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この世の果て(短編小説 5)

《《 今までのあらすじ →幽体離脱に成功した真希は、海峡で観光船の沈没事故で亡くなった女性の亡霊と出会う。翌日も会う約束をしたが、女性の亡霊は現われなかった。
ふと、亡き愛犬の鳴き声が聞こえてきた。鳴き声に誘われるように上空を移動すると、かつて亡き両親が住んでいた借家に辿り着いた 》》



「母さん……」

嬉しそうに微笑む母を見て、真希は考える。

(この状況を、どう解釈したらいいのかしら? 
一時、私は霊界に迷い込んだの?)



「真希、今日帰って来ると言ってたのに、なかなか来ないから、起きて待ってたんだよ」

「そっか、母さんごめんね。遅くなって」

とりあえず、話しを合わせる。

(母には幽体離脱した私の姿は、どう見えてるのだろうか?)

「晩ご飯用意してるよ、食べるでしょう?」

「うん」

玄関に入ると、ダイスケが飛びついてきた。
尻尾をちぎれんばかりに振って、鳴き始めた。

「キュ〜ン、キュ〜ン」

「あぁ、ダイスケ、久しぶりだね」

真希はダイスケを抱きしめた。
懐かしいダイスケの匂いに、胸が熱くなる。
今まで何度も夢に現われるダイスケを見て、もう一度会いたいと切に願っていた。
こんなふうに実現されて、感無量だった。

居間に入ると父もまだ起きていて、手酌で呑んでいた。
真希の帰りをずっと待っていたせいか、お酒を呑み過ぎた父の顔はだいぶ朱くなっている。

「父さん、起きてたんだ」

「おぉ、真希、遅かったな」

大好きな日本酒を呑んでる父は、上機嫌だ。

「真希、きりたんぽ鍋、作ってあるよ。食べるでしょう?」

「うん、食べる」

ダイニングルームに移動し、母の手料理を待つ間、真希は周りをしげしげと眺める。
冷蔵庫も食器棚も、以前のまんまだ。何もかもが懐かしい。

(でも、たぶん、これは幻覚かもしれない。もしくは、一時的にあの世に移動したのかも? 幽体離脱をした、特殊な状況だし)

そう、真希は自分に言い聞かせる。
そのほうが、後でがっかりしなくてすむ。
とはいえ、この状況をできるだけ満喫したいと思った。



「はい、どうぞ」

母は土鍋で煮込んだきりたんぽを、真希の前に置いた。
醤油と鶏肉で煮込んだスープが、ふわっと香る。

(あぁ、この香り、懐かしい。何年ぶりだろう)

母が亡くなってから、きりたんぽ鍋を食べられる日は、もう二度とやってこないのだ、と思うと寂しくて仕方なかった。
自分で作ってみても、どうしても母の味は再現できなかった。

まずは、スープを一口飲んでみる。
きりたんぽによく合う地元産の鶏肉が入っていて、いいダシが取れている。

(そう、これよ、これが母さんの味)

真希は感激し、次はきりたんぽを一口噛じる。
きりたんぽに染み込んだスープが口の中に、じゅわっと広がる。

「あぁ、美味しい……」

久しぶりに母が作ったきりたんぽ鍋を食べて、忘れかけていた幸せを噛み締めていた。心底嬉しかった。
一口ずつ、ゆっくりと味わいながら食べた。

「真希、どうしたの? 何で、泣いてるのよ」

母が、少し驚いたように言った。気づくと、真希は涙を拭いながら食べていた。

「久しぶりに食べたら、すごい美味しくって、ちょっと感動したの」

「久しぶりって、先月も帰ってきた時に食べたはずよ」

「えっ、そうだっけ?」

「変な子ね」

母が苦笑いする。

平凡な当たり前の日常が、どれだけ幸せなことか。それに気づくのは、日常が崩れ落ちていった後だ。
どんなに望んでも、死者は蘇らない。

(今のこの状況が夢や幻だとしても、覚めないで……)

きりたんぽ鍋を食べながら、真希は一時であろう幸せを噛み締めていた。
母との何気ないお喋りや、ダイスケとの戯れ。
それらは真希の心を満たしていった。

「真希、今日は泊まっていくんでしょう?」
母が尋ねる。

「うん、泊まるよ」

明日は休みだから、急いで帰る必要もない。


母が用意した布団に横たわると、真希は幸福に浸っていた。

(また、この日常が戻ってくるといいのに……)

ダイスケが部屋に入ってくる足音がした。
傍らに来ると、真希の顔を舐めた。

「ダイスケ……」

横たわったダイスケの頭を撫でながら、真希は眠りに落ちていった。


窓から差し込む朝日に反応し、次第に覚醒し始める。
一時、自分がどこにいるのか分からなくなったが、
すぐさま昨夜の出来事を思い出した。

(あれ?)

何やら違和感を感じた。
真希は起き上がる。
布団に寝ていたはずなのに、布団が無くなっている。

(畳に直接寝ていたってこと?)

周りを見渡してみる。家具も何もない。

「母さん!」

真希は立ち上がり、呼びかけた。
居間に移動しても何もない。がらんどうだ。
どう見ても、空き家の様相を呈している。
ダイスケの鳴き声が聞こえてくるのを期待したが、
窓に叩きつける風の音が聞こえるだけだった。



        つづく













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