現実は甘かった
現実は甘く、優しかった
現実は甘くないと自分を責めていた自分は、全く客観的事実を見れてなかった
既に私は愛されているのだということを、受け入れた。ごめん、怖がって見ないふりをしていた。
そしたら今、身体が急にほぐれたんだ。
ドライヤーも、私が乾かそう乾かそうとしなくても、乾く。無理なチカラはいらなかったんだって。スマホを持つ手も。
音楽も、作ろう音楽をしようとしなくてよかった。
私はいつでも空っぽでよかった。
ひとりひとり、現実だと思ってるものと現実はそれぞれ違う。
ある絵を見た。
私のような女の子が、たくさんのお花に囲まれていて、一輪の花を持っている。香っている。
私は既にたくさんの人に出会っていて、たくさんのものを受け取っている、ああ、たくさんの愛を受け取ってきたのか。
気づいていないのは私。
〇〇してくれない、私は嫌われている、私はどうでもいい存在だ、厄介な存在だ、と感じては、絶望感を感じ、胸が苦しくなっていた。その体感、感触にリアリティを感じた、これが現実なんだと思った。
嬉しいことがあっても、その時は嬉しくて喜ぶけれど、結論として大切にされていない、が既に選ばれていた。嬉しい体験はなぜかカウントされずなかったことになって、勝手に大切にされていない理由を探しては、被害者意識でいた。
だけど、実際には、この数日、ホールケーキを買ってお祝いしてもらった。
温かい眼差しを見せてくれた。
私にピッタリのブレスレットを見つけて、プレゼントしてくれた。
未熟さに怒ってくれた。
それに気づいたとき、とても身体が安らいで、幸せで胸がいっぱいになった。
そうか、こっちが、現実なんだ。
現実を、ありがとうと受け止めて、胸がぽかぽかしている、これが、リアリティなんだ。
現実は、甘かった、優しかった。
これまで無意識に信じ込んできた「現実は甘くない」ってのは、事実ではなく、起こったことに対する1つの認知でしかなかった。
それは、選ぶこともできるし選ばないという選択肢もあった。
今の私にとっては現実を甘く見すぎる、都合の良い解釈をするくらいで、やっと客観的事実を受け取ることができる。
思ってるより優しい世界で、私は厳しい世界観を信じ込んでいた、怯えていた。
ニュートラルに、ありのまま見たとき、私には、世界は優しく感じる。感じているという事実が、私は、嬉しい。
ありがとう、今、受け取りました。
既に受け取っているはずのもの、これからどんどん気づいていくのだな。
たくさんもらっているということに気づき続ける人生をはじめました。
時間をこえて、気づいていくサイクルのなかで、ありがとうと受け取ってもらう、またもらってしまうそんな世界のなかで、私は自由に、贈り物をし続けていきたい
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