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旅|太陽の街、青の世界|3

 松本駅の周辺を歩いた。心電図でも記録するかのように、その一歩一歩で初めて訪れた地の鼓動を全身で感じ取ろうとした。客を待つ数台のタクシー。発する赤いライトとエンジンから立ち上る湯気。それらは闇夜で獲物を狙う獰猛な獣たちを僕に想起させた。

 盛り塩のように、電灯の下には雪が積もる。指先と足先に冷気が募った。しかし、押し寄せる寒気は清らかであり、含まれた水気は潤いを与える。コンクリートによって遮断されることなく頰を触る。冷たくも暖かい。旅への期待感も内包した零度の気配に僕は身を任せた。

 この旅に同行する蓮木くんと改札で合流した。僕は柏から、彼は浦和から松本まで行き着いた。蓮木くんと旅をともにするのはラグビーワールドカップを観戦するために静岡を訪れて以来だ。アイルランドに声援を送る緑の衆。日本の観客たちは尽きることのない手拍子でエコパスタジアムに感情の渦を作り上げた。松本の地でそんな記憶が脳裏をかすめる。

 近くで見つけた居酒屋で記憶の引き出しを開け、それをテーブルの上に並べた。遠いものから、近いものまで。馬刺しや山賊焼きを口に運びながら、サッカーについて考えを口にする。ボールを受けて前を向き、プレーの選択肢を広げる長友佑都の技術。対比される海外の若手たち。シャンディガフを手に持ち、蓮木くんはスマートフォンをこちらに向ける。南野拓実が得点した事実を僕に伝えた。周囲に漂う静謐は枯れることのない、内なるサッカーの源泉を際立たせる。

 眼を開き、枕元のスマートフォンを手繰り寄せた。時刻は五時前を指している。早い目覚めは慣れないベッドのせいばかりではないだろう。未開の地にいる事実が僕の血にいつもとは違う流れをもたらしたのかもしれない。薄紙のような白いカーテンを右手でそっと押し開ける。街が瞬きをするかのように、信号は色を変える。その変化は路上にできた水面へと反射する。機械都市に迷い込んだ民。そんな錯覚を僕は覚えた。

 マックを開き、柏と川崎の試合で眼にした光景を可視化する。革靴の手入れでもするみたいに、歯を丁寧に磨いて意識のピントを合わせた。僕に歩調を合わせるかのように、外界にも白みが差してくる。今日も一日が始まる。

 蓮木くんを連れて松本城を目指した。視界の遠く先には山々がそびえる。周囲を見渡す。この街は山に囲まれている。穏やかな湖のような空が僕たちを見下ろす。手前のビル群と雄大な自然が織り成すコントラスト。山の風が首筋を撫で、雪解け水が大地から全身を包み込む。川のせせらぎを耳に湛え、足取りも軽くなったような気がした。

続く

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