見出し画像

私が大人になるのが怖い理由

こんにちは、ゆもです!

今回は私がもっとも苦しめられてきて根幹にあるものを話そうと思う。
漠然と将来に不安を抱く10代20代。
私の場合はその不安が人一倍強く、毎日気分が乱高下。

不安な時もあればわくわくもするし、
なんでも出来ると思ってやる気がみなぎったかと思えば、自分に自信をなくす。
大人になりたくないなあ。。。その気持ちが常に現状を暗くさせる。

ムンクの「思春期」
私はこれを自分の生写しとみなす

私は小さい時から自分の世界に浸りっぱの子どもで、簡単に言えば空想癖、自閉的だった。突然始まった小さな社会のレプリカとも言える中学校という空間で、拒絶反応が発生。結局学校に行けなくなって不登校、半引きこもりになる。

その後だらだら公立の通信制高校に通うのだが、高3になって突如大学受験を決意。死に物狂いでなんとか上智大学に補欠入学したのだが、高校後半から始まっていたのが、大人になっていく自分の体への違和感。それはジェンダーや性に対する違和感ではなくで、少女が女性に対して思った肉体に対するシンプルな違和感。そこから再び拒絶反応。食べれなくなって摂食障害になる。

心と体の成長のアンバランス
この時40kgを切っていた

現在、私は不登校児から大学生となり、
体重も標準になった(反動の過食期にも悩まされるが)。

新しいことにもチャレンジして、念願のインドへのひとり旅も果たす。けれども今も悩まされているのがこの成長への抵抗感、大人に対するどうしようもない恐怖感。きっと誰もが未来に対しては不安を抱くもの。
そんな中で今回は私の場合がどういう状況なのかを図説する。最近若干これで自分の状態に合点がついた。この投稿が自分にとっての整理になることを祈りたい。
(インド旅でも食べるについて呟いているのでぜひ↓↓↓)

イメージはこんな感じ↓

簡略化すると、この図は私の自閉的部分が外側の世界すなわち社会に接触した時のずれや摩擦、抵抗感を現している。
現在私の中にある色んなことに対するどうでもいい不安は①となって頭のうわずみ、端的に言うとおでこの裏側に常にある状態。これはある意味でうつ状態なのかも。非常に邪魔で、①のせいで物事を頭の薄っぺらい部分でしか考えられない。
で、重要なのはこの②の部分。私は小さい時から自分の作った世界でごっこ遊びするような子どもだったから、内側の部分がはっきりと存在している感覚を持っている。創造の部分。または考えたりする時にこのうなじの裏、頭の奥の部分が使えると楽に暗記できたりすごくクリエイティブになれる。

問題は②を認識している自分が③社会という外側に接触した時。個人的にズレは小学生の時にはあまり感じておらず、転機はやっぱり中学校かな。
みんなが思春期に突入。生理が始まったり、恋バナから関係は恋愛になる。部活などでの上下関係。成績。急に突きつけられる将来について。中学生は本当に大変だよね。急に社会に溶け込ませようと学校は強制する。

すごく頑張ったのだけど、私はパンク。
内側での自分が外側のみんなの成長についていけない状態。
そこで学校に対して拒絶反応が出て完全に外側をシャットアウトした。

でもそれじゃあいけない。人間は生まれた環境にある社会の中で生きていかなければならない。ひとりでは絶対生きてはいけない。コミュニティ内での関わりや、社会の中で生きる自分を作っていかなければならない。

家族や友達の支えもあったりして、少しずつ引きこもり状態から脱出していくのだが、次に始まったのは、内側での自分に反して体が女性へと成長してしまう焦燥感。まだ子どもで居たいのにどんどん体は大人になっていく。そこで②の自分らしい幼い自分が、一番安心できる場所が収縮していく恐怖に悩まされる。社会に溶け込むと、大人になると、子どもの自分が消えてしまうんじゃないか。そう考え始める。

そこで痩せようと頑張り始める。食べるのが怖くなる。
でも時間の流れには逆らえない。結果低体重でエネルギー不足、生理不順など最悪の身体バランスとなる。

そっから体重を戻すのも本当に苦痛。
摂食障害は本当に怖いよ。
絶対に食べないなんて思わないでほしい。

食べることは生きること。
食べることは成長すること。
食べることは大人になること。

こういうふうにつながって、食べることに希望を見出せなくなると、食べたくない、大人になりたくない、死にたいという気持ちに発展してしまう。
外側の社会とうまくやり合って成長しなければならない。
常にどうやってその折り合いをつけられるか、現在も模索中。

教育学に対する希望と熱意

でも私がここまでこれて改善してきているのは、ある人からの言われた言葉で、
「人生は妥協だよ」っていうもの。

妥協。
何事も完璧にというのは絶対に無理。
何かに妥協し、バランスを見つけ、生きていかなきゃいけないの。

そこで自分が興味を持ったのは、
どこまで人間は社会に対して妥協しなきゃいけないのか、というもの。

子どもはみんな初めは自分の世界で生きていると私は思う。こっちから見ると子どもって不思議で変な行動をしたりするよね。すごく自由。
でもそこをうまく学校や家庭は教育して、社会化を始めなければならない
でもでもそれって勝手にされていることでしょう?ある意味、外側のシステムが子どもの内側を壊しているともいえる。現に私はそこに順応できなかった。システムによってうまく育てられ才能となって外へ飛び出る子どももたくさんいるんだけどね。不登校はいじめだけが原因でもない。拒食症は美に対する執着だけでない。色んな子どもがそれぞれの気持ちを抱えて悩みながら成長している。

社会は問題で溢れてる。貧困問題、環境問題、格差にストレス。民族、文化、言語衝突など。。。社会は人間がつくった人工物だ。それもひどく不恰好な。
うまく社会の歯車の一部になった人間も幸せそうに見えない。
みんな苦しそう。私は日本の電車の中が大っ嫌い。
社会は時代を経て常に変動しているがいつだって不安定だ。
安定、均衡なんて訪れないのかもしれない。
私がどれだけ活動家となって変えようとしてもね。

それでも私が教育学に意欲を持つのは、その本来人間が生まれながらに持つ内側が外側に対してどのように妥協していって、よりよい社会をつくるのかということに興味を持っているからである。図で言えば、②と③の上手なバランスよね。そしてうまくいけば、子どもが社会へと溶け込むクッション素材であり、バランスを担う存在である教育が上手に機能すれば、いろんな社会問題の解決になるのではという期待を持っているからである。

高校時代では本当に何にも勉強していなかったから、今の大学での学びは本当に刺激的なの。面白いことがたくさん。でも色んな社会の問題や現実が明るみになって疲れてしまう。大人になることも相変わらず拒絶状態。
自分はどの部分で社会に貢献できるんだろうか。
やっぱり素敵な大人になって誰かを支えたいな。
これも模索だね。

現在、私は休学を決めてバランス確保の最優先にとりかかった。
内側と外側のバランス。
常に私はこれらと戦っています。

休学中はもっと色んな世界を見てみようと思うよ。
インドまで行ったから次はヨーロッパやアフリカかしら💓
それと、発信を頑張りたいんだ。

支えてくれる全てに感謝

きっと続く!!!
とりあえず終わり!!!
以上!!!!!

補足:おすすめ書籍

おすすめ本
私が言いたい世界観がはっきりしている

自閉症当事者のドナ・ウィリアムズが書いたこの本は本当におすすめ。
私は発達障害を診断されてはいないんだけど、世界観がちょっぴり共感できる。
ぜひ読んでみてくださいね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?