記号のない食べ物
自らの手で折って取り分ける。そんな雑な仕様の「板チョコ」が好きだ。
凹の形状に沿って綺麗に折ろうと思っても大抵うまくいかない。見事に凸の部分を横切るように割れたりする。
それでも板チョコには粒チョコ(一粒づつ包まれたチョコのことをそう呼んでみる)にはない楽しみがある。なんだか自由を感じるのだ。なんだったら板ごと齧ったっていいのだから。
紙のカバーはすぐに破ってゴミ箱に捨てることをお勧めする。中のチョコの存在を感じられる、銀紙スタイルの方がかっこいいと思う。しかも、しばらく経つとどこのメーカーのなんてチョコだったか忘れてしまい、素直に味を楽しめる。
この写真のチョコがどのメーカーのなんて名前のチョコだったのかも当然思い出せない。でもそれくらいがいいと思った。世の中には己を指し示す名前やフレーズやらの「記号」が多すぎるということなのかもしれない。
記号がない食べ物。銀紙に包まれたチョコを齧っては、今日も小さな自由を探してる。
今日も元気に。皆さんも小さな自由を大切に。
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