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寺山修司における【父の不在・母の呪縛】

寺山修司における【父の不在・母の呪縛】

年譜的な事実をいえば、警察官であった父・八郎は昭和二十年、寺山修司が九歳のときに戦病死している。母・ハツは昭和五十八年に寺山修司が四十七歳で死去したときも存命であり、告別式の喪主であった。(しかし「わたしは知らないよ。修ちゃんは死んでなんかいないよ!」と言って、出席していないという)。中学生のときに大叔父に預けられて以降、母とは離れて暮らす期間が長かった。

昭和二十九年、「短歌研究」主催の第

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岡井隆歌集『鵞卵亭』を読んで

岡井隆歌集『鵞卵亭』を読んで

『鵞卵亭』は一九七五年、岡井隆が四十七歳の年に刊行された。あとがきには「七○年と七五年の作品のアマルガムである。」とある。アマルガムとは合金のこと。一九七○年、九州へ移住して作歌を中断したあとの「再誕」(篠弘「再誕岡井隆論」)第一冊目の歌集といわれる。六つの章、137首から成り、「鵞卵亭日乗」以降の作品が「五年間の作歌の空白ののちに詠まれたもの」(篠弘、同前)ということだ。

「浪漫的断片」にみ

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ふくらむ時間(2003年)

ふくらむ時間(2003年)

 十六歳の時に短歌を作り始めてから十年間、ずっと新仮名遣いを用いていた。昨年八月に出版した第一歌集『草の栞』は、だからすべて新仮名遣いによる歌集である。意識的に選んだわけではなく、当初それが自分にとって自然だったからだ。古典の時間に習う歴史的仮名遣いが、自分を表現するのに都合の良いものとは思えなかった。
 ところがここ数年、しだいに新仮名遣いでの作歌に違和感を覚えるようになってきた。一年ほど前から

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「ただ行為の中にのみ」      ~大口玲子『自由』を読む〜

「ただ行為の中にのみ」      ~大口玲子『自由』を読む〜

はじめに

 大口玲子(一九六九~)は第三歌集『ひたかみ』(二○○五)刊行後カトリック教会に通い始め、二○○八年の復活前夜祭に受洗している。同年六月、長男を出産。第四歌集『トリサンナイタ』(二○一二)には妊娠出産、受洗、被災、避難、宮崎への定住という激動の六年間が綴られている。第五歌集『桜の木にのぼる人』(二○一五)は「東日本大震災後の世界を生きる」が大きなテーマになっている。第六歌集『ザ

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「たましひ」は何処へゆくのか~永井陽子の霊的世界

「たましひ」は何処へゆくのか~永井陽子の霊的世界

はじめに
永井陽子の作品世界は、異界や遠い過去と交感し、魂や心をみつめる豊かな霊的世界である。本稿では、永井の短歌に表現された霊的なるものの姿と行方を追ってみたい。
 
過去世への憧れ
 遠い過去への憧れは、まず第一作品集『葦牙』の次のような歌に現れる。

 続く『なよたけ拾遺』は、「竹取物語」と加藤道夫の戯曲「なよたけ」を下敷きにした歌集タイトルからもわかるように、全体が過去世を志向しているとい

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死の側から生を視るということ 〜『時禱集』と『景徳鎮』~

死の側から生を視るということ 〜『時禱集』と『景徳鎮』~

         
はじめに

『時禱集』は二○一七年二月に刊行された三枝浩樹(一九四六年~)の第六歌集である。
『景徳鎮』は二○一七年三月に刊行された大辻隆弘(一九六〇年~)の第八歌集である。
この二歌集はほぼ同時期に刊行され、「死」を扱った多くの歌が収録されていること、著者の職業(教員)などの共通項をもつ。(三枝は二○○九年退職)。
『時禱集』の集題はリルケの『時禱詩集』を意識したもの、『景徳

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「子の会 十周年ノ記」を読む

「子の会 十周年ノ記」を読む

「短歌人会」メンバー有志の勉強会の十周年記念誌。

○巻頭にゲストとして四名の編集委員の五首+エッセイ。それぞれに含蓄がある。

木香薔薇を昏く描く画家あらわれて背中をみせてゆめに絵を描く/内山晶太「沸点」

ぐいぐいと音はせずともぐいぐいとうごくモビールの下に人待つ/生沼義朗「方位」

バスで離れた駅の歯医者に削られて麻酔の口で徒歩でかえった/斉藤斎藤「じりじりと待つ」

土地褒めとしてのマラソ

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『真砂集』を読む

『真砂集』を読む

『真砂集』は1975年生まれ短歌アンソロジーとして2017年11月23日に発行された。参加者総勢22名。多士済々である。タイトルは笠郎女の〈八百日行く浜の真砂も我が恋にあにまさらじか沖つ島守〉から採ったという。

最初にそれぞれの作品12首とプロフィール。プロフィールの記し方にも個性があって面白いのだが、作品を見ていこう。

飯ヶ谷文子「帰る場所」

ただいまと言はれて帰る場所となる五月の木々が息

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添削について

添削について

添削を受けたことがなかった。高校時代に作歌をはじめ、大学入学と同時に短歌人に入会した後も誰にも直されることなく自分の表現を発表しつづけたことが、正解なのかどうかわからないまま、一度短歌から離れた。

短歌人に再入会する三年ほど前から、新聞の地域版の文芸欄に短歌の投稿をしていたのだが、これが(選者によっては)しばしば直されて掲載された。もちろん「良く」変わっているのだが、違和感は拭えない。「私の子じ

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『ぱらぷりゅい』を読む

『ぱらぷりゅい』を読む

『ぱらぷりゅい』は関西の女性歌人12人による同人誌。タイトルはフランス語で傘のことだという。

大きく三部の構成になっている。

「ぱらぷりゅい、詠む」ではメンバーの十二首とプロフィール。一人一首ずつを引く。

特急の通過したあと無事でいる人たちに降るこまやかな砂/岩尾淳子「あかるい耳」ヨーソロー!と大声だしてみたかった 泣き顔みたいな雲を見上げる/江戸雪「抱擁」彫ることのさなかに暗い砂が見え

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3番線快速電車が(一歌談欒)

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって(中澤系)

下がって

なーんで命令されなきゃならないのという気分になります。だからひっかかる。仮に「下がろう」と呼びかけてみると、ひっかかり感が減ります。

理解できない人は

これもね、失礼でしょ。人のできる、できないつまり能力を云々するのはね。「理解しかねる人は」だとどうでしょう。ひっかからなくなりますね。

通過します

これはいいです。

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九大短歌 第四号を読む

九大短歌 第四号を読む

「九大短歌」は九州大学短歌会の会誌。
大学短歌会の発行する冊子を読むのははじめて。
まず、太宰府の吟行録があり、楽しそうでうらやましい。
歌会録、連作と続くが、歌会にも出され連作でも掉尾を飾る作品に魅かれた。

主なき千度の春に削られて飛べない梅に触れる霧雨/松本里佳子「千度」は「ちたび」と読みたいし、そうだと思うがルビがあってもよいのではないか。

会員作品

原因は二つじゃなかったのだろう

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「66」を読む

「66」を読む

「66」はおおむね40代の女性歌人グループ「ロクロクの会」結成一周年(2016年6月)を機にまとめられることになったという同人誌。

●まず、12人のメンバーの十五首詠が並ぶ。二首ずつ引いて、感想を。

ルリヤナギの細枝をすべり台にして遊ぶときけり晩夏のシジフカラ見たくなければ柱を立てる人間のこころか卓上の電気ポットは/浦河奈々「晩夏」四十雀を優しく詠んで魅力的な一首め。二首め、卓上の電気ポットを

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この森とは何処か #一歌談欒 3

この森とは何処か #一歌談欒 3

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい/笹井宏之『ひとさらい』

大辻隆弘は評論集『近代短歌の範型』所収の〈三つの「私」〉という文章の中でこの作品ともう一首木下龍也の歌を挙げ、次のように述べている。

〈これらの歌を読むとき、読者は「作中主体」の奇矯な発言や特異な行動に心奪われる。彼らにとっては、一首の歌を詠んだ刹那に感じる衝撃力だけが重要であり、「私像」や「作者」には興味

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