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一瞬に全てをかける

高校1年生の入学から秋までは、野球部で毎日、ボール拾い、ボール磨き、声だし…

やっとボールを握らせてもらえたと思ったら、キャッチボールでいきなり「お前はセンスがない」と監督に言われる。

何かしら先輩に怒られる。

怒られたくないから頑張るけど、緊張して逆に失敗して怒られる。

しまいには監督に「お前は絶対にレギュラーにはなれないから、マネージャーになれ」と言われる。

散々だった。

高校1年生の僕は、絶望の底にいた。夢も希望もない毎日だった。

詳しくは前回のこちらの投稿をご覧下さい。



そんな僕が、陸上部へスカウトされて転部した1年後…

高校2年生の、9月陸上トラック1周を駆け抜ける400mという個人種目で、広島県新人戦の決勝にたどり着いていた。

このレースで6位以内に入れば、10月にある中国大会へ出場できる!

そんな大事な場面だった。

1年生の11月、高校駅伝に出場してみたものの、短距離の方が適性がありそうだったので、2年生の春の公式戦は、100mでデビューする。


100mで県大会には出場したが、11秒2という、広島県の高校陸上選手の中では、そこそこなタイムで県大会準決勝止まりだった。

そもそも0.1秒タイムが縮まるだけでも、相当な努力が必要な世界である。

その0.1秒を縮めるだけで、みんな暑い夏も寒い冬も、必死に走っている。

陸上部に転部し、半年の経歴の自分が、100mでインターハイに出場するには、スピードも、技術も追い付かなかった。


100mではなんとなく、それ以上の先の大会は、望めそうにないと感じた。

2年生の夏、陸上部顧問の先生の薦めもあり、専門種目を400mに決めた。僕はインターハイへ出場できるならなんでも良かった。

この種目は、毎回のレースで10mある橋から飛び込みをするような勇気と、酸欠になるまで自ら自分を追い込むという、

ストイックで

ハードで

クレイジーな

種目だった。

結局、最後は技術もスタミナも越えた、根性論な所が自分には合っている。

インターハイへ出場するための近道が、たまたま400mだった。

2年生の夏に出場した小さな大会で、県大会決勝どころか、中国大会に出場できる可能性のある49秒8というタイムが出た。

もしかしたら、インターハイへいけるかもしれない。その期待から、400mにかけることにする。

秋の広島県新人戦の決勝の本命は、2年生ながら夏のインターハイ400m決勝で5位になった男だ。

そもそも挫折して、夢も希望もないまるで川の底にいたような僕みたいな人間にとっては、


眩しすぎるような経歴と、明るさ、偉ぶったりしない人懐っこい笑顔と

色々兼ね備えた存在だった。

彼を初めて見た時は、雲の上の存在…僕の中ではスターだった。

本気でそう思っていた。

そんな彼と同じ土俵に立っていることが信じられなかった。

レース前は、「ここまで来たからには、中国大会へ繋げる最高の走りをしよう」と思う。

そのレースで僕の高校2年生のベストタイムを叩き出した。49秒4というタイムで2位だった。

そのタイムを大事な場面で出せたら、夏のインターハイへいけるかもしれない。

そんな価値があるタイムだった。

中国大会へ出場が確定した瞬間、ガッツポーズをした。

陸上部の顧問の先生が駆けつけて、先生とハグをする。

ただ、興奮が冷めると悔しさが込み上げた。

表彰台のてっぺんに立ったのは、もちろんスター。そして笑顔だった。

僕はその隣。

スターは、さすが2年生ながら、インターハイ5位という圧倒的なスピードで、なおかつ余裕を残しながら、優勝をかっさらう。

2位だった僕と1位だったスターとの差は、誰がみても明らかだった。格の違いを、これでもかと見せつけられた。

インターハイで戦った男のスピード、スタミナ、レース展開、きれいなフォーム、レースをする上では見えてはいけない背中…

全国を知る男の走りをまざまざと見せつけられた。

はじめは憧れだった。


彼と初めて言葉を交わした時は、感激した。


でも、今は勝ちたい!!!

強くそう思う。

その後、10月に出場した中国大会は、日程が修学旅行とかぶって全然練習ができず、調子を落とした。決勝で50秒7で7位という、悪くはないが良くもない結果となった。

野球部でゴミのように扱われた男が、中国大会に出た。

そこで、満足してしまった部分は否めない。

冬を迎えた。ひたすらインターハイに出ることと、スターに勝つことだけを考えた毎日を送っていた。

2年生の冬に中四国地区で、ある程度の成績をおさめた選手が集まる強化合宿があった。

スターはもちろん参加した。僕はそこで、スターを○○くんと名字で読んでいたのを、下の名前で呼ぶ。

たぶん彼は、ビックリしたかもしれないが、そうしないといけない気がした。

彼に勝つには、対等でないといけない気がした。

意識させてやるとさえ思う。

その合宿でも彼は、2つくらい格上の圧倒的なスピードやスタミナで誰よりも抜きん出ていた。そして、笑顔だった。

その参加した合宿で、選手のベストタイムを比較すると、僕は4番手だった。

中国大会や合宿で知り合った中には、当然僕よりも早い奴がいる。

3年生の夏のインターハイに出場するには、誰と誰をやっつければいいのか大体わかった。

学校に戻ってからは、他県のライバルやスターが、僕の前を走ってることをイメージして練習する。

僕がサボるとその分、ライバルが早くなると思うとサボれなった。

勉強もおろそかになり、授業はガッツリ寝た。授業は僕にとって、大事な睡眠時間となった。

テスト週間は、肉体強化月間だった。当然成績は急降下したが、反比例するようにスピードがどんどんついてきた。


吐くまで、たくさん走り込んで、スタミナがつく。

筋トレをして、筋肉がついてくる。

雪が降ろうが、走る。

スターに勝ちたかった。インターハイに出場したかった。自分を雑に扱った奴らを全員見返したい!

そんな思いから走り込む。

どうやったらインターハイへいけるか、そのためには何をしたらいいかを必死に考えた。

春になり3年生になる。練習のしすぎで調子が良くないのはわかっていた。それでも、小さな大会で前年出したベストタイムを更新する。

これはすごいことになるかもしれない。

なんとなく予感はあった。


そして、向かえた3年生の5月下旬、広島県大会の400m決勝…

不思議と体に高揚感があった。

予選、準決勝と走ったのに、疲れが感じられない。

気分は心地良くすらある。

スターティングブロックに両足を重ね、ピストルの音とともに、低い姿勢からゆっくりと上体を起こしながら、最初のカーブを走りはじめた。

 100mを通過し、バックストレートを走っているときの体はとても軽やかだった。

隣のコースを走っていた選手がスローモーションに見えて、200mを越えたカーブのあたりで抜かす。

他の選手の動きがゆっくりに見えた。ゾーンに入ったのだろう。

周囲の声が聞こえなくなった。

最後のカーブを抜けて、残り100mを越えたストレートで気が付いた。

スターが僕の少しだけ前にいる。

いけるかもしれない。

勝てるかもしれない。

僕はラストスパートをかけた。

400mのうち、最後の直線100mは、実は僕にとって一番得意な場面だった。


野球部から転部して、テクニックが追い付かなかった僕は、スピードとスタミナだけで戦ってきた。

素人感丸出しの、不細工なフォームだったことは認める。

あとはいつも気持ちでカバーした。


特に400mの最後50mに必要なのは、

テクニックでも

スピードでも

スタミナでもなく


ただ、ただ、


ど根性だった!!

泥臭くも勝ちにしがみつく。

そんな戦い方しか僕にはできない!!

残り50mを切った時には、酸素が体に回らないのがわかった。息が苦しかった。

腕がだんだん、しびれてきた。

足が重たくなり、空回る。

でも、じわじわと前にいたスターが、僕の隣に近づいてくる。

重い足を交互に前に出した。


あいつと肩を並べるっ!

勝てるっ!

いけるっ!


届けっ!


あと少し!


いけるっ!

いけるっ!!

いけるっ!!!

いけるっ!!!!

いけぇーっ!!!!!!


届けぇーー!!!!!!!

いったぁーー!!!!!!!


気が付いたらゴールを向かえていた。

どっちが勝ったかはわからない。

でも並んだのは、確かだった。

全てを出し切って、フラフラになり座り込んだ。酸欠になりしばらく歩けない。

そして記録が出て驚いた。

僕もスターも48秒46と同タイムだった。

そのタイムを大事なレースで出せたらもしかしたら、インターハイの決勝にいけるかもしれない。

そんなタイムだった。

気が付いたら2年生の秋から、1秒近くベストタイムを更新していた。

陸上競技で0.1秒縮めるのに、本当に大変な努力が必要だった。それなのに、1秒縮めた。

走ることだけに集中して日々を過ごし、他はおざなりになり、色々と犠牲にして走った結果だった。

スターと対等に張り合うというのは、そうゆうことだ。

それでも、スターが1位で、僕は2位。

写真判定の結果、小数点第3位まで刻んだら、スターが少しだけ早くゴールする。

その差は喉仏一つ分…スターが先にゴールしていた。

結局、負けたが、嬉しさの方が大きかった。

彼は手を抜いたわけではない。

本気のレースで彼と戦い抜いた。

それが嬉しい。

後にも先にも、彼と肩を並べて、走ったのはその1回だけだった。

あとはこてんぱんにされた。

表彰台ではもちろん彼がてっぺんにいた。そして笑顔だった。


僕もその隣にいた。


そして笑顔だった。


その後、6月にあった中国大会の決勝では、スターはさらに早い、47秒9というタイムを出して優勝する。そのタイムは、全国大会決勝でベスト5位以内にいけそうなタイムだった。

僕はその中国大会決勝で48秒9で3位となる。そのタイムは全国大会の予選を突破して準決勝にいけるくらいのタイムだった。

僕も3位だが、彼と一緒に表彰台に上り、インターハイの出場を決めた。しかし、また彼に圧倒的な差をつけられたレースになる。

僕は夏のインターハイへは出場したものの、インターハイの予選では49秒8とその年、本気を出したレースで一番遅いタイムを出した。

 全国大会の雰囲気にのまれたこと、夏の暑さにやられて吐いたことしか覚えていない。

そしてどこかインターハイに出場したことに満足していた。

情けないが、僕の全国大会デビューはそんなものだ。

インターハイ400m決勝で、スターは47秒7で2位となり、また差をつけられる。

今思い返すとそもそも、僕と彼では日頃の意識が違った。

インターハイ出場を目標にして、スターに勝ちたかった僕と、全国制覇を目指していた彼ではそもそも次元が違っていた。

今でも凄い奴だと思って、リスペクトしている。

試合経験が浅く、全国大会初出場の僕は、肉体のピークをインターハイより前に持ってきてしまっていた。

スターは、全国大会常連のため、勝ち方をしっていたので、インターハイに照準を合わせて、肉体のピークを持っていった。

だからこそ、お互いの調子がかっちりと噛み合って、県大会の決勝で同タイム着差ありだったのだと思う。

尊敬し、憧れだった彼がいたから僕は、彼を越えたくて、野球部から転部し、短期間で、異常なタイムの縮め方をすることができた。今ならそう思う。

野球部でゴミのように扱われた僕が、挫折から立ち上がり、必死に頑張り、 プレッシャーのかかる場面で最大限の力を出して、戦いつづけた。

負け続けたものの、格上のスターに肩を並べて一矢報いた自分に「大変良くできました」とスタンプを押してあげたい。

高校時代の僕は、思春期真っ盛りでホントに不器用だった。

でも、恥ずかしくなるくらい、なりふり構わず一生懸命だった。

陸上競技を引退し、大人になり、色々なことがあった。辛いこともあれば、嬉しかったこともある。

悔しくて泣いたり、絶望的な出来事にもうダメかと思うこともあった。

もちろん嬉しくて泣いたことも、たくさんの勇気をもらったこともある。

人の優しさや、縁に助けられたことも何度もある。

忘れていたが、何度も何度も、ちゃんと過去の僕は挫折を乗り越えてきた。

この日記は、これからの僕のために残す。

普段はふざけた内容しか投稿しないが、たまには青春をギュッと詰め込んだものを、真面目に書いたって良い気がした。

これから僕がつまづいた時に、過去の自分が時には叱り、時には励ましてくれると思う。

あの時の僕は、一瞬に全てをかけていた。

かけて、かけて、かけぬけた。


そんな風に不器用に、まっすぐ、頑張っていた自分を誇りに思う。

あの頃の自分に胸を張って、大人になった今の僕も、これからの僕も


「まだまだ、不器用に、まっすぐ、ひたむきに頑張ってるよ」と言えるように日々の仕事や、生活に向き合っていこうと思う。

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