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エッセイ集「食べる日々」

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妻がつくった料理を食べる日々。食べたものを写真に撮っていたらエッセイみたいなもを書きたいと思った。食べることを通して思ったことを書いてます。まだまだエッセイとは言えないが、エッセ… もっと読む
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生活感と作品性

生活感と作品性

長いこと料理の写真を撮っている。カメラマンでもないのに、まるでお仕事のように、できるだけ料理が美味しくみえるように、わが家の一皿の風景を画角におさめていく。

妻のつくった料理に、作品性のようなものを感じていて、それが生活の中の、日々の繰り返しに埋もれて、消えてなくなるのはもったいないような気がした。だから料理の写真を残している。

そういえば、ずっと昔から生活の中にある作品性のようなものに惹かれ

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掬うときから、すでに始まっている。

掬うときから、すでに始まっている。

ゼロール社のアイスクリームスクープ。1935年に発明され、もう90年近くが経つという、ロングデザインなアイテムだ。我が家にもひとつ、食器棚の一軍エリアで、大御所の雰囲気を漂わせ控えている。

アイスクリームを掬うのはもっぱら私の仕事だ。妻の分と自分の分を均等に盛る。男女平等に、アイスクリームは我が家に平和をもたらす。

ゼロール社のアイスクリームスクープは、ハンドル部分を握ると、手の温かさが熱伝導

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クレソンのように

クレソンのように

キャベツよりクレソンみたいな人が好きだ。

シャキシャキで爽やかな、いつでもお呼びがかかるキャベツより、苦味と辛味を持ち合わせた、時々しか呼ばれないクレソン。でもお呼びがかかる時は、代わりがきかない時で、レアキャラとしてみんなから一目置かれる。

すでにだいぶこじれた例え話で恐縮だが、さらに贅沢を言うなら、最初に出会うクレソンさん(勝手な妄想で擬人化が進んでいく)は、サラダ用の少し苦味が柔らかいく

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ひとてまかける

ひとてまかける

子供の頃、土曜日のお昼ごはんは、いつもお好み焼きだった。広島に数年住んでいたため、我が家のお好み焼きはいつも広島風だった。

母が慣れた手つきで、フライパンに生地を敷き、キャベツをどっさり(想像以上にどっさりと)盛る。並走していた焼きそばと卵焼きも合流し。何度もぎゅうぎゅうと上から押し付け焼かれる。その度に野菜の水分が蒸気となって、支度中のお好み焼きに張り付く家族をやさしく覆う。何層にも食材が密に

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記号のない食べ物

記号のない食べ物

自らの手で折って取り分ける。そんな雑な仕様の「板チョコ」が好きだ。

凹の形状に沿って綺麗に折ろうと思っても大抵うまくいかない。見事に凸の部分を横切るように割れたりする。

それでも板チョコには粒チョコ(一粒づつ包まれたチョコのことをそう呼んでみる)にはない楽しみがある。なんだか自由を感じるのだ。なんだったら板ごと齧ったっていいのだから。

紙のカバーはすぐに破ってゴミ箱に捨てることをお勧めする。

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見たい景色を残す

見たい景色を残す

ある日の鮭の塩焼き。小さめのその姿は、ホテルの朝食バイキングの和食コーナに、陳列している景色を思い出させる。旅先での鮭は、いつもの生活とつながっているような気分にさせてくれて好きだ。時々しか食べないのにしても、なんだか落ち着く。ホテルでも自宅でも、今日も日本中で鮭は姿を現す。

妻が作る料理をもう何年も撮っている。最初は美味しそうだから撮り始めたものの。もうずっと撮っている。撮っていてなんとなく感

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ちょっといいハム

ちょっといいハム

ちょっといいハム。そこがポイントだ。「ちょっといいから、ちょっと工夫して食べてみよう」そんな気にさせる。

ちょっといいハムにぴったりの相方は、ツンツンした香りにシャキシャキした食感のみょうがたち。スライスしたみょうがをこれでもかとハムの隣に並べる。

食べる時はみょうがをハムで包んでお口の中に。ハムの甘味と油味の真っ只中を、みょうがの青々しい爽やかさが突っ走る。それらが混ざり合って食べる者の心を

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朗らかに噛む

朗らかに噛む

たくあんを食べる時の音がスキ。コリッコリと音を聞きながら顎を動かすと、ほっぺがキュッと上がって、少し笑顔になります。音も「食べる」の中に包まれて。朗らかに噛んで暮らそう。今日も元気に。

器は素敵な民藝品たちを扱っている「備後屋」さんで買った品。最近行けてないからまた行きたいな。