見出し画像

「學」と「思」は両方必要!~論語(為政第二(15)) 381(さわいち)ブログ vol.58

6/22(土)曇☁ のち 雨☔
「學」:外界から、新しいことを、熱心に好奇心をもって吸収すること。 
「思」:内面で(頭(知性)・心(感性))、考えて思い巡らすこと。

「學」「思」の両方を使う人は、
外界から吸収した知識を、内面(知性・感性)で意味付けをします。

「學」だけの人
外界から新しいこと熱心に吸収しても、単なる物知りです。
歴史の勉強をしても、流れを見通すことが出来ません。

「思」だけの人
努力家なのですが、外界から新しい知識を吸収しないので、癖が出ます。
客観的な裏付けがないため、頼りない人になります。

最近の私の「學」は、Audibleで本を聴くことです。

似たジャンルの本を複数聴いていると、
 著者が異なっても同じ解釈をする事項がある
 著者が異なると解釈が異なる事項がある
こんなことに気づきます。

「何故なんだろう??」
私の場合は、ここで「思」が登場します。

この章句では「學」「思」の両方が大切であると説いているのです💪

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子曰、學而不思則罔、思而不學則殆
しいわく、まなびておもわざればすなわちくらく、おもいてまなばざればすなわちあやうし
(訳)
先師がいわれた。「他に学ぶだけで自分で考えなければ、真理の光は見えない。自分で考えるだけで他に学ばなければ独断におちいる危険がある。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日も素敵な一日をお過ごしください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?