りんかい先生がアニメ
いい年したおじさんでも、視聴に耐えれるアニメの話。
( 嘘か誠かw )
23年前のアニメ映画「 耳をすませば 」を初めて観た。
近藤喜文監督作品だが、殆どがジブリ宮崎駿の主導によるものだ。
二つの疑問がある。
一つは何故、宮崎駿はこの作品を創りたかったのか?
もう一つは、監督を近藤喜文(こんどうよしふみ)にしたこと。
この謎を解きたいかというと・・・そうでもないw
ジブリはドラえもんと一緒で、時代の役割を終えようとしている。
私的な感謝だが、青春の彩りとしてジブリの恩恵にあずかり、多くの感動をくれた。
厳密には、ジブリ以前の宮崎駿からも、影響を受けていた。
手塚治虫と宮崎駿というマンガとアニメ、この2人の才能と同時代を生き、本当に幸せだったと思う。
そして、マンガはピークを過ぎ、アニメも後10年だろう。
私にとっては、充分である。
・
「 耳をすませば 」の作品評だが、この作品は地味である。
特別なファンタジーでもな~んでもない。
主人公の少女は、原作は中1アニメは中3設定。
観始めてすぐ「 中1くらいかな? 」と思い、見続けて「 中3なのか 」と感じたのは、アニメに原作の設定が浮かび上がってるからだ。
結論から言うと、もうタイトルが全てを語ってる。
「 耳をすますだけ 」の物語である。
この映画から23年がたち、スマホで音楽を聴く人は多いだろうが、結局は「 目を凝らし 」まくって、画面だけを追い求める現代人は、既に耳を澄ますだけが出来ない。
そういう意味では、無駄に変わりすぎた現代からは、素朴に真面目に努力する姿は「 ありえね~ 」というファンタジーかもしれない。
奇跡的な映画である。
原作と宮崎駿の出会い・原作はたった一冊の素朴で描写の足りない作品だろう・やりまくる宮崎駿はエッセンスだけ取り8割を補完・ジブリの後継者として近藤喜文に期待する時期・それらが重なって秀作になってしまった。
宮崎駿の嫌なとこが、抑えられた作品でもある。
少女が書く小説の空想シーンは中途半端、必要としたら近藤監督がどれだけそこを描きたかったによる。
空想シーンの背景画に、当時マイナーだった絵本作家の絵が使われた。
私が住む大阪北摂に縁がある、学校の先生だったらしい。
( 映画起用の前に、この絵本を知り良い作品と感じてました )
ジブリに個展の絵葉書を送ったところ、たまたま宮崎駿の目にとまり、映画に起用され、売れっ子の絵本作家になった。
つまり・・・あまり言いたくないが、そこに嫌なとこがある。
私はこのエピソードを映画を観るまでは、良い話と思っていた。
もちろん良い「事」ではある。
ただ作品の主旨からは良くない。
まあでも、このニュアンスは難しすぎるし、空想シーンが無くても100点の映画だから( ´ ▽ ` )ノ
ジブリで一番好きと、ツイッターで多く見かけた。
素朴な時期、それは既に完成された充分さであり、愛情そのものである。
主人公の少女少年は、夢の塊で最も愛しさに溢れる。
阪神淡路大震災・オウムサリン事件の前から制作され、公開はその後の夏。
ありきたりで悪いが、私達の何かが変わる節目だったのかも?
特筆すべきは背景の絵。
ジブリ作品はファンタジー・西欧の風景が主なので、仕事として資料を見ての背景美術になる。
この作品の少女は、○○市の○○団地という日本の風景、スタッフが知ってる光景なのだ。
細部に思い入れがこもってると感じた。
毎回にジブリの背景美術は気になるが、私的には一番良かった。
丁寧に創られた地味な作品は、派手な作品で描けない凄さを持ったりする。
日常こそが意外性に富み、美しいと誰かが言う。
それも創り手の役目である。
この作品をもし観返す時、ふと記号として頭によぎって欲しいのは、監督の近藤喜文さんは、これで映画監督デビューし、この3年後に急逝した。
沢山のヒット作を生み出すだけが、創り手では無い。
たった一作品だけで、消えていく者も多い。
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さて・・・23年後
「 SSSS.GRIDMAN 」
というアニメ作品が2018年TV放送された。
お茶の間でみんなが観るという時代が無くなり、オタク達の精神安定剤としてのアニメがまだ隆盛である。
近藤喜文さん亡き後、みんなが観るアニメ映画監督は「 君の名は 」まで待たなければいけなかった。
「 過去を消費する文化 」という保守的な気持ちが、低迷&激動23年でより深化した。
このグリッドマンという物語は、ウルトラマン特撮シリーズをアニメ「 表現手段 」として用いる。
そして内容だが「 少女が自らの苦しみを夢の中で解決する 」となっている。
この苦しみが起きた背景は、人間関係によるものと推測される。
最終話のラストシーンだけ、目覚める少女を「実写」で表してる。
実写とアニメの違いは、アニメは創り手の思い入れが顕著に出る。
可愛い女の子を一生懸命に描いたり、細かな表情の動きを表したり、勢いの表現を工夫したりと、スタッフの気持ちそのままが、技力として反映されやすい。
「 耳をすませば 」と「 グリッドマン 」を、比較する人はいないでしょうが、たまたまおじさんがアニメを観て・・・同じく少女が主人公・心の葛藤を描いている。
その点だけ気にしたところ。
30年前の少女は生きることが既に幸せそのものであり、成長に必要なのが葛藤だった。
そしてグリッドマンは、逆である。
少女の時に「 耳をすませば 」を観た親の子が、もしグリッドマンに共感してるとしたら?
ジブリアニメやディズニーは、一体何の為に夢を描いてきたのか?
このグリッドマンを全12話観終わって、私の感想を言うと・・・
「 気持ちは解るが、それは答えでないから、苦しみは越えられない 」
夢オチなので、何日も眠っていたと考えられない、ラストシーンは少女の自宅で陽の光が窓から射す。
耳をすませばの少女は、答えを求めて寝ずに何日も小説を書き、少女の葛藤は自らの為。
グリッドマンは学校・友達に対する他の意識、自分が希薄という苦しみを、たった一晩で解決できたオチになる。
ウルトラマンの体で解りやすそうだが、実はかなり解りにくい。
主人公の少年は、全体を通しいわゆる主人公の活躍をするが、実は主人公は悪に操られる少女である。
少女の設定は、メガネで胸が大きく可愛いくて、フィギュア造りが趣味である。
メインの登場人物は、少女を含めて5人。
それぞれの葛藤を描き、最後にそれぞれの葛藤が昇華する。
まあ要約すると・・・代理戦争によって世界が平和になる。
という私の感想を書けば、見てない人は「 ええっ~そうなの、ダメじゃん 」と思うだろう。
しかし、わざわざ評を書いている訳なので、何故にそういうアニメが生まれるのか?
そこに注目して観たと、捉えて欲しい。
創作というのは、現実にいる者が創る。
どっかから、突然に作品は現れない。
現実から生み出し、現実にどう影響させるか?
特に主人公の年齢を青年期までに設定した場合。
これからの可能性達に、メッセージを送る時
「 如何に現実で逞しく生きて欲しいか 」
そういう願いがあるならば、現実と繋げる描写が必要になる。
昔、ドラえもんの最終回で、未来へ帰るドラえもんの為に、のび太はいじめっ子と戦いました。
のび太は、ボロボロになっても、ボロボロになっても、いじめっ子に向かっていきます。
いじめっ子は、とうとう根負けして去っていきます。
「 ドラえもん、僕大丈夫だよ。 ドラえもんがいなくても大丈夫だよ。 」
・
私的な話で申し訳ないですが、最初に出会った児童小説が佐藤さとるという方の作品でした。
児童小説なので、大人になって読み返すと、平仮名ばかりで読めませんw
その作品の中の一つにも、現実とつなげる描写があります。
当時、その物語は小さな私を小躍りさせました。
作品表現の中で「 このファンタジーは現実なんですよ 」という描写が盛り込まれていたのです。
もちろん嘘なんです。
ファンタジーは、空想の世界でありフィクションです。
人は虚構と現実の狭間に生きています。
心のどこかで「 信じたいけど嘘なんでしょ 」とあるのです。
疑いの気持ちは、現実への反応として大事ですが、逆に「 希望 」を失わせます。
佐藤さとるは、この虚をついて希望を増幅させました。
・
現実は厳しいんです。
果てしなく厳しい。
だからこそ、希望が必要です。
愛情や希望が、人類をここまで発展させました。
耳をすませばは、私達自体が希望なんだと表してます。
グリッドマンは、それを忘れてしまった時代を表してます。
この30年程で失ったのは、思い出せる仕組みです。
人間はすぐに忘れますから、思い出す仕組みを創ってきました。
作品表現はその知恵の一つです。
・
で・・・まだ続きます。
無理やりこじつけで~「 増幅 」です。
そのキャラクターは、あるゲームキャラで最弱です。
今や保守閉鎖の代表といえる、日本でない世界観。
ドラクエというゲームから生み出された「 スライム 」
「 転生したらスライムだった件 」
通称「転スラ」と呼ばれるアニメが現在放送中です。
人気アニメの様で、WEB小説スタートの原作です。
ふた昔前と違い、今の原作付きはアニメで増幅・掘り下げ広げる事が出来ます。
アニメ演出で力量発揮が腕の見せ所でもあり、アニメ制作側もテンションが上がったりします。
産みの苦しみは少ないと云えます。
先ほどのグリッドマンは、原作は過去の特撮ドラマですが、アニメオリジナル色が強い様で、産みの苦しみを伴ってます。
苦しみはやはり影で、オタクたちが支持するのは、その影でもあります。
( 影に影を重ね暗くなっていく側面があります )
ですので、ジブリで宮崎駿自身が産み、そこに苦しみの影を少なくしてるのは、やはり相当な力量があります。
( どうしても出てしまうものが、嫌な部分とも云えます )
グリッドマンは悪い作品でありません。
むしろ良作です。
大衆芸術は、一つの作品だけで世界を表すものでなく、王道があればアンチもある、という状態が良いのです。
ですので、転スラという作品は明るい作風なので、アニメ界の全体ではバランスが取れます。
設定の中で、暗い要素が幾つも出てきますが、それを「 笑って許す 」という懐の深さ・何故か余裕~!という作風が安心を醸し出します。
今放送中の話では、イノシシタイプの魔物が数十万、ひたすら飢えを満たすために、世界を蹂躙し生き物を食い荒らす。
それに対抗する一匹のスライムと幾種かの魔物達。
イノシシ魔物は元々は善良な生物でしたが、飢えに苦しむところを悪い魔王に利用され暴走する。
スライムはイノシシの王と、互いを食い合う勝負に挑みます。
イノシシの王を食べ勝つのですが、その勝負の描写としてイノシシ王が、食われながらに負けを認めない様が描かれてます。
認めると一族の罪を引き受ける者が、いなくなるとあがき苦しみます。
スライムは明るい声で言います。
「 おまえの罪も一族の罪も、一緒におれが食ってやる、おれが引き受けてやる 」
イノシシ王は一族の飢えを救う為に、悪となりました。
その罪を許され一族が救われると感じ、スライムに吸収されました。
この作品は、救済の物語です。
ワンピースというマンガがあって、そこでは仲間仲間と何度も叫びます。
しかし仲間なんて、現実ではフィクションだ。
「 信じたいけど嘘だろう 」となっている若者が増えてるとしたら?
CHAI(チャイ)という、女性4人組バンドが人気の様です。
それは別に良いのですが、4人がお揃いの服を着ています。
私には服のデザインが、オウム真理教の信者と被ります。
「 オウム真理教 」「 学生運動・山岳ベース事件 」と、若さが持つ当たり前の未熟による悲劇。
その悲劇が表面化出来ず、逆に内面に侵食し過去以上の人数に感染してるかもしれない。
と・・・少し暗い気持ちですが・・・。
人は暗い気持ちがあって救済を求めます。
光があって影があり、影は光の証でもあります。
転スラのスライムは、よく小さい事に気付き、素直に感心するキャラクターです。
支持される物語は、こうなりたい・こういう人がいて欲しいという、気持ちが反映されます。
一番弱いのに人気があるキャラ、スライムに目を付けたのは、中々に素晴らしい。
ショッカーの一戦闘員とかは、無理ですよね。
他の既製品では、意外と限定される。
転スラも今の若い世代のややこしい動機が、各所に現れてる。
でも楽しいアニメだと思う。
それは「 救われてスッキリしたい 」という中核の意識がハッキリしてるからだと。
グリッドマンと違い12話以上なので、どういう意識をより入れてくるか?
楽しみです。
りんかい先生がアニメとは何か?
今の大人は、昔は子供だったんです。
今の子供も、未来は大人です。
ですので、20年前の子供を観れば、今の理由が解ると云えます。
今の子供を観れば、20年後が解るかもしれません。
多様性と言いながら、多様性を容認しないが日本の風土です。
かといってグローバル化として、既に多様だった日本の風土を捨てて来た失敗もあります。
ネットの登場で、引きこもりが加速・継続しやすくなりました。
元々ウサギ小屋と欧米から揶揄された住居が、引きこもりでますます小さな空間になりました。
閉塞感でなく実際に閉塞です。
「 君の名は 」でも「 耳をすませば 」でも、景色が広がっているシーンが登場します。
大陸は逆にその広がりを恐怖として描けますが、日本では「 閉塞を如何に感じさせないか 」という視点が重要です。
アニメの主人公は若者達です。
アニメ好きな若者の数は、私の時代から比べると段違いに多く感じます。
アニメ好きが全体でありませんが、やがて社会の役割を担う一人であるのは事実です。
若いという事は、自己を形成する時期ですが、どうも形成できない環境になっていると感じます。
ですので、スマホが無い不便な時代より、今の方が未熟が続いてるかもしれません。
「 自己の獲得 」に必死な人は大変です。
社会や人間関係が上手くいっていれば、悩む必要もなく能天気で暮らせるのですが、一度つまづき布団に入ると、もう抜け出せない。
自己の獲得は必要なんでしょうか?
アイディンティテーが無くても、生きる事は出来ます。
確かに「 生きることは学ぶこと、学ぶことは生きること 」ではありますが、どんな人間でも死にます。
現在に解っているのは、寿命は遺伝子プログラムで120年程と決まっている様です。
自我自体が幻想かもしれません。
ある道を自らが欲し選んだ人にとって、幻想や理想は必要かもしれません。
そうでない人は、自分に向いてないのに、自我を求めざる得ないとしたら?
社会との関係で悩み、自己を獲得しようと更に悩む。
どこにも逃げ道が無くなっている。
必要性でそうするは仕方が無いですが、それは自分で選んだものでありません。
まあ自分で選んでも、キツいのはキツいんですがw
自分探し・意識高い系・スピリチュアルとか、私の論法から言うと
現代の日本人は、よっぽど「 楽になりたくて逃げたいのだな~ 」と思います。
「 ちなみに私も、逃げ道を探すため生きてますw 」
ではでは、りんかい先生でした。
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