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助っ人論 そのときにいてほしいそいつ

 助っ人。いいっすねー。困りごとやら人手不足やらの問題解決を頼まれて、さっとこなしてぱっとどこかへ帰っちゃうやつ。憧れちゃうね。世の職業は人々の暮らしにとって必要だから存在しているし、また人々もそれらに従事しているのだが、何かその枠組みからこぼれたものがある瞬間に、あいつなら、とフィットして呼ばれちゃうフットワークの軽い何者か。そういうものに私はなりたい。

 これが時代劇であれば、どこからかふらりと現れた浪人、みたいなのはいかにも助っ人であろう。江戸の町(なんか深川とか本所とか)にやってきた髪がぼさぼさのおっさん、懐手で歩いて腰に一本差しておいて。そんで町の人と話してて「こいつぁなんかあるな」とかいって、事件なり何なりを見事解決。感謝されても飄々、めでたしめでたし。

 ゲームで例えるとロマサガ2のフリーファイターが明らかに助っ人的なポジションである。城内にもいるが、城下町の酒場で飲んでるのもいる。どこかに所属しているのでもなさそうだが、話しかけると仲間になる。序盤ではこいつがけっこう強いので使いがちだったが、平時は(あれは昼からなのだろうか)酒場で飲んでて、必要とあらば共に戦うっていうね、このだらしなさと力強さのハイブリッドがいいじゃない。

 本や小説が助っ人になることもある。特に小説はそういうものだ。何かを読んだから生きていられたっていうケースはいくらでもあろう。人生が変わることも大いにあるし、言葉の力によって勇気や癒しや励ましを得て、そうして伴走者のようなものとしてそれがあった場合、その小説は立派に役目を果たしたんじゃないのかしら。そういうのを書いてみたいものだ。

 映画も音楽もそうだ。いつでも助けてくれるもんでしょう。そうしていくと人それぞれに与えられた、人生に現れた助っ人というのは数限りなくある。これはもうできるだけ助っ人をかき集めるのがよろしい手段なんじゃないの。絵画でも漫画でもアニメでもスポーツでもインターネットでもなんらかの創作でも、そのときにいてほしい何かがあればそれが助っ人だ。助っ人というのを人間に限ることはない。一杯のコーヒーでさえ立派に人を支えてくれる。

 で、なんでこんなことを書いてるかっつーと、あたくし助っ人をちょっとやってて、今回デッカい案件に一枚噛んだ形となって、それで報酬が発生してるらしいんですね。期待してなかったんですけどねギャラは。もらえるものはもらいましょうということで今日受け取りに行く段となり、助っ人活動みたいなことに思いを馳せてたからこれを書きましたとさ。


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