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大学卒業後、就職せず選んだものは。

揺るぎない自信がほしい。30歳までに、動物としての強さを身に付けたい(炊飯器でお米炊けるディ🔥さすがオレ!とはならんが、鍋と米があれば山の中でもご飯が食べられる、という自分に対する信頼感やそこから得られる安心感)、プリミティブな生活をするんだと決めていたが、思ったよりチャンスはすぐに来た。

大学卒業後、私はとある山奥の村に移住をした。

他にも理由はあった。

お金とか時間とかって何なんだろう?と思って色々な本を読んでいたので、これまでの価値観を揺さぶられる体験を実際にしてみたいと思ったから。
凝り固まった認知パターンを変えたかった。

私が大学で専攻した音楽学も、研究や分析で音楽を理解しようとするわけだけど、実際やってみたら私が得たかった感覚とは方向性が違った。

私の中にある「知りたい」っていうのは「脳で理解したい、納得したい」ってよりかは「身体知を得たい、頭でわからなくてもそのわからないの中を漂いたい、確かに心や身体が感じている情動を体験を通じて味わいたい」みたいな感覚に近かった。

大学時代に陶磁専攻の友人きっかけで土に惹かれ、文化は土に宿るな〜となんとなく体感したことが印象に残っていて、(西洋音楽を理解しに今ヨーロッパに行きたいというよりはまず日本の土を感じたいが強かった)移住した村は縄文遺跡があったり伝統的なお祭りも盛んだったのでものすごくいい村を選んだなと思い、よく道の駅の目の前の川に行った。

その村は、アーティストの方が移住をして、そこで地域開発をしていた。
古民家のリノベーションや、その村の植物で染めた衣服を販売したり、その地域の川の音など自然を取り入れた音楽制作。そして、地域通貨の運用。

代表の方が山を買っていたので、村から車で何度も山にお邪魔して、山が自分の所有物ってめちゃくちゃ面白い感覚だあと思いながら、他の人の車が通ると急にピンポンもなしに家に入られたみたいなこれまでに外にいて感じたことのない感覚を味わった。

私はその村の道の駅のスタッフとして、販売したり物を仕入れたり接客した。
途中からはお弁当の調理や買い出しもした。

人生初体験ばかりで、ネットショップも担っていたので朝7時半〜8時半ごろから、日付を跨いだ後も毎日作業をして、道の駅の定休日は他の古民家のリノベーションなど、土を掘り起こしたりひたすら掃除するなどしていた。

私が世界一苦手な「物の管理」「掃除、整理整頓」が主な仕事だったので、これまで音のような見えないものばかり見て、概念こねこねを好んで頭で生きてきた私は、念願の身体にフォーカスした生き方に想像以上に苦労した。

でもそれも楽しくて、どこにどの商品を置いたら目に留まるのかな?とか、埃ひとつない空間にしよう(なんて思ったことなかった笑)と必死で物質を見続けることをした。どこ見てんねんってくらい物の状態の詳細とか、そういうのが脳で見ている気になっているだけで実際の目でありのまま見えてないことを実感する日々だった。

地域通貨も、概念を面白がって外から見るんじゃなくて、体感したいと思ったのでお給料が地域通貨と聞いて、説明も受けたけどよくわかんないなあ〜オモロ笑 くらいのノリで体験した。

これまでの私の感覚だと、お金を稼ぐっていうのは、自分が貢献したことはプラスのことだから、例えば3000円分の貢献をしたら+3000、ってなる。だけど、恐らく自分がどれだけ人に助けてもらっているかというのを可視化するために、そのシステムは(恐らく完成ではなく色々試し中だった)やってもらったことに+、自分がやったことや払ったものは−で計算するというやり方だった。(ただまだ出来ることも限られる私は受け取るお金より払うお金が多くなるので、それは円とは別の単位があった。)ていうか実はいまだにあんまり理解してない笑

実質私は3ヶ月ほどでその村を離れたのだが、その間には私のこれまでの弱点が一気に噴出し、トラブルがたくさん起きた。

例えば、親や目上の人には逆らってはいけない、という強固な思い込みから、何度か自分の気持ちを伝えるのだが最終的には妥協してしまう。
つまり建設的な交渉や話し合いができない。

ついには私は怖くなって「お金受け取れません」と言ってしまった。

相手を厳しい人にしてしまうのも私の癖で、自己肯定感の低さから「できない私」をより濃く出してしまう癖があった。どんな優しい人でも、目上の人を「厳しい親」みたいにしてしまう。親ではないのに、投影してしまう。

休憩くださいが言えないからお昼ご飯を抜いてしまう。全てに許可をもらわないといけないと思っている上に許可をもらいに行けずに自分をぞんざいに扱う。

優しい人も悪者みたいに怖い人にしてしまってうまく周りにも相談できずに稼ぐどころか謎に口座もマイナスになった笑 

私はその村から実家に戻った。
実家は村以上に厳しく感じられ、「騙されたんじゃないの」と問い詰められた。
心も身体も疲弊していたし、お世話になった方々を否定されるのも嫌だったので居場所がないように感じた。

だけど、これまでと全く見える景色が違う。

ずっと自然に触れて物質と向き合ってきたからか、久しぶりにピアノに触れると音が物凄く立体的に聞こえた。感覚が研ぎ澄まされていた。

これまで全く見えていなかった部屋の汚れや澱んだエネルギーが見える。

その上、自分の弱点をありありと見させられる状況によって自分の思考や感情との向き合いもしていたので、目に見えるものも見えないものもすごくクッキリハッキリ捉えられた。

それが私はとても嬉しかった。
長く音楽をやってきた身として、受け取れるものが増えるということは与えられるものも増えるということで、とても有難く感じた。
ピアノに触れなかった3ヶ月で、これまで基礎練とかしてた時よりいい音を出すようになったことは予想外だった。

これまでの文章から誤解されかねないが、、移住して最初の頃は、とにかく毎日がキラキラと楽しくて、日々新たな発見があった。人生で一番楽しかったくらい。

徐々に見えてきた自分の弱さや特性も、苦しかったけれどなければよかったか?と言われると、なかったらちょっと寂しい。

もう2年が経とうとしているのに、事実ばかりが抜け落ちて感情だけが出てくる大学卒業後の体験。人を信じるって、自分を信じるって何だろうとか、お金や時間の本質について、サッと言葉にできない曖昧な深い感情を体験することとなった。

まだまだ上手く伝えられず、必死にどこか就職しなきゃ!と思ってた時は面接で崩壊して困っていたけど笑

この流れも受け入れて、これからはオリジナリティ溢れるわたしだけのキャリアを作っていけたらいいなと思っている。

これが、今の私の、ありのままの解釈。

また何年後かに、この体験がどう見えているのか、どれだけ事実を思い出しているのか、今よりもっと忘れているのか?含めて、大切にしておきたいと思い、一度文にしてみた。

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