こんぺいとう

言葉が好き、小説が好き、名言が好き😊

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最近の記事

三島由紀夫のお墓参り

武蔵境から西武多摩川線に乗り、多摩駅で下車。 駅員さんに『多磨霊園まで歩いて行けますか』とたずねると、その人は『あっちの方向に 歩いて下さい』と無愛想に指をさした。 エスカレーターを下り少し歩くと八百屋さんがあったので、優しそうなおばちゃんにまたたずねた『多磨霊園にはどうやって行けばいいですか』 今度の人はものすごく丁寧に行き方を教えてくれた。 『三島由紀夫のお墓参りに行くんです』と言うとおばちゃんは物珍しそうな顔した。30歳ぐらいの若者が、50年前に亡くなった作家の

    • 下町

      駅に降り立つと、人々は忙しそうに私の前を次々と通りすぎて行く。 着古された普段着はなぜか安心感を覚える。 何も隠そうせず、涙と歯がゆさとだるさが染み付いて、くたっとしている。 こういう生活感がにじみでている街が好き。 生活臭が人にも街にも空気にさえも充満している。人情がある、情愛がある、体臭がする。 人が地に足をつけて生活しているという実感がそこにはあった。 先日、銀座に行ってきた。 高級ブランドの店が建ち並び、お洒落な服を着た人達が闊歩していた。それも素敵だなと

      • 力を抜いて書く

        文章を書こうと思い、ジャズの音楽の動画を押した時Yotubeのコメント欄に書いてあった言葉。 『上手くやろうと意識すると、だいたい土つぼにはまる』 ちょうど書こうとしていた内容とリンクしていたので、不思議なことがあるもんだ、と少し感動を覚えた。 やはりまだ自分は『書くこと』に対して力が入りすぎている。 他の人のnoteを見ていると、実に軽やかにその人の内心を吐露してあり、すらすらと言葉が書いてあり、うらやましく思う。 もちろん、その人なりに苦心して言葉を紡いでいると

        • 懐古趣味

          上野駅の中央改札を出ると雨がパラパラと降っていた。 よかった、傘をもっておいて。私は家を出る時に、傘を持って行く選択をした自分を誇らしく思いながら、カバンから折り畳み傘を取り出し広げた。 信号を渡り、JR線の高架下沿いを歩く。 目的地は昔ながらの純喫茶。 『Cafeギャラン』の文字に電飾が施され、ギラギラと輝いていた。 傘をゆっくりとたたんでいる私の前を、二組の客が追い越していった。 私は焦ることなく傘をカバンにしまい、階段を登ると入口で店員さんがお出迎え。 平日

        三島由紀夫のお墓参り

          6月19日は桜桃忌

          6月19日、今日は太宰治の誕生日であり、遺体が発見された日。(13日に入水自殺しています) 私は詩が好きで詩集はよく読むけれど、小説はあまり読んできませんでした。小説って読むのに時間がかかるし、続きから読もうとするとどんな話だったか忘れてしまうんですよね。 しかし今年に入って太宰治の人間失格を読んだんですけど、感想は、『なにこれ?めっちゃ面白い!』でした。時間を忘れて、夢中で一気に読み終えました。 あの文体がものすごく私に合ってるみたいです。リズム感、というのでしょか。

          6月19日は桜桃忌

          1ヶ月ぶりのnote更新

          久しぶりにnoteを書きます。 前回の投稿が5月17日だったので約1ヶ月ぶり。 書くのを怠けていたというよりは、ツイッター上で詩を載せていたのでそっちに忙しくて。 80個ほどの詩を怒涛の勢いで作っていました。でもどれもゼロから作ったわけではなくて、前々から書き留めていたものにちょっと手直しを加えて、という感じです。 作品の良し悪しはどうであれ量産でき、その達成感からか詩に対する熱は徐々に薄れていき、今度は文章を書きたくなり、こっちに戻って来ました。 一番初めのnot

          1ヶ月ぶりのnote更新

          ほめられない私はダメですか?

          他人が褒められていると、自分が否定されているように感じるのはなぜだろうか。 子供の頃、顔の良い子は『可愛い可愛い』と溺愛され、足の速い子は『すごい!カッコいい』ともてはやされていた。 それを見て、『褒められるような突出した部分がない私はダメなのね』と、ふてくされていた。 誰かが褒められる度に、ちょっとした劣等感が蓄積されていった。 しかも問題なのは、なんでも突出していればいいというわけではなかったからだ。 顔が良かったら褒められるのに、足が速かったら褒められるのに、

          ほめられない私はダメですか?

          自分が何者か分からない

          『自分が何者か分からない』 『やりたいことが見つからない』 そう思っている人は多い。それは当然な気がする。 教育とは国にとって都合のいいシステム。 授業も宿題も、『これをやったらこれぐらいの学力がつく』ってだけのこと。 別に『私たちに幸せになってほしい』と思って作られたわけじゃない。 誰かがつくった正しさの中で私たちは飼い慣らされ、 言うことを聞けば○を、抵抗すれば×を与えられた。 洗脳ですよ。 学校に行けば学業優先。家に帰れば親優先。 そんな中で子供の感情はお

          自分が何者か分からない

          しなきゃ病

          昔からの悪いクセである。 ルールに従わなきゃ 真面目にしなきゃ 上手くやらなきゃ そういった強迫観念みたいなものが、私の頭の中を占領していてずっと苦しかった。 『こうじゃなきゃいけない』という理想像があると、それに当てはまらないものは全て間違いになってしまう。 自分の理想像を他人にも強要して、そこから少しでもズレていると不機嫌になり相手を否定するようにもなっていた。 そんな私を見兼ねて、忠告してくれる友人もいたが、私はそれすらも跳ね返していた。 頭も心も表情もサイ

          自分に感動したい

          30歳を過ぎてようやくそういう風に思えるようになった。 それまでは、人より良い生活を送りたいという邪な考えや、あの人に勝ちたいという競争心みたいなものが体に渦巻いていた。欲望がうじゃうじゃあった。 でもそういうことがもうどうでもよくなった。 そんなことより自分に感動したい。私を通して何が産み出せか、 この人生で何ができるかを知りたくなった。 欲しいのはお金で買える物や人に勝った時の優越感ではない。評価、名声、誉め言葉でもない。 自分の能力や人格を高めることによって得

          自分に感動したい

          嫌なこと

          雄大な自然を見て、『自分の悩みはちっぽけだ』と言う人がいる。私はそんなことは言いたくない。 世界の中に置くと私はもちろん小さいが、私の悩みは私の中での比率は大きい。 これはかすり傷ではない。 仮にかすり傷だとしても、数が多くなればそれは深い傷となり、私の中に巨大なクレバスをつくる。 人に悩みを打ち明けたことがあった。けれどその人は『世の中にはもっと大変な思いをしている人がいる』と言って、私をつっぱねた。 そんなものは知らない。この悩みは私の中では大事件なんだ。 世界が

          めんどくささより気持ち良さ

          めんどくさい。そういうことはいくらでもある。洗い物だったり、洗濯だったり、ゴミ出し、風呂掃除。 これ嫌だなぁと思った瞬間、脳がそれを『めんどくさい』と認知してしまう。めんどくさいは苦痛だから、苦痛を回避しようとどんどん後回しに。 『やらなきゃ』がずっと頭の中にあると、余計億劫になるという悪循環。 なので最近はめんどくさいと思った瞬間に、体が重かろうが落ち込んでいようが、行動することにしている。 未来の私に嫌なことを押し付けないために。 そしてやり終わった後の達成感を

          めんどくささより気持ち良さ

          実りのない種

          好奇心旺盛。 なんでもやってみたい。アレもコレも気になる。 そのエネルギーは素晴らしい。長所とも言える。 けれど、いろんなものに手をつけて情報を入れすぎて、どうすればいいか分からなくなる。 結局取り組めない。手元に何も残らない。 気まぐれ。浮気性。私はまさにコレ。 空中に理想像の輪郭だけを描き、それらは色を持たず透明なままプカプカ浮いている。 実をつけていない。 失敗したくないから、初めから正解はどれか探してしまう。最短ルートで行こうとして、方法と知識をふんだんに

          実りのない種

          鬱屈から解放へ

          迷惑系youtuberなるものがいるらしい。 文字通り迷惑行為をし、それを動画にして再生回数を稼ぐようだ。 私はそういうのには興味がないので一切見ないが、視聴者は共犯的心理が働き、それである種の高揚感を得ているのだろうか。 数年前からテレビでは、はっきり物を言う人達が人気になっている。 例を挙げればマツコさん、坂上忍さん、梅沢富美男さん、古市さんあたりかな。 この方達は、歯に衣着せぬ話し方をしてズバっと言ってくれるので見てる方はスカッとするのかな。 家庭や職場や学

          鬱屈から解放へ

          久しぶりに心がざわついた

          今日はなんだか心がざわつく日だ。 昨日SNSを見すぎた。それがいけなかった。 ひがみでゆがみが生じる他人の充実した生活を見る行為は、繊細すぎる自分にとっては、ガードレールに突進してこっぱみじんに砕けるようなものだ。 そして無惨に散った自分の欠片を拾い集めるのに、時間も体力も要する。 見なきゃいいのに、他人が気になって見てしまう。 一種の依存症。辞めなきゃなぁ。 けれど気づいたこともある。 バラバラになった状態からの回復が、以前より早くなった気がする。 前は一日中

          久しぶりに心がざわついた

          昔からそうだった。 朝、目覚めがいいなんてありえなかった。 ぼーっとして、モウロウとして、『もう朝か』と 嫌悪するのが常だった。 起きなきゃと起きたくないの間を 夢の中と現実の間を 行ったり来たりして 制限時間ギリギリでようやく起きる。 朝は、敵だ。 いや、朝シャキッと起きられない自分が敵なのだ。 起きたくないと駄々をこねる自分を 『そんなんじゃ、堕落してしまいますよ』と脅す。 おはよう。朝ですよ。 けれど最近いい曲を見つけた。 ラジオ体操の曲。 新しい朝