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たぶん、子宮にいる時から鬱。だからいつでも元気だよ

苦しみとか鬱って言葉を他の人から聞くとき、局所的なニュアンスを感じてうーん?なんか定義が違うような?と感じてた。

物心がついた頃から胸周りの緊張、頭がギューっとなってる感覚があって、最近瞑想するようになってそれが「緊張状態」であることに気づいた。それがずっと当たり前で、世界って、生きるってこの感覚だと思ってたから無自覚だった。

たぶん生まれる前から、意識が芽生えた時点で体が緊張していたんだろう、結果として絶望感などの感情が湧きやすい。

私を出産しようとした時期のママ、色々と辛かったんかな、当時。

苦しみって言葉は苦しみがない感覚があってはじめて知覚できる概念だと思うから、前提の違いから生まれる体験や体感の違いを、うーん?と感じていたのかも。

そういうと、大切な人たちを心配させてしまうかもしれないけれど、希死念慮を抱いたことはこれまでない。

死んだら楽になれるという希望より、生きて、安心感の中で喜びを感じるんだ、という執着にも似た希望、が大きい。

生と死を包含してるソレ、から抜けられるわけじゃないし、存在している時点でそこから抜けたいとは思わなくなってる、みたいな感覚。

こういう、これまでの自分にとって自然な、不自然な状態とどう折り合いをつけたらいいかわからず、苦しみの渦中にいる「状態」が作り出すクリエイティブをずっと認められなかったけど、流動的な自分という特異点がその時表現するすべてを、人と分かち合いたいという想いに気づいた。

やっぱり、私は好きだなー、この感覚。
要らなくなるまで、とことん愛して振り回されてやる。


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