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自分探しはもういらない?

あなたはどんな人間ですか?

 就活の場では、「私ははこんな人間です」ということを端的にまとめる力が求められます。私は高校時代に生徒会長になるために行った全校生徒前演説をはじまり、大学一年の間はマスコミ講座に所属してアナウンサーになるためのノウハウを学び、他者に自分をアピールするということを何度も経験してきました。そんな私は、自分語りは誰よりも得意であるという自信がありました。しかしながら、いざ大学3年になって気づきました。自己PRをする時も、自分の強みを話す時も、ありきたりな言葉しか出てこずに「私らしさ」のようなものが一切感じられない内容になっているということに。大学3年生としての一年間は、自分探しの一年でした。「自分とはどういう人間か」この質問に対して、明確な答えを用意することが最大の目標でした。実は、私が「自分探し」を始めたのは、就活のためだけではありません。他者に同調してばかりの自分を変えたい、そう強く思っていたからです。

「嫌い」は非生産的?

 私は、良くも悪くも敵を作らない人間です。人のことを「嫌い」と思うことはありません。というのも、他者を嫌いに思うことは非生産的だからと考えるからです。「好き」と思える人と一緒にいれば自分のパフォーマンス向上に繋がりますが、自分が誰かのことを「嫌い」と思う人に遭遇したらおそらく私の生産性は下がります。それならば、そもそも他者のことを意識的に好きになるようになり、人のことを嫌いと思わないようにすればよいと考えるようになり、なるべく他者の良いところの目を向け、そうでないところも逆に愛おしいと感じるようにしています。つまり、仮に私が他者を嫌いになってしまったとすれば、それは自分自身の許容力が足りないだけなのです。しかし、このような性格だからこそ、私の中には「自分」という存在がありませんでした。常に他者を認めるということは、同時に私自身の価値観というものが見えにくくなってしまうことを意味したのです。そんな自分を変えたい、自分の価値観をはっきりさせ、もっと堂々と自分を語れる人間になりたいと考えるようになったのです。

「頼れる」リーダー

 目標をもって努力できる人間、他者を気遣うことのできる人間、他者の良さを引き出すことのできる人間、一つのことに没頭できる人間…。いろいろと思いつくわけですが、どれもしっくりこないですし、何よりありきたりで「私らしさ」がありません。そこで、私は自分の人生史をたどることで、自分自身の価値観を探ることで私という人間の本質を見極めようとしました。そこで、私はある答えにたどり着きました。その答えを記したのが以下の記事です。

 リーダーシップ研修で学んだ内容を元に、私は「頼れるリーダー」を目指すことにしました。この「頼れる」という言葉には二義性があり、一つは「(他者を頼れる)リーダー」、もう一つは「(他者から)頼られるリーダー」です。他者を頼るためには、まずは他者を知る必要があります。何が得意で何が苦手なのか、何が好きで何が嫌いかを知らなければ、相手のことを信頼して共に仕事をすることはできません。まずは他者の声に耳を傾ける、これが重要です。また、他者から「頼られる」ためには自己研鑽が大切になってきます。誰かのやる気を触発できるほどまでに、勉強やトレーニングに没頭できることも私の強みの一つです。

疑念

 こうして、私は自分自身という存在を「”頼れる”リーダーを目指す人だ」と端的に説明できるようになったわけですが、最近になって、私はこの言葉が本当に私の全てを語りつくせているのかと疑問に思い始めるようになりました。

私らしさ

 そして最近気づいてきたことがあります。「私らしさ」がないことこそ私の唯一無二の強みなのではないかと。私は実に多様なバックグラウンドを持っています。学業においては、勉強ができなくて泣き叫びたくなる絶望感を味わうこともあれば、頂点に立つことの優越感も経験してきました。人間関係においては、大切な人に捨てられることの孤独も、他者に認められることの誇らしさのどちらも味わってきました。現在のアルバイト先である塾では、従業員をまとめたいのになかなか統率をとることのできないリーダーの大変さも、上司に理不尽な対応ばかりされる非リーダー講師の苦しみもよく分かります。

「私らしさがない」ことが私らしさ


このように、人生の酸いも甘いも味わってきた私だからこそ、相手のことをえり好みせずによき理解者となることができると思うのです。重要なのは、目の前にいる相手に合わせて、適切な「自分」を引き出すことなのではないかと思います。目の前で誰かが苦しんでいるならば、その傷を癒すことのできる「私」、誰かが何かに成功して喜んでいるのであれば、それを全力で褒め称えることのできる「私」、といったように。「私」という人間は、その目の前にいる相手によって変化する。そんな自分でもいいと思うのです。やや逆説的ですが、「私らしさがない」というと自体が「私らしさ」であると考えるようになりました。自分探しはもう必要ありません。これからも実に多様な人々と出会っていくことになることでしょう。まだ見ぬ「私」と出会う旅が始まっていきます。そう思うと、とてもワクワクしてきました。

 

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