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読書感想 『掏摸』 中村文則 「人間の多様性」
本来ならば失礼なことかもしれないけれど、小説家なのに、小説の前にその言動が気になっていた。
テレビやラジオなどマスメディアでの発言を聞くたびに、とても真っ当なことを伝えてくれているように思えたし、本人も意識して社会的なことも伝えようとしているように思えた。
社会的な言葉
音楽に政治を持ち込むな。
そんな言い方がいつの間にか多く聞かれるようになって、それは、音楽だけではなくエンターテイメント一般にも言われるようになった。
もしかしたら普段の生活が辛くて、少しでも現実を忘れたいといった切実な気持ちから出てくる言葉かもしれないと思いつつも、その一方で、政治的なものに全く触れないで何かを表現するのも難しいのではないかとも考えるようになった。
それは、当然のことだけど、誰もが社会に生きているからで、そこにいる限り、どれだけ無視しようとしても、政治的なことと無縁ではいられない。だから、誰かに言葉を伝えること自体が、社会的な行為なのだから、政治と嫌でも関わる可能性がある。だから、逆に政治的なことを知らないままだと、返って追い詰められていくのではないか。
小説家・中村文則はそうしたことを発言しているように思えた。
さらには、本業の小説を書くことに関してもエッセイの中で、これから小説家になろうとする人に対して、とても親切に伝えるべきことを伝えているように思え、そのことも書かせてもらった。
エッセイと発言と小説。もちろん同じ書き手であっても、それぞれが全く違うように感じる人もいて、それも自然なことでもあるはずだけど、中村文則は、どれも同じような感触があるように思った。
とてもオーソドックスで、まっすぐで、人間の暗いところも忘れない印象だった。
『掏摸』 中村文則
2009年に出版されたから、すでに10年以上前の作品だけど、おそらくは、あと10年後に読んでも、古くは感じないと思った。
それは、例えば何百年前の作品でも、人間はそれほど変わらないと思えるのは、その本質的なことを伝えてくれるから、だと思うけれど、この小説も、その時の流行りとか、話題になるというかいうものと関係なく、だけど、人の変わらないものを描いているように感じたせいだ。
主人公は「掏摸」。つまりは人の財布などを盗むスリと言われる犯罪者だけど、逮捕されていなければまだ犯罪者とも認識されていなくて、フィクションとはいえ、その姿勢はプロフェッショナルなアスリートのように思えてくる。
しかも、母親に万引きを強要されている子どもと出会って、やむをえず自身の知っていることや身につけた動きを伝えようとする姿は、伝統芸能の伝承の場面のようにも感じるくらいだった。
「若年認知症の一種とか、色々言われてるが、謎が多くて不思議だ。なんでそうやって無意識になった脳が、物を盗む行為に出るのか。なぜ盗みでなくちゃいけないのか。……何か根本的なことがあると思わないか」
例えば、技術の前にもっと根本的なことを考え続けている話から始まるが、その中で認知症の一種としての前頭側頭型認知症のことに触れている。以前は「ピック病」とも言われていたが、症状として万引きなどの犯罪を起こしてしまうことが今でも多い認知症のことだ。
主人公の語ることについて多少事実とは違うと思われる点(若年認知症の一種)があるけれど、その行為だけに焦点を当てすぎていた「ピック病」だと誤解を招くとして前頭側頭型という名称にはなったものの、どうしてそれまでそうした犯罪と無縁だった人が、万引きなどの行為をしてしまうのか。そうした点から再検討しても、認知症のことも少しでも解明できるかも、などと思ってしまうような言葉だった。
「……自分がスった財布に署名入りのカードを入れて返した、変わり者もいた。……ドーソンというアメリカの有名なスリだ。アンゲリッロっていう、推定で十万回スリをしたすごい男もいる。……エミーリエという女はスリで逮捕され、裁判中に判事のメガネケースをスった。法廷は爆笑だったらしい」
さらには、これが小説の中での、実際には存在しないスリの話だとしても、プロフェッショナルの中でも、自分以外の優れた(という言い方はこの場合は不適切かもしれないが)存在について広く関心を持つタイプと持たないタイプがいるのはリアルな世界でも明らかにいる。
そして、元々才能に恵まれていたとしても、より自分の技術を上げていくとしたら、自分以外の優れた他の存在にも目をむけることなく達成するのも難しい。それも事実だとも思う。
「……誰かに名前呼ばれるとか、大きな音がした時、人間の意識のほとんどはそこに気をとられる。さっきのお前も実際、ホームレスに気をとられていた。人間の認識には限界があるんだ。もっと言えば、息を吸ってる時と止めている時の人間は敏感だが、吐く時は弛緩する」
子供は、僕の袖に視線を向けた。
「スリは、こういう人間の意識を、故意に利用する。古典的なものは、ぶつかった瞬間、財布を取るというものだ。でも本当は、スリは一人でやるものじゃない。仲間がいる。三人が基本だ。ぶつかる役、周囲からその瞬間を隠す役、取る役……。ぶつかると言っても、思い切りぶつかるわけじゃない。肩がふれる程度でいい。こういう人混みなら、相手の前を歩いていきなり立ち止まれば、後ろの人間はバランスを崩すだろ?それくらいでいい。左からの視線は実際に取る奴が不正で、右と後ろからの視線は隠す役が防ぐ。取る役は財布を取ったらすぐ、その財布を隠す役に渡してしまう。そうすれば、捕まりようがない」
犯罪を模倣してしまうとして、意識的に伏せられる情報がある。この小説の巻末には実際にスリを重ねてきた人の書籍も参考資料としてあげられているから、ここに書かれていることも事実だと思うし、場合によっては伏せられる知識になるかもしれないが、そうしたことよりも、読んでいるときは、人間の心理や行動なども考え抜いているとても鋭い考察だと思え、感心もしていた。
スリという行為自体も、犯罪だとしても、それを成功させることは、当然ながら誰もができることではない、などと思ってしまっていた。
天才同士
裏の世界とはいえ、突出した存在は放っておかれない。
しかも、別の種類の「才能」を持つ人間が、否応もなく関わってくる。主人公は、最悪という才能を持つ男に、かなり無茶な掏摸を依頼される。
それは断ったら色々と伝えようとしていた子どもが殺されるし、失敗したら自分が殺されるという理不尽そのものの条件だった。その男は、木崎と名乗り、こうしたことを言う。
私の頭の中に、お前の運命ノートがある。面白くて仕方ないな。他人の人生を動かすのは。
パワーハラスメントや、ドメスティックバイオレンスの加害の本質は支配とコントロールだと言われている。この木崎は、そうした部分が異常に突出し、そのためにある種の強大な力を持つようになったようだ。
他人の人生を、机の上で規定していく。他人の上にそうやって君臨することは、神に似ていると思わんか。もし神がいるとしたら、この世界を最も味わっているのは神だ。俺は多くの他人の人生を動かしながら、時々、その人間と同化した気分になる。彼らが考え、感じたことが、自分の中に入ってくることがある。複数の人間の感情が、同時に侵入してくる状態だ。お前は、味わったことがないからわからんだろう。あらゆる快楽の中でこれが最上のものだ。いいか、よく聞け」
男は少し、僕に近づいた。
「この人生において最も正しい生き方は、苦痛と喜びを使い分けることだ。全ては、この世界から与えられている刺激に過ぎない。そしてこの刺激は、自分の中で上手くブレンドすることで、全く異なる使い方ができるようになる。お前がもし悪に染まりたいなら、善を絶対に忘れないことだ。悶え苦しむ女を見ながら、笑うのではつまらない。悶え苦しむ女を見ながら、気の毒に思い、可哀想に思い、彼女の苦しみや彼女を育てた親などにまで想像力を働かせ、同情の涙を流しながら、もっと苦痛を与えるんだ。たまらないぞ、その時の瞬間は!
もし、こうしたことを本気で語り、実行する人間が存在するとしたら、異常で犯罪者でありながらも間違いなく天才だとは思う。
人間の多様性
時々、人間の才能について、考える。
表立って「天才」と言われ、社会的にも評価される人は確かにいる。だけど、そういう人を見て二重に幸運だとも思う。
一つは才能を持って生まれたこと。もう一つはその才能が現在の社会に広く認められる才能であったこと。
もし、とんでもない才能の持ち主であっても、それが社会に認められないものであったらどうなるのだろうか。そんなことを、この『掏摸』を読みながらも、改めて考えてしまったりもした。
同時に、支配とコントロールの怪物でもある木崎も、才能があるが、それは恵まれたという表現がはばかられるような存在でもある。
そんな社会的には歓迎されない才能を持つ人間を、どう包括していくのか。
その才能の方向性を変えたり、加減を加えたりすることによって、現在の社会に生かせるようにするのも一つの方法かもしれない。それは、いわゆる「〇〇の平和利用」になるのだと思う。
だけど、それは本人にとって幸福なのだろうか。
これから「人間の多様性」を本当に大事にしていくのであれば、そうした点も考えていく必要があるのではないか。人間の暗さのようなものを完全に払拭するような方に、世の中が進んでいくのであれば、それは「真っ白い地獄」といえるような状態に過ぎないのではないか。
中村文則『掏摸』を読んで、そんなことまで考えた。それが正解の読み方かどうかもわからないし、かなりズレているのかもしれないけれど、いろいろなことを感じさせたり思わせてくれるということは、やはり優れた作品ではないか、と思った。
少し疲れを感じている人の方が、この小説を深く読めるような気がします。それは、読んで元気になる、というようなことではないのですが、静かにあらゆる人間を肯定してくれるような気がするからかもしれません。
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