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人生の節目に「データ」を考える
仕事終わりの電車の中で。なんとなく、今の気持ちを書きたくて。残しておきたくて。ケータイを開きました。
なんとなく、手書きじゃなくて、ケータイに書きたくて。
電子データは、脆い
文字も、自分のものじゃない。自分の字じゃない。読んでいる字も、画面上に映し出された電子?とにかく、薄っぺらい感じがします。一度削除したら一瞬で消えてしまうし、保存していてもデータが壊れたらそこで終わり。データが残っていて
好きな人にメッセージを送る時
文章を書いて投稿することは、好きな人にメッセージを送る時みたいだ。
何気ない会話でも、一生懸命言葉を探して。何度も何度も読み返して。相手のことを考え過ぎるくらい考える。
今回も。
どれほどの時間を使ったんだろう。
21時からだから、もう48分か。
以前はこの時間が、もったいないと感じていた。
48分も使っちゃった、と焦りの感情を抱いていた。
今はこの時間が心地いい。
こうして文章と向き合って
世界はもっとシンプルなはず
仕事、友人、恋愛、家族。
学校、サードプレイス。
過去、現在、未来。
世界は複雑に絡み合っているように見える。
世界はもっとシンプルなはず。
見て、聴いて、感じること。
今、ここにいる人を、ここにあるものを。
今、僕にできること。
やりたいことに理由は必要か
「なぜ、子どもたちと関わりたいのか」
ある先生に言われた言葉。
それまで考えたこともなかった。
この問いの答えが出るまで、子どもたちと関わってはいけないような気がして、一人になった。
考えても考えても、後付けの理由ばかりで、どれも本当の自分の思いじゃない感じがした。
考えれば考えるほど、出てくるのは怒りの感情。
理由なんて、必要なのか。
やりたいことに、理由なんかあるのか。
やりたいか
やればいいんじゃないですか?
「学校図書館、やりたいんですよね」
職場の頼れる先輩に未来の話をしてみた。
やっぱり学校にいる生徒たちと関わりたくて。
今は一旦図書館員をやっているけれど、いずれは学校図書館で働いてみたい。
その先輩は、もうすぐこの職場を去り、新たなスタートを切る。
「先輩は、将来楽しみですか?」
何度目かの挑戦の末の転職とのことで、今の気持ちを聞いてみた。
「まぁ、楽しみといえば楽しみですかね」
【小説『バニラな毎日』を読んで】自分がやりたいこと
『バニラな毎日』を読み終えて、僕は「自分のやりたいこと」を考えました。
僕は、子どもたちと関わりたい。ずっと心の中に、この思いがあります。
「なぜ子どもたちと関わりたいのか」
そんなふうに聞かれたことがあります。
その時、うまく答えられませんでした。
「自分は本当に子どもたちと関わりたいのか?」
思いが揺らぎました。
今でも「なぜ」には答えられません。
でも、それでいい、と今は思えています