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「コロナ感染」で亡くなるのは、圧倒的に「高齢者」だから、対策が急がれないのだろうか?(前編)

 新型コロナウイルスに関しては、まだ決定的な治療も、十分な医療体制も整ったというニュースも聞いていないのに、すでに、季節性インフルエンザと同様の「5類」に移行することになっている。

政府は大型連休明けの5月8日、新型コロナを現在の2類相当から5類に移行し、社会経済活動の正常化を目指す。

 その「正常化」の中には、感染死者数が、増え続けていることに対して、それを減少させるという項目は含まれているのだろうか。

5類移行となれば、感染者数の増加に比例して死者数も増えると予測されることから、そうならないようにしてもらいたいのが『私の願い』として、国に制度設計を求めました。

 マスクを外す、外さない、の議論はよく聞いた記憶があるが、死者数を増やさないようにするという「制度設計」に関しては、私が情報弱者のせいなのか、ほとんど聞こえてこない。

高齢者の現場

厚生労働省によると、国内で報告された新型コロナによる死者は新年早々の8日に累計で6万人を超えた。国内の死者は昨年2月に累計で2万人を超えた後、12月初めまで約3カ月に1万人程度のペースで増えてきた。そして昨年12月1日に5万人を超えた。以降1日当たりの死者数が200人台、300人台の日が出始め、わずか1カ月余りで1万人も増えてしまった。14日には503人と初めて500人を超え、同日現在累計死者数は6万2000人以上。残念ながら今後もハイペースで増えるのは確実だ。

同省の統計によると、昨年12月初旬から約1カ月で6500人以上が死亡。年代別では80代が最も多く2600人余り、次いで90代、70代と続き、70歳以上が何と9割以上を占める。70歳を超えると何らかの持病を抱える人が多く、70代以上の持病がある高齢者にとって新型コロナは引き続き「怖い病」であることをこれらのデータが明確に物語っている。

 今後のことを考えても、当然ながら、「5類移行」として、分類を変えたからといって、感染が収束するわけでもない。だから、もしも、感染予防対策が緩めば、当然、再び、感染は増え、高齢者を中心に死者数も増えることが予想される。

 特に、介護現場では、危機感があるようだ。

 島根県出雲市の高齢者施設の施設長は、こんな話をしている。

いなさ園・手銭宣裕施設長:
入所している人は、高齢で基礎疾患を持っている。オープンにして、施設内で以前のような面会はできない。

法律上の扱いが変わったとしても、新型コロナによる重症化のリスクは変わらない。この施設では、面会の制限や施設内でのマスク着用などの感染対策を「5類」移行後も継続せざるを得ないと考えている。

世の中が自由に行動しているのに、医療や福祉の関係者は相変わらず感染予防のための制限された生活が続く。これが続けば、より一層(医療・介護現場で)働く人がいなくなるのでは、社会を支える介護事業がだんだんとなくなるのではと危惧している。

懸念するのは意識の面だけではない。現在は、原則として公費負担となっている防護服などの備品や、職員が出勤前に行っている抗原検査など、感染リスクを抑えるために必要な費用が「5類」移行後どうなるのか、具体的な方針はまだ示されていない。

コロナ禍前の日常を取り戻す道のりの大きな転換点となる「5類」への移行。今も感染リスクとの戦いが続く介護・医療の最前線を支える、きめ細かな対応が政府には求められる。

 これは、2月初旬の山陰地方のテレビ局の記事だが、いわゆるキー局の、こうした視点での報道自体が少なくなっているようだし、この最後の「きめ細かな対応」の具体的な話を、今も聞いた記憶がない。

今後の危機感

 そして、今後のことに対しての、専門家のこうした重要な見方も、それほど広くアナウンスされているわけでもない。

英国では2021年の緩和のプロセスで高齢者の多くが感染して、2022年の全面緩和を介して同年冬までに高齢者の8割が感染しました。そんなことがありながらも、状況は良くならない。ずっと慢性的に悪い状態が続き、抜本的に解決する手段が今のところないのです。

専門家の皆さんは英国のこうした状況を知っているのですが、政治・行政の皆さんがわかっているのか、医療者や救急隊員がみんなわかっているか、不安になるレベルの流行になっています。

緩和が進めば「継続的に高い感染レベルで伝播が続く状態に至る」ということを最低限、共有しておくべきです。「そうなるとは知らなかった」「流行が終わると思っていた」では済まない問題です。

まず、エンデミック化(感染症の常在化)が進んでいる国では流行が終わっているわけではありません。でも「対策を緩和すると、この感染症は終息だ」と思っている人が世の中に結構いると思うのです。

 そして、2類から5類に移行する、という緩和政策に対しても、こうした指摘をしている。

緩和をするにしても英国のように完全ノーガード状態にすると、医療逼迫は慢性的に起きるし、後期高齢者がたくさんいる日本では間接的な死亡が相当増えると思います。

一方で、一定の感染対策をしっかり行って、ファイティングポーズを取りつつ緩和することもできるわけです。流行が厳しくなった段階でファイティングポーズをしっかり取れば、一定のリスクを下げながら進むことができる。日本にはそんな選択肢もまだ残っているのです。

その選択は極めて重要ですし、今後、日本で医療のサービスが継続できるかにも関わってきます。
これから起き得ることを説明しながら、社会でどこまでやるのかの合意形成を図るべき時だと思います。

 これ↑は、2023年1月中旬の記事だが、それから1ヶ月以上が過ぎようとしているのに、こうした「合意形成」が図れている気配を、ほとんど感じない。

 その理由を、やや粗い表現だけど、推察も含めて、言い切っている経済の専門家もいる。

高齢者差別

第8波だけで累計2万1000人を超えて、東日本大震災の死亡者数とほぼ並んだ。それにもかかわらず政府がコロナ規制の緩和を急ぐ背景には、政治家は誰も言わないが、「高齢者が亡くなるのは仕方がない」と心の中で思っているからではないだろうか。実際、死亡者の9割は、70歳以上の高齢者だ。

ある若手経済学者が日本経済の低迷を受けて、「高齢者に集団自決してもらうしかない」と発言したが、彼はその後もメディアに出続けている。例えば、同じことを障害者とかLGBTとか女性に対して言ったら、即刻アウトになるだろう。それが、対高齢者となると、言いたい放題なのだ。

多くの若者たちが、賃金が上がらず、生活が苦しいのは事実だ。しかし、それは高齢者が社会的な権力を独占し、高額の社会保障を享受して、若者の生活を圧迫しているからではない。私の周囲を見渡しても、低年金で暮らしがままならずに、アルバイトを続ける高齢者が圧倒的に多いのだ。ただ、歴史をみても、深刻な不況の下では、誰か悪者を見つけ出して、そのターゲットをバッシングすることによって、政権が国民に自分たちの正当性をアピールするということが、さんざん行われてきた。

 ただ、経済学者が社会的に人気があるとすれば、それは、望まれるような発言をする能力がある、という見方もできる。
 だから、もし高齢者への差別ととられても仕方ないような発言をしても、その後にダメージがあまりないということは、その発言が、社会的に、ある程度以上、支持されている。そう考えてもいいのではないだろうか。

 高齢者は、今の日本社会では、憎まれている。
 だから、経済学者の発言がアウトにならないのではないだろうか。

 そういえば、ここ20年ほど、どこまで政権の意図かどうかは分からないけれど、高齢者が「悪者」になっていく空気は、少しずつ濃度が高まってきたように感じてきた。

高齢者への見方

コロナの難しさは、どの側面から見るかで「弱者」が変わることです。

 誰かを攻撃したいわけではないのですが、違う視点から見るためのきっかけとして次の比較をさせてください。

例えば、弱者と言われた高齢者の中には、潤沢な退職金をもらい、年金をもらい、庭付きの一戸建てに住んで自粛生活が始まっても生活に何ら変化はなかった人たちもいます。

 他方で、若くて健康であるゆえに、新型コロナの「弱者」と呼ばれることはなく、収入が激減し、補助金の基準からも外れた個人事業主のシングルマザー・ファーザーもいるのです。

 さらに、このような人たちは、生活が苦しくなっただけでなく自分の仕事が「不要不急」と名指されるような、人としての尊厳まで傷つけられるような思いもしました。かれらも「弱者」ではないですか?「命があるから文句を言うな」、とかれらに言えますか?

 誰を「弱者」とみなすか、「弱者」の事例としてどのような人を出すか。それによってこの病気をめぐる問題は見え方が一変します。だからこそ「〜の人は諦めろというのか」「〜は死ねということか」といったSNSを席巻するような強烈な言葉で議論を始めるのは控えるべきだと思うのです。

 以前も、この記事は引用したのだけど、医療人類学者・磯野真穂氏が、ここで、コロナ禍における「弱者」のことを話題にしている。

 収入が激減し、補助金の基準からも外れた個人事業主のシングルマザー・ファーザーもいるのです。

 繰り返しになるが、この人↑たちが「弱者」と呼ばれず、逆に「弱者」と言われる高齢者にも、こんな存在↓がいると話している。

例えば、弱者と言われた高齢者の中には、潤沢な退職金をもらい、年金をもらい、庭付きの一戸建てに住んで自粛生活が始まっても生活に何ら変化はなかった人たちもいます。

 これが意図的なのか、私の理解が追いつかないせいか不明なのだけど、この場合は、例として出している「シングルマザー・ファーザー」は、明らかにコロナ禍での「弱者」であり、例に出されている高齢者は「弱者」とはいえない。

 高齢者の「弱者」とは、「一戸建てに住んで自粛生活が始まっても生活に何ら変化がなかった人」ではなく、何度も例として出すのは失礼かもしれないが、こうした存在↓だと思う。

過去のインフルエンザシーズンで、これほど多くの高齢者施設クラスターを経験したことはありません。ワンフロアで数人インフルエンザにかかったということはよくありましたが、施設全体で壊滅的な状況に陥る高齢者施設が地域内で複数あるのは、それだけ新型コロナの感染性が高いからに他なりません。

「重症者数が増えていないのに死亡者が増えているのはおかしい」という見解を目にすることがありますが、主に軽症中等症のコロナ病棟で高齢者が亡くなられています。

高齢者は、人工呼吸器や心肺蘇生などを希望されないことが多く、重症病床に転院することはありません。そのため、重症としてカウントされずに静かに亡くなられます。

 こうした、治療を受ければ、もしかしたら助かったかもしれない高齢者は、傲慢な表現で申し訳ないのだけど、「弱者」の立場にいると思えるし、磯野氏が例としてあげていた若い「シングルマザー・シングルファーザー」も、コロナ禍での「弱者」として、どちらも助けようとするのが、支援であり、政策であると思う。


 ただ、この磯野氏の例のあげ方は、意識しているかどうかは分からないが、高齢者への敵意を増やすような方法に、結果としてなっていると思う。


 ただ、そのことによって、磯野氏を責めるというのではなく、2023年現在で、そのことが、もしかしたら支持されるかもしれない状況になっているのがどうしてなのか?

 高齢者への憎悪といったものが、なぜ生じているのか?

 それを、遡って少しでも再検討した方がいいのかもしれない。




「後編」へ続きます。





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