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読書感想 『苦役列車』  「正直を極めることの美しさ」

 その作家は、21世紀には、もしかしたら珍しい存在になった「私小説作家」であることは知っていた。それは、芥川賞受賞会見での受け答えでの印象とも真っ直ぐにつながっていた。

 それでも興味がありながらも、読めなかったのは、自分が、ちょっと怖く感じていたのだろうと思うけれど、その西村賢太に関するドキュメンタリーは見た。

 その中で、著名な人だけではなく、いわゆる西村賢太のファンでもある人も出てきて、かなり熱心に語り、同時に、自身の配偶者の女性にもすすめて、だけど、その女性は、かなり拒否的な言動をしていて、それも含めて、これだけ人に強い反応を起こさせる凄さを感じた。

 だから、そういう興味の持ち方は失礼だとも思うけれど、改めて読んでみたいと思った。まだ読んだことがない芥川賞受賞の作品を読むことにした。


『苦役列車』  西村賢太

 主人公は、作者本人と思ってもいいのだろうけれど、もちろんドキュメントではないから、同一人物ということでもなく、そのあたりの距離感については、読者として、それについて考えが足りないせいもあって、戸惑うことも多いのだが、でも、読み始めてしまえば、そういう迷いのようなものは、どこかへ行ってしまうような文章の密度があるように思えた。

 同時に、それでも、作者の年齢と、小説の主人公の年齢などを姑息にも計算してしまい、1967年生まれで、この主人公が19歳だとすれば、時代は1986年くらいで、バブル前夜の、あのちょっと浮かれ始めた頃だとはわかる。

 だけど、それよりも、もっと前の時代のようにさえ思えるのは、その冒頭は、目覚める場面から始まるのだけど、その住居と暮らし方は、明らかに荒んで感じる描写だからだと思う。

 ただ、その明日が見えない、日雇いの日々に至る主人公の過程も、とても簡潔にバランスよく、書かれている。

 だが彼が大学はおろか、高校にさえ進学しなかったのも、もとより何か独自の理由や、特に思い定めた進路の為になぞと云った向上心によるものではなく、単に自業自得な生来の素行の悪さと、アルファベットも完全に覚えきらぬ、学業の成績のとびぬけた劣等ぶりがすべての因である。そんな偏差値三十レベル以下の彼を往時受け入れる学び舎は、実際定時制のそれしか残されておらず、これは馬鹿のくせして、プライドだけは高くできてる彼にかなりの屈辱であったのである。
 加えて、すでに戸籍上では他人になっているとは云い条、実の父親がとんでもない性犯罪者であったことからの引け目と云うか、所詮、自分は何を努力し、どう歯を食いしばって人並みな人生コースを目指そうと、性犯罪者の倅だと知られれば途端にどの道だって閉ざされようとの諦めから、何もこの先四年もバカ面さげて、コツコツ夜学に通う必要もあるまいなぞ、すっかりヤケな心境にもなり、進路については本来持たれるべき担任教諭とのその手の話し合いも一切行なわず、また教諭の方でも平生よほど彼のことが憎かったとみえ、さわらぬ神に祟りなしと云った態度で全く接触を試みぬまま、見事に卒業式までやり過ごしてくれていたから、畢竟、彼に卒業後のその就職先の当てなぞ云うのはまるでない状況だった。

(「苦役列車」より)

罵詈雑言

 主人公は、いわゆる日雇いでなんとか生きている。おそらくは1980年代後半の、大学生が最も浮かれていたような時代に、その同世代として、全く違う境遇にいることが、周囲が華やかな分だけ、想像しかできないけれど、よりしんどくなりそうだった。

 そして、その職場で、同世代の専門学校生の男性と知り合い、少しずつ距離が縮まり、そこで人間的な交流も生まれてくる状況に進んでいくのだが、そこで、その男性に彼女がいることがわかり、そのことから少しずつ関係が変化し、それはどちらかといえば悪化していくのだけど、その原因は、かなりの部分、主人公にあるのが読者にもわかる。

 例えば、慶應大学生であるという、その彼女に、同じ大学生の知り合いを紹介してもらおうという露骨な下心を持って、会わせてもらうのだけど、そのときの心の声の執拗さがすごい。

 日下部の恋人と云うのは、貫多がそうであってくれればいいと思ったイメージ程ではないにせよ、それでも十人並みの範疇からは間違いなく脱落する形貌の女だった。
 その女はまるで化粧っ気もなく、髪も僅かに茶色に染めた一見清楚風な、肩までのストレートと云うのはよいとしても、毛質が細くて量も少ないので清楚というよりは悽愴な幽霊みたいな感じであった。一丁前に眉は形よく整え、ピアスなぞもしていたが、昔の肺病患者みたいなのを連想させる並外れた青白い顔色の悪さにそれは何んら映えるものではなく、着ている夏物のワンピースが無地の白と云うのも、いかにも初対面の相手の前と云うのを取りあえず計算したあざとさがあり、見た目の至極おとなしそうな風情の中に、何か学歴、教養至上主義の家庭に育った者特有の、我の強い腹黒さと云うのがアリアリと透けてみえる、つまりはあらゆる意味での魅力に乏しい、いかにも頭でっかちなタイプの女であった。
 これに貫多はお腹の中で、
(こいつはどうおまけしてやっても、せいぜい十五点ってとこだな)
 と、採点する。  

(「苦役列車」より)

 これは、罵詈雑言という表現の中にはおさまらないほどの念の入りようで、他人に対して、ひがみや嫉妬や怒りも含めて悪意を向けることは誰にでもあって、だけど、ここまでネガティブな言葉を重ねることは、とてもできることではないと思える。それは、ここまでの罵詈雑言には、表現の多様さと、心の持久力が並外れていることが必要だとわかるからだ。

 そして、そうした悪意のある思いや言葉は、周囲の人に向けられ、そして、そのたびに、主人公は、かえって、よりひどい状況に追い込まれていき、その専門学校生ともほとんど縁が切れ、そのうちに、やはり全く違う環境で生きていることを、改めて分からされていく。

正直を極めることの美しさ

 この一冊には『苦役列車』と、中年になって小説家になった主人公が、文学賞をめぐって、さまざまな葛藤を持ちながら、それほど文名を高めることなく生涯を終えた作家へ共感を持つ日々を書いた『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』がおさめられているが、私小説とわかっていても、21世紀になっての、この正直さはより凄みがある。

 考えてみれば文学賞を欲しがる心根なぞ、サラリーマンの出世願望のそれと概ね同質のものであろう。そして川端賞を欲してやまぬ自分もまた、名声慾にかつえた乞食根性丸出しの下賤の者には違いない。こんなのを否定し、心底白眼視するのが本来の〝藤澤凊造流〟のはずである。
 それは中には文芸誌の新人賞から出発し、その上の新人向け文学賞、そしてまたその上の段階の文学賞と、着々と受賞を重ねて斯界のエリートコースを駆け登ってゆく、貫多にしてみれば暴力で叩きのめしてやりたい程憎く、妬ましい、生まれついての文運を持った者もいる。だが、結局そんなピラミッド型の優劣の図式なぞ、辞令一枚でいくらでも替わりのきく、単なる会社員にすぎぬ現今の文芸誌編輯者が、内々の狭小な空間で持ち寄り描いた砂上の楼閣に他ならないし、一寸の虫にも五分の魂との例え通り、傍目にどんなに見すぼらしくとも、実作をもって一国一城を築こうとする者にはどの城が高いかとか低いとか云った野暮な評価は全く無意味なことである。たとえ早晩落城の憂目を見たとしても、真にそれで終わったのかどうかは、所詮現在の馬鹿な編輯者や読者になぞ、到底察知し得ようはずがない。短期的な状況判断のみで、わかるような事柄ではないのである。

(「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」より)

 『苦役列車』も、『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』も、その主人公の行動に関しては、社会的に非難を受けても仕方がないものでもあるし、ここで引用したよりも、もっと下劣な悪口といっていい言葉もあるけれど、それをとにかく正確に表現しようとする覚悟のようなものと、その自分の気持ちにふさわしい表現を、注意深く、上品になりすぎないように、言葉だけではなく文字の種類まで、細やかに選択し、繊細に組み立てていく技術の洗練によって、雑な表現で言えば「最低な行動や思い」のようなものが、どこか透明感につながるものになり、人に伝わりやすくなり、だから、似たような思いを持つ人間にとっては、より孤独感を和らげてくれるような作品になっているのではないだろうか。

 だから、当たり前だし、生意気な言い方になって申し訳ないのだけど、その技術的な高さがあるから、目を背けたくなるような思いまで描けるのだと思う。

 彼は文名を上げたかった。
 達観することにより、いくら自分の心に諦めを強いたところで、また何をどう言い繕ってみたところで、やはり川端賞受賞の栄誉だけは何んとしても担いたかった。
 持って実力派の書き手として、訳知らずの編輯者から訳知らずでよいからチヤホヤされたかった。数多の女の読者から、たとえ一過性の無意味なものでもいい、とにかく一晩は騙せるだけの人気を得たかった。
 名声を得たなら、彼を裏切り別の男に去っていった女のことも、たっぷりと後悔さしてやれる。自分の方がはるかに価値ある男だと云う事実を思い知らしてやるのだ。そして、才能が証明されたと云う有利な立場のもと、悠々と新たな女を手に入れるのである。
 無論、金にはならぬが、それよりも名を得た方がいいに決まっている。
 作家として広くに認められ、最早惨めな持ち込みをするまでもなく、当然のように原稿依頼が舞い込んでくる身になりたかった。
 小説書きとして、終わりたかった。 

(「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」より)

 こうした正直さに徹することによって、確かに美しいと言っていい表現につながっているように思うし、覚悟を貫いたことによる爽やかさのようなものまで伝わってくるように思えた。


 もしかしたら、読む人を選ぶ小説かもしれませんが、どこか屈折した思いを持っていたり、孤独感を感じている人であれば、とにかく手に取って、読んでもらえたら、と思う作品です。


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(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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