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雪中に果つ 2(小説)


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昨夜から降り続いた雪のせいで、道路の除雪が追いついていないようだ。
裕二は慎重に運転しているが、所々道路がでこぼこになっているため、何度かハンドルを取られそうになった。
その度に、真紀はハッとする。雪道で車が制御不能となり、ガードレールや木に激突して命を失うのは
避けたい。そんな死に方は嫌だ。理想の死とかけ離れている。

やがて、前方に通行止めのフェンスが見えてきた。
ここから先は険しい山道になるため、冬季間は閉鎖になる。
裕二はフェンスの手前に車を停めた。
「ここからは、歩いて行こう」
真紀は頷き、裕二と共に車から降りる。
ガードレールの脇から林の方向へと足を踏み入れる。固く湿った雪のため、歩きづらい。
奥に進むに従って雪は深くなる。膝まで埋もれながら、二人は歩いた。

真紀はまもなく訪れる究極の幸福の時を思い、次第に気分が高揚し始める。
裕二と共にこの世から旅立つことに、何の迷いもない。何しろ、自分がいなくなっても誰も悲しむ人などいないのだから。
両親は真紀が幼い頃に離婚し、母に引き取られたが、その母も数年前に不慮の事故で亡くなった。
父の居場所など知らないし、探す気にもなれない。
姉妹もいない。一人っ子だ。自分は天涯孤独だと、真紀は思っている。
30年の短い人生だったが、愛する人と結ばれないのなら、最早生きる意味もない。生に未練などない。

二人は死に場所を求め、歩き続けた。
膝の高さまで積もった雪のせいで、一歩踏み出すごとに疲労感が増してくる。
早く適当な場所を見つけて、死出の準備に取りかかりたいと真紀は思った。

「この辺にしようか」
裕二が言った。
立ち止まると、目の前にかなり樹齢がありそうな大木があった。
真紀は頷いた。
裕二は背負っていたリュックを肩から下ろすと、大木に近寄り根元の周囲に積もる雪を足で踏み固めた。
真紀も裕二にならって、雪を踏み固めた。
ある程度平らになったところで、裕二は根元に腰を下ろした。真紀も隣に腰を下ろす。
湿った雪に足を取られ、体力を消耗したせいか
思わず溜め息をつく。

裕二はリュックからワインの瓶と紙コップを取り出した。
苦笑いしながら、
「本当はグラスのほうがいいんだろうけど」
真紀も微笑み返す。
やっと待ち望んでいた時が訪れた。心が浮き立つ。
裕二は2つの紙コップにワインを適量注ぎ、1つを真紀に渡す。

「裕二、あの世でずっと一緒にいようね」
「うん、ずっと一緒だよ」

2人は紙コップを掲げて、乾杯の仕草をする。
真紀はワインを口に含むと、ゆっくりと呑みこむ。
空腹のせいか、一気にアルコールが体内に染み渡るのを感じる。
コートのポケットから睡眠導入剤を取り出すと、
数個まとめて口に入れた。続けてワインを口に含み
呑み干す。
普段から寝付きの悪い真紀は、かかりつけの医者から毎月通う度に処方してもらっていたのだ。
癖になるのを防ぐために、服用しない日もあった。
だから、結構な量が溜まっていたのだ。
真紀は更に睡眠導入剤を取り出すと、裕二にまとめて渡した。
「睡眠薬よ、裕二も飲んで」
裕二が頷く。
小雪がちらつき、外気温はマイナスと思われるが
それほど寒さは感じない。膝下まであるダウンコートを着用しているせいなのか、ワインで既に酔いが回っているせいなのか……。

心中を決意した時、苦しい思いはしたくないと思った。できるだけ自然に、いつの間にか……、という方法はないだろうかと考えた。 その時、季節はあたかも冬になろうとしていた。
極寒の日に屋外でアルコールを摂取して眠りに落ちれば、低体温症になりそのまま息絶えるのではないかと考えた。実際、そのようにして命を落とす事故
がニュースで報道されていたことがあったのを思い出した。真紀は、この方法に賭けることにした。

万が一、どちらかが生き残る事態は何としても避けたい。
真紀は更に睡眠導入剤を取り出すと、何錠かまとめて裕二に渡した。
ワインを紙コップに注ぎ、自身もまた睡眠導入剤を
取り出すと口に含む。そしてワインで流し込む。
だんだん気分が良くなってきた。同時に睡魔も忍び寄る。
「眠くなってきたわ……」
そう呟きながら、裕二の肩にもたれかかる。
真紀は幸せだった。
裕二を独り占めにしたまま、この世から去っていく。これ以上の幸せなど、有り得ない。
「裕二、ずっと一緒よ……」
「うん、一緒だよ」
裕二は顔を近づけると、そっと唇を重ねる。
唇の感触は、真紀に更に幸せをもたらす。満ち足りた心地で真紀は目蓋を閉じた。
その表情は幸福と安堵感に満ち溢れていた。

裕二は真紀が完全に眠りに落ちたのを確かめると
肩にもたれかかる真紀の体をそっと外す。
そして、大げさに溜め息をついた。
裕二は最初から死ぬつもりなど、毛頭なかったのだ。真紀が何度も心中の話しを持ちかけてくるから
承諾した、ふりをしたのだ。
さて、と、裕二はゆっくりと立ち上がる。
真紀に比べると、それほど酔ってはいない。
呑んでるように見せかけて、真紀に気づかれぬよう
呑みかけのワインを捨てていたのだ。
当然、睡眠薬も服用していない。口に入れたふりをして、雪の中に埋めた。
とりあえず、早くここから立ち去らないと。
万が一、真紀が目覚める可能性もゼロではないだろう。
(真紀、ごめん……。愛してたけど、キミの願いを聞き入れるのは、本当は無理なんだ。許してくれ……。)

一時、眠る真紀を見つめる。罪悪感に襲われる。
後ろ髪を引かれるような思いで、裕二はその場を立ち去る。
今後、真紀との関係を断念することになっても
仕事が思うように見つからなくても、だからといって死にたいとは思わない。家族を見捨てることなどできない。恋愛第一主義の真紀とは違うのだ。

そういえば、一つ問題がある。春になり雪が消えると、変わり果てた姿となった真紀を誰かが見つける可能性がある。警察は自殺と他殺、両方を視野に入れて捜査するだろう。きっと親しく関わっていた人物
を洗い出し、自分にも捜査の手が及ぶかもしれない。そうなったら、100%しらを切るしかない。
自分が疑われるような証拠は、あの場所には残していない。
2人分の紙コップは持ってきたし、手袋をはめていたから、ワインの瓶には指紋は残してはいない。
だから、真紀の自殺と断定される可能性の方が濃厚だ。
裕二は湿った雪に足を取られながらも、車を停めていた方向へと急いだ。
折しも、天候が悪くなってきた。雪の降り方が激しい。日没の時間が迫っているため、辺りは薄暗い。
道に迷わないよう、車を停めた場所からできるだけ直線のルートになるように歩いてきたつもりだった。だが、降りしきる雪で視界が悪く、方向が分からなくなってきた。
裕二は不安になりながらも、歩を進めた。
その時、目の前を動物のような黒い物体が瞬時に横切った。
裕二は驚き、大股で後ずさった。
もう一歩後ろに下がった途端、後方に足がズルっと
滑った。体勢を立て直そうとしたが体がぐらりと揺れ、後ろに倒れた。と同時に、体が下に滑り落ちて行くのが分かった。

(まさか、崖の近くを歩いていたとは……。
助からないんだろうか? あぁ、真紀を見捨てたバチが当たったのか?)

滑り落ちるスピードが加速をつけ、裕二は深い谷底へと落ちていった。
いつの間にか、裕二の意識は無くなっていた。


     つづく

















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