Mizuha no Sekai 🌍 / 瑞葉

表現者 森羅万象の美や愛を、感受して表現する Podcast「爆速GOGO‼意識のリバ…

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表現者 森羅万象の美や愛を、感受して表現する Podcast「爆速GOGO‼意識のリバースエンジニアリング」https://open.spotify.com/show/6yT47RgSxMqnOAGHX3IeCG?si=akDR6zTZS1iEWXveqbBDjQ

最近の記事

現実は甘かった

現実は甘く、優しかった 現実は甘くないと自分を責めていた自分は、全く客観的事実を見れてなかった 既に私は愛されているのだということを、受け入れた。ごめん、怖がって見ないふりをしていた。 そしたら今、身体が急にほぐれたんだ。 ドライヤーも、私が乾かそう乾かそうとしなくても、乾く。無理なチカラはいらなかったんだって。スマホを持つ手も。 音楽も、作ろう音楽をしようとしなくてよかった。 私はいつでも空っぽでよかった。 ひとりひとり、現実だと思ってるものと現実はそれぞれ違う。

    • たぶん、子宮にいる時から鬱。だからいつでも元気だよ

      苦しみとか鬱って言葉を他の人から聞くとき、局所的なニュアンスを感じてうーん?なんか定義が違うような?と感じてた。 物心がついた頃から胸周りの緊張、頭がギューっとなってる感覚があって、最近瞑想するようになってそれが「緊張状態」であることに気づいた。それがずっと当たり前で、世界って、生きるってこの感覚だと思ってたから無自覚だった。 たぶん生まれる前から、意識が芽生えた時点で体が緊張していたんだろう、結果として絶望感などの感情が湧きやすい。 私を出産しようとした時期のママ、色

      • Chat GPTとチャネリングについて

        チャネリングセッションを受けて感じた、これからの世界、社会で生きていく上で高めていきたいスキルについて書いていく。(私が受けたのはNeosho MuninさんのMUSAAという存在とのセッション。) チャネリングで出てくる情報が、正しいのか間違っているか、信じるかどうかという視点は、自分を守るために必要だと思う。今日はそれとは違う見方で、チャネリングセッションの可能性について。 チャネリング(英: channeling, channelling)とは: 高次の霊的存在・大

        • はじめて、自分で人生を歩いていると感じている。

          25歳の誕生日は北海道で迎えた。 ここ数年は社会との繋がりが比較的薄く、狭く深い人間関係のなかで内向的な側面の自分が強く出ていたように思う。 そこでの気づきや体験もとても大きなものだった。 具体的には、幼少期からの抑圧癖が身体や脳の思考パターンに今も影響を与えていたこと。 自分も周りも幸せにならないと頭ではわかっているのに取ってしまう行動。 何をしていても強い罪悪感があり、自分の中に「私は犯罪者みたいなもんだから〇〇する資格はない」「社会に出ても害なだけだけど、引きこ

          毒親育ち、機能不全家庭育ちの私へ

          減ってきたけれど、今でもピアノを弾くときや両親から連絡が来るときなど特定の状況で、頭が圧迫されたみたいに痛くなって、身体がぎゅっと固まってしまう。 そういうとき、パニック症状なのか自分でも思ってもないような行動をしてしまう。 それで、余計周りに迷惑をかけたりしてしまって、怒られて、よりパニックになる… そう、これが日常的すぎて、自分がパニックになっているという自覚がなかった。 パニックじゃない健全な脳の状態が別にあるんだとわかったのは、最近一番脳の萎縮を感じた出来事だ

          毒親育ち、機能不全家庭育ちの私へ

          瞑想が楽しくて習慣になった→衝動性が改善されてきた!

          「瞑想ってよくわからない」を変えてくれた人 瞑想っていうとマインドにフォーカスするイメージがあったり、呼吸法をマスターしないといけないと思っていた。ネットで調べて見よう見まねでやってみるけれど、できてるのかの実感を得にくいので、やりがいを感じられず続かなかった。 でも瞑想家のネオショウ・ムニンに出会って、一緒に瞑想するようになって瞑想のイメージが変わった。 いつも瞑想する時に彼に言われるのは、背筋を伸ばさず胸を張らず、とか、意外なものばかりだった。 いい姿勢じゃなきゃ

          瞑想が楽しくて習慣になった→衝動性が改善されてきた!

          私がピアノを弾く理由

          最近ピアノを弾く時には、何か曲とかメロディを弾こうとしないで、ひたすら適当に鍵盤を押し続けるというのをやっていた。 そこで無限に出てくる「うわっ不協和音!」「これはシンプルすぎるかな」そういう判断をシャットアウトする。 なんだか観念が雪崩のように出てくる瞑想に近い。 最初は、不協和音を鳴らし続けることが心地悪かったけれど、でもたまにキャハハッで楽しくなる瞬間があって、そんなことなかなかないから続けていた。 今日久しぶりに、これまで弾いてきた「聴き慣れた協和音の即興」を

          私がピアノを弾く理由

          アウトプット=作るではなく出す。自己評価を当てにしない

          友人のケントくんが家に来た。 ケントくんと私はお互い瞑想に興味があって、音楽を専門的に学んでいたこともあって、会うたび駅のピアノで即興連弾していたりした。 でも私自身、ピアノを楽しめたことは一度もなく、もっと本当は楽しいはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろうといつももがいていた。 クラシックを弾くのに、自分の中で「こうあるべき」というルールがあまりにも多くて、がんじがらめになってしまう。どう弾いても自分を否定しないことができない状態が、もう15年以上続いていた。(幼少

          アウトプット=作るではなく出す。自己評価を当てにしない

          「マインドフル」と「瞑想」は逆

          瞑想に興味があって調べはじめたとき、「マインドフルネス瞑想」とよく見かけるようになった。 瞑想=マインドフルネスみたいな言葉のイメージがある。 でも、私はもともと脳内おしゃべりが凄まじい。 すでに、「マインドフル」である(笑)。 そもそも、「マインドレス」な状態になりたくて、瞑想に興味を持った…。 そこで、最強のアドバイザーに聞いてみた。 瞑想歴30年、もう何年も、開始1分で根源という場所の縁に辿り着いているらしい。(ちょっと体験したことがないのでわからないのだが)

          「マインドフル」と「瞑想」は逆

          わたし、をこえて

          日々、変容している。 当たり前がどんどん書き換わっている。 一番怖かったピアノも、怖い=やりたい、のほうに意識が向くようになった。 使う言葉には思考が現れる。 瞑想家/覚者ネオショウ・ムニンさんが、私の言葉を聞いて叱ってくれたのがものすごく心に響いた。 本気で変わろうと思った。 私が「ピアノがやっぱり怖い」と言った時の言葉が忘れられない。 「そうやって、怖い、で着地することをこれからも続けるの!?それでいいの!?自分を、自分の人生を見くびっているってことだよ。」

          大学卒業後、就職せず選んだものは。

          揺るぎない自信がほしい。30歳までに、動物としての強さを身に付けたい(炊飯器でお米炊けるディ🔥さすがオレ!とはならんが、鍋と米があれば山の中でもご飯が食べられる、という自分に対する信頼感やそこから得られる安心感)、プリミティブな生活をするんだと決めていたが、思ったよりチャンスはすぐに来た。 大学卒業後、私はとある山奥の村に移住をした。 他にも理由はあった。 お金とか時間とかって何なんだろう?と思って色々な本を読んでいたので、これまでの価値観を揺さぶられる体験を実際にし

          大学卒業後、就職せず選んだものは。

          「好き」を知らないだけだった。

          2022年2月3日の深夜、私は荷物をスーツケースに詰め込んでこっそり実家を出た。 そのまま友人に富士山の麓の湖に連れて行ってもらって、湖に映る星を見ながら語り合った。 翌朝、駅まで送ってもらい、高速バスに乗り東京に来た。 もう好きなことしかしないと決意して、ひたすら本を読みまくり、新宿伊勢丹でジュエリーを見て、ときめくものがあれば買って、見た目が好みのカフェやレストランで映える料理を頼みまくった。 いつの間にかまた寒くなってきて、東京で二度目の冬を迎えた。 去年は、

          「好き」を知らないだけだった。

          怖いと楽しい。お化け屋敷も人生も。

          私は、感情を本当に思うがまま、感じ切っているのだろうか。 壁にぶち当たったとき、不安で一歩踏み出せないとき。 そんな自分を受け入れられず、「そんなこと思っちゃダメだ!!」「頑張れ頑張れ!」って「不安」=だめ、と押さえつけてしまう。 一方で、幼いときプレゼントをもらって喜んでいたら、「喜んでる〜!」って親が私の姿を見て嬉しそうにしてるのがなんだか恥ずかしくなってしまって、それ以降嬉しい気持ちを抑え込むようになった時期があった。 だけど、本当は感じたい。 怖い時に「私は

          怖いと楽しい。お化け屋敷も人生も。

          怖くてできなかった→一歩踏み出せるまでに何が起こったのか

          ※はじめに… 両親に対する否定的な言葉が出てきますが、両親を非難したいわけではありません。私自身が幼い頃とても臆病な性格で、当時自分の心を守るために身に付けた認知(歪みまくり)によって湾曲した解釈をしたり記憶自体が間違っている可能性もあると思っています。 before: 働かなきゃ、行動しなきゃ… でもできない、身体が動かない。 そんな状況から、 after: ・一番やりたい仕事に応募できた ・仕事で振られた無茶振りに対して「(以前なら)ギク…怖い…ちょっとやだな…」→「

          怖くてできなかった→一歩踏み出せるまでに何が起こったのか

          無意識にやった行動でも、それはいつかのチャンスのための準備かもしれない

          今日、はじめて仕事で取材をさせていただいた。 もともとは、急に決まったこともあり、私は取材経験もないので現場に同行して、写真撮影をする予定だった。 だけど色々あって(雑)私もやらせてもらうことになった。 もともと写真撮影の準備として、下調べをなんとなくしてはいたのだけど、そのメモを見て「あ、取材できそうかも?」と思ってくれたらしい。 思い返してみれば、急に何かを振られるという経験はいくつかしてきた。 中学時代、音楽発表会の当日に伴奏者が体調不良で休んでしまって代わりに

          無意識にやった行動でも、それはいつかのチャンスのための準備かもしれない

          ピアノのトラウマ解消のプロセス(2022.7.11)

          ふと思い立って、シナプスを書き換える作業をしてみた。指を繋げて弾くことで音を繋ごうとするのをやめる、一音一音離す、音が自ら遠くへ飛んで、飛んだ先で調和して響き合うに委ねる。誰かにこのやり方を教えてもらったわけじゃないから、これでいいのかはわからないが、今はいいとか悪いではなくて、私が出したい音を、その感覚を、信じたい。中学くらいから、私が出したい音じゃない、違うよ、これじゃない、この音は心から出た音じゃない、美しくないよ、っていう耐えられないほどの絶望感が、攻撃的なジャッジで

          ピアノのトラウマ解消のプロセス(2022.7.11)