私がピアノを弾く理由
最近ピアノを弾く時には、何か曲とかメロディを弾こうとしないで、ひたすら適当に鍵盤を押し続けるというのをやっていた。
そこで無限に出てくる「うわっ不協和音!」「これはシンプルすぎるかな」そういう判断をシャットアウトする。
なんだか観念が雪崩のように出てくる瞑想に近い。
最初は、不協和音を鳴らし続けることが心地悪かったけれど、でもたまにキャハハッで楽しくなる瞬間があって、そんなことなかなかないから続けていた。
今日久しぶりに、これまで弾いてきた「聴き慣れた協和音の即興」をした。
当時は出てこなかった響きが出てきて、その変化が嬉しかったのだが、
でも、一番嬉しかったのは、「聴き慣れた協和音の即興」に対しての「なんかなー」「シンプルやなあ」「満足できないな」みたいなジャッジが何もなくて、どの音に対してもニュートラルな感覚になったこと。これが自由だ!!自由ってやっぱ自分の中にあるんだ。
同じ音でも全然違う感覚。
ただ、その時鳴った音がそれだった、それ以上でもそれ以下でもなかった。
そう、日々ピアノが苦しみから喜びに近づいているのだけど、少し前、わたしがなぜピアノを弾いているのか、その理由はない、ピアノを弾く意味はないという、大きな気づきがより深くなった。
わたしよりピアノを楽しんで弾いている人はごまんといる、わたしより、テクニックがある人もごまんといる、でも、それはこれまでもそうだった。
こんなに苦しくても、どうしてもピアノでの探求をしてしまう。
好きだからやるとかを超えている。
ただ、その時ピアノを弾いた、それだけだ。
それはこれからもそうなんだろう。
それが苦しみの時間でも、喜びの時間でも、わたしにとってはピアノをするしないに全く関係がないということだ。
わたしは、ただ、ピアノを弾くんだ。
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