ほめられない私はダメですか?

他人が褒められていると、自分が否定されているように感じるのはなぜだろうか。

子供の頃、顔の良い子は『可愛い可愛い』と溺愛され、足の速い子は『すごい!カッコいい』ともてはやされていた。

それを見て、『褒められるような突出した部分がない私はダメなのね』と、ふてくされていた。

誰かが褒められる度に、ちょっとした劣等感が蓄積されていった。

しかも問題なのは、なんでも突出していればいいというわけではなかったからだ。

顔が良かったら褒められるのに、足が速かったら褒められるのに、頭が良い子は『ガリ勉強』と呼ばれ疎まれていた。

親や先生からはきっと褒められていたが、子供達の間ではなぜか敬遠されていた。

それは、子供はまだ知能が未発達で動物に近いため、
肉体的な部分が重要視するからである、と今になってなら分かる。

そして性格や行動に特徴のある子は、いじめや笑いの対象になる。これは私を複雑化させた。

ありのまま自由にしていると嫌われる(これは全くおかしな話だが。)ということを学び、行動に制限をかけていく。

人は周りの現象に恐ろしいほど影響される。

自分なりの特徴や目立つ箇所は削り削られ、のっぺらぼう。世の中を見れば、そんな人で溢れかえっている気がする。

そして大人になった今、自分に特徴がないことに嘆いている。

三島由紀夫は『自己否定は非生産的』と言った。

確かに自分を卑下していれば、やる気が失せ何もしたくなくなる、という人間の仕組み。やっかいだ。

まずは人に褒められることを度外視して、自分の本来の姿を思い出し、止まっている機能を動かし始めよう。

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