可愛いは消耗品
可愛くなりたいと思った。
視覚的に美しいものになりたいと思った。
人を見た目や雰囲気で好きになることがある。
それならば、自分が綺麗だと思える外見になれたとしたら、自分のことも好きになれるんじゃないか、と思った。
中身とか過去とか関係なく。
今思うと、私が自分を嫌いになったのは自分のせいだけではなかったのだろう。
それでも自分が嫌いな自分が嫌いで、
とにかく好きになりたいと思った。
誰より一緒にいる自分自身を。
できるだけの努力をして自分磨きをした。
鏡の前であまりの醜さに泣いてばかりいた。
あれから何年か経って、以前よりも外見がマシになった。
変わったことといえば以前より男の子に優しくしてもらえるようになったり、「女」という性別であるが故に嫌な経験をするようになったことくらい。
その事実が、自分を好きになるどころか逆に虚しくなった。
自分自身が削り取られて消耗していくような感覚になる。
外見を好きだと言われたり褒められることは複雑だ。
時間をかけて懸命に作った料理を出したのに、お皿を褒められているような気分になる。
お皿だって働いて悩んで選んで買ったものだから、褒められて嫌な気持ちになるわけではない。
ただ、あぁそこなんだ、、という消失感とともに心に小さな穴が開く心地がするのだ。
きっと、なんの特徴もない飾らないお皿に料理を入れたら、主に料理を見て、味わってくれる。
料理を主役にしてくれる。
それと同じように、すっぴんに近いメイクをして髪型をして、飾らない女の子になれば中身を見てくれるのか。
いや。
『綺麗な箱は開けたいと思うけど、汚い箱は開けたいと思わない。人間も同じ。』
と言っていた人が身近にいたなぁ。
結局外見が良くないとスタートラインにすら立てないのか。
褒め言葉に苦しめられたりするのって
なんだかすごく切なくて人間くさい。
同性といると気を使うことも多いし疲れるけど、中身を見てくれる人が多いから落ち着く。
異性といると楽だけど外見を見てる人がほとんどだから、消耗する。
結局、中身を磨かなければ、自分のことを好きになれないのだ。
きっと人間はみんな外見で判断してしまうことがほとんどで、外見がいいと得をすることもたくさんあるのだろう。
それってなんだかかなしいことに思えた。
外見が良くなることで多少の自信はついたが、それは若さゆえだろう。
若さって少し恥ずかしい魅力に感じてしまうのは、与えられるものだからなのか。
その人の本当の魅力は歳や経験を重ねて出てくるものだと思う。
中身や技術、感性を磨いていくことは大切で、それは未来の自分への投資だと言えるだろう。
でも結局、周りから見た『その人』は外見が占める割合が大きいんだろうなぁ。特に若いうちは。
限られた若さという時間を精一杯生きて、
自分に投資する。
歳をとったら外見では見向きもされなくなる。
若さって残酷だ。
美しさって虚しさだ。
可愛いは消耗品。
下着や靴下、トレンドと一緒。
いつか捨てられて忘れ去られていく。
それでも美しくあろうとする私たちは一体なんだというのだろう。
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