御室室長の馬場尚志教授(52)は「自分たちの年代の数字だけを見て安心するのではなく、家族や周囲に目を向けて、基礎疾患のある人や高齢者がいることに配慮して行動してほしい。若くても症状が重かったり後遺症が残ったりする人がいることも事実」と警戒を促す。行動制限のない中で、初詣、親戚の集まり、成人式後の会食など、年明けはにぎやかな場面が多くなる。マスク着用、大声での会話や大人数の場所に出向くことを控えるなど、油断することなく基本的な対策を続けるよう呼びかけた。

 この記事は、2022年の12月のものだけど、2023年3月の今も「重症化しやすい高齢者と関わる福祉事業者にとって、警戒を緩めることはあり得ない」状況は変わっていないはずなのに、こうした高齢者施設への対策をもっと本格的に行なうよりも、マスクを外すような、対策緩和ムードを高めることを、政府筋からすすめているように思える。

これからの医療体制

医療提供体制は、幅広い医療機関で受診できるよう、現在よりも2万以上多い、最大でおよそ6万4000の医療機関で受け入れる体制を目指すとしています。

このためには、これまでコロナ患者を診療していない医療機関の協力も必要なことから、政府は、感染対策に必要な設備の導入などを支援するとともに、医療機関の間で入院患者の受け入れを調整した場合に支払う診療報酬を新設するなどとしています。

政府は、こうした支援制度について、来週から都道府県などを対象にした説明会を開くなどして丁寧に説明し、理解を求めたいとしています。

 こうした医療体制の方針が発表されたのが、マスクについて「個人の判断」などと言われてからあとの、2023年3月のことだった。しかも、この記事によると、「目指す」だけで、まだ実現したわけではない。

 しかも、6万4000人を受け入れられる体制が整ったとしても、たとえば、「第8波」のレベルの感染拡大が起こった場合は、とても十分とは思えない。一週間で、69万人の感染者数だったことがあったのだ。

世界保健機関(WHO)の新型コロナウイルス感染症の集計で、21~27日の週間感染者数が日本は前週比18%増の69万8772人で、4週連続で世界最多となった。

 さらに、前出の医師は、こうした懸念を示している。

 感染症法上の位置付けが現在の「二類相当」から、五月八日に季節性インフルエンザ並みの「五類」に引き下げられれば「診療する病院が増えるのではないか」と期待する声もある。
 恐らく、そうはならない。今でも二類の指定病院以外で新型コロナの診療をしている病院は多数ある。診療していない医療機関は、患者の動線や診療する部屋などで感染対策上の問題を解決できていないケースが多いと思う。五類になったとしてもウイルスの性質は変わらず、感染対策が突然できるはずもない。
 むしろ、今まで通常の医療を制限して新型コロナ患者を受け入れてきた高度な機能の病院で、本来の高度医療を行うために新型コロナ患者の病床を縮小していく可能性がある。
 第九波で、受け入れ先が減少する一方でマスク着用に誤解が広がって防御が下がり感染者が増えるとするなら「覚悟の第九波」になると思う。

 現場の医師から、こうした声が出ているのだから、そうしたことにきちんと応えるような方針を、政府は出さないのだろうか。

2023年3月13日

 岸田文雄首相は13日、2021年10月の就任後初めてマスクを着用せずに首相官邸に出勤した。同日から新型コロナウイルス対策でマスクを着けるかは屋内外を問わず個人の判断に委ねるという政府のルール変更を踏まえた。
 首相官邸で記者団に「個々人の着脱を強制するものではない。私自身マスクを外す場面が増えると考えている」と述べた。「換気が難しい場面、高齢者施設を訪れる際など重症化リスクの高い方々と接するような場面では着用をお願いする」と語った。
 「多くの国民が戸惑わないような形でしっかり発信していくことは重要だ」と話した。秘書官や警護官(SP)もマスクをつけずに首相に同行した。

 その一方で、国会と比べて、同じ日に、通勤する人たちのマスク着用率はかなり高かったようだ。

(厚労省の内部のマスク着用率が、駅での通勤客に比べて、著しく低い姿に、忖度という言葉を思い出してしまったのだけど、考えすぎだろうか)。

「マスク」のことよりも「丁寧に説明」してほしいこと

 3月になってからも、首相などの発言で、マスクについて語られることは多いのだけど、個人的には、マスク以外のことで「丁寧に説明」してほしいし、「しっかり発信」してもらいたいことの方が多い。


 医療体制は、どうなっているのだろうか。そして、現状が、コロナに感染にした場合、いつでも誰でも素早く適切な治療を受けられるようになっていないとすれば、いつになったら、それが実現する予定なのか?そのために、今、具体的にどのような対策を、どの程度、進めているのか。

 死亡率が高い高齢者に対して、どのような対策が取られているのか?さらには、クラスター発生率が高く、死亡率も高い高齢者施設の感染予防対策を、具体的に、どのように強化していく予定なのか?

 感染死亡者をなるべく減らすために、どのような具体的な対策をとっているのか?もしも、現在、そうなっていなければ、今後はどのように進めるのか?そして、その対策が整うのは、いつ頃なのか?

 コロナ禍になって3年がたち、感染死亡者数が7万人を超えた。これまでのコロナ感染対策について、具体的に科学的に検討し、その反省点も含めて明らかにし、必要ならばお悔やみだけではなく、謝罪と賠償も行い、そして、今後の対策に、どう生かすのか?も説明してほしい。


 こうしたことを「丁寧に説明」した方が、おそらくは、今後の社会/経済活動にも弾みがつくのは間違いないと思うし、これからでも、こうした説明は可能なので、なんとか「しっかり発信」してくれないだろうか。

同調圧力

 マスクに関して、“同調圧力のせいで、外すことができない”といった批判は、特定の誰が言ったというよりは、国民性とからめて、現状への非難として語られることが多い印象がある。

 新型コロナウイルス対策としてのマスク着用が屋内外を問わず「個人の判断」となってから初めての閣議が14日朝、首相官邸で開かれた。岸田文雄首相をはじめ岸田政権の閣僚全員がマスクを着けずに臨んだ。閣議直前には、加藤勝信厚生労働相や河野太郎デジタル相らが口を開けて笑う姿も見られた。

 ここ何ヶ月かで、「同調圧力」ということを、もっとも感じたのは、個人的には、この場面↑だった。

 そういえば、岸田首相は、いわゆる「アベノマスク」を、安倍首相以外では、ずっと着用していた印象があったことを思い出すと、マスクと縁が深い首相なのかもしれない。

鉄道や航空会社は13日からマスク着用を求めるアナウンスをやめ、学校も4月1日以降は基本的にマスク着用を求めなくなる。医療機関の受診時や混雑した電車やバスの乗車時などは引き続き着用が推奨される。

 同じ記事内で、こんな表現↑があったのだけど、混雑した電車内では、マスクの着用を推奨される、といった方針があったはずだから、マスク着用を求めるアナウンスをやめるのは、矛盾して感じるし、こうした声↓に対しては、どのように返答するのだろうか

列車内でのマスク着用を個人判断とする方針を示したJR東日本について「お客さんをお客さんだと思っているかどうか疑問な会社が生活インフラの主軸にある地域は大変。お年寄りや体の弱い人は山手線は使わないでくれと言っているようなもの」などと批判しました。

 「丁寧に説明」し、「しっかり発信」すべきことは、マスク以外のことの方が、おそらくはるかに多いと思う。





(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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