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「66」を読む

「66」はおおむね40代の女性歌人グループ「ロクロクの会」結成一周年(2016年6月)を機にまとめられることになったという同人誌。

●まず、12人のメンバーの十五首詠が並ぶ。二首ずつ引いて、感想を。

ルリヤナギの細枝をすべり台にして遊ぶときけり晩夏のシジフカラ

見たくなければ柱を立てる人間のこころか卓上の電気ポットは

/浦河奈々「晩夏」

四十雀を優しく詠んで魅力的な一首め。二首め、卓上の電気ポットをこのように捉えた歌がかつてあったろうか。一連に詠まれた「巣立ちたる子」「老い父」「夫」という家族との関係性の中にひそむ何気ない陰を思わされひやりとする。

ひとひらの雲ふたひらとなるまでに茜色滲む夕空となる

婚解きしこと語り終え白ワインボトル二本を友と空けたり

/遠藤由季「紺のベスト」

一首めにみられるような丁寧な描写が随所にひかる一連であるから、二首めで「婚解きし」主体が、「友」なのか友とワインを飲んだ作中主体なのか、その両方なのか曖昧なのも計算であろうと思った。「白ワインボトル二本」が効いている。

父母を潤す雨になるからと給与より差し引かれて雲へ

底知れぬ森に時折見失ふ夫はけふも裸足のままで

/岸野亜紗子「筐体」

一首めは年金のことだろうと思った。全体の喩が巧みで、特に「雲へ」が秀逸と思った。二首めは夢の中の光景の様にも、日常の中でふと感じる心象風景のようにも読めて興味深く、「裸足」が面白い。

マタニティマークを揺らす早足のひとに抜かれし坂の途中に

降りなずむ金木犀のわが髪を飾れよいつか逢うひとのため

/後藤由紀恵「地に種を」

一連を通して読むと、婚姻を解消した経験が濃く影を落としているようである。一首め、主体が感じているかすかな違和感、痛みのようなものが伝わってくる。二首めからは控えめだがたしかな希望が感じとられる。

「ゆとり」と呼ばれた日にはカレーを煮る、と言う若いあなたの底深き鍋

怒ることにも哀しむことにもやがて倦む財布の鈴をちりちり鳴らし

/齋藤芳生「天心」

「われ」よりも他者を詠んで優しく、ときに鋭い眼差しがひかる一連。一首めは「ゆとり世代」の若者へ向けた視線が優しい。一連の最後に福島の歌がまとめて置かれ、作者が福島出身であることを考えると、二首めは震災や原発事故を忘れようとしている日本人への批判ともとれる。

桐の実のたかく響りたる夕べありをさなごはいふその夕のこと

この人の母韻をながく引く癖をゆふぐれを飛ぶ黄蜂と思ふ

/高木佳子「銀芒」

繊細で気品のある一連。一首め、「桐の実」が懐かしく「夕べ」「夕」のリフレインがゆかしい。二首めは、黄蜂の羽音を長く引かれた母韻に喩えているのだろうか。ただただ美しい。

生きていることの余白として今日の昼のメニューはかけうどんとす

そんなにもかなしくはない生ぬるいビールの泡を唇につけ

/鶴田伊津「どんぐりたち」

「かけうどん」「生ぬるいビール」という即物的な言葉が、みごとに抒情していて魅かれた。並んでおかれているから、もしかしてかけうどんを食べながらビールを飲んでいるのか。昼食のかけうどんはいかにも「人生の余白」という感じがするし、生ぬるいビールは、すこし哀しい。

性別は思想をこえて憎まれてヒラリーの画像にWW(わらい)付けらる

遠浅のなぎさをくらく大潮が満ちくるごとし古歌の別離は

/富田睦子

インターネット上の現象をうまく切り取って、或る息苦しさ、抑えた怒りを表現した一首め。二首めの長い直喩はまるで序詞のようで、この歌自体が古歌の風格があり、いにしえの別離の歌の魅力を十全に伝えてくる。

胸底に舟をいくつも沈ませて四十代の夕なぎにいる

半透明の袋の底にもう履かぬ細きヒールのラメはひかれり

/錦見映理子「まぼろしの舟」

一首めの「舟」は終わらせた恋のことだろうか、断念した夢のことだろうか。切なくも美しい歌。二首めの「袋」はごみ袋か。ここにも断念がある。アイテムがお洒落なだけに痛みも際立つ。

動物性の餌あたえねば共喰いをするという虫のほそき顎

長月の長雨のはざま庭なかの何処とも知れぬ鈴の音を聞く

/沼尻つた子「脚の一本」

書店の景品として入手したスズムシのつがいの飼育と、雌を失い雄を外に放つまでの顛末が詠まれた一連。虫の世界の残酷な一面を淡々と歌う一首めと、一連の最後に置かれ、しみじみとした情緒のある二首めを引いた。

このような文字書いていし友もあり色つきのペン今でも好む

おしゃれして歩いた街は遠くなる遠くてそこで輝いている

/山内頌子「半透明の馬」

一首め「色つきのペン」というところから「このような文字」とは色つきペンを好む少女らしい字であろうかと想像させられる。二首めも回顧の歌だが、口語の少し幼いともとれる口調が内容とよく合っていて気持ちがいいと思った。

わが神は薄紫の鉄耀を四肢へ施す創造の日に

囂囂と嘶く夢魔に振り向かず 進む、旋律 崩れゆく塔

/玲はる名「萬骨枯」

引用はしなかったが化学式等も駆使した綺羅綺羅しい一連。意味内容を読み取れている自信はないが、視覚的にも韻律的にも強烈に訴えかけてくる作品群に圧倒された。


●続いて「66の座談会」近現代の女性歌人の歌を読む! である。

11人のメンバーが一首ずつ持ち寄って読みあったという。取り上げられた歌と、特に印象的だった発言を引く。

晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて

/葛原妙子『葡萄木立』(富田睦子選)

心情に重きを置いて読める歌で、キリスト教だけではない、宗教的なものを感じさせますね。(山内)

海境(うなざか)に夕べの雲の畳はりまつろはざりし神ぞ親しき

/三國玲子『蓮歩』(岸野亜紗子選)

……何か鬱屈した現実に抵抗していくような魂の反逆性があったのではないか……(浦河)

ときをりは無菌室より取りだしてたしかめてみるわれのたましひ

/大村陽子『砂がこぼれて』(鶴田伊津選)

自分の魂を確かめるということは、自分を信じていないということだと思う。でも確かめずにいられない。その淋しくて虚しい行為が痛々しい。(後藤)

膝くらくたっている今あとなにを失えばいい ゆりの木を抱く

/江戸雪『百合オイル』(山内頌子選)

大阪の悲しい可笑しみと、フランスのアンニュイさというところが江戸さんの中でかなりミックスされて。それがバランスよく作品に反映されているのだろうなと。(山内)

けざやかに菜の花燃やすこの夕焼ならおそらくは死とつりあへる

/笹原玉子『われらみな神話の住人』(物部鳥奈選)

*物部鳥奈は玲はる名の別名義

この死というものは現実的なものではなく私のなかにあるもの。「つりあえる」って言葉が出てくるのはだからそこなんじゃないかな。(鶴田)

投げられしナイフを避(よ)けて踊りゐし未生のわれの髪繊(ほそ)かりき

/水原紫苑『くわんおん』(浦河奈々選)

暗闇の中にそこだけスポットライトが当たっているような描写によって、何か断片的な記憶の一つとしてこの情景があるという印象を受けました。(岸野)

雪まみれの頭をふってきみはもう絶対泣かない機械となりぬ

/飯田有子『林檎貫通式』(錦見映理子選)

「きみ」は女友達のような近しい女性で、何かがその身にふりかかった後に、もう私は泣かないんだと決めて心を機械にまでしてしまった人なのだと思います。(錦見)

喪へる時間を悔ゆることなくて海香る鰺を真剣に裂く

/尾崎左永子『青孔雀』(遠藤由季選)

「悔ゆることはなし」と言い切ってしまってもいいのに、「悔ゆることなくて」と表現するということは迷いが少しあるのかな。「喪われた時間」にも気持ちの揺らぎはあると思うし、それがこの歌の魅力だと思います。(富田)

君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている

/大森静佳『てのひらを燃やす』(沼尻つた子選)

誰が見たかはわからないが、肉体は消失しても魂は生きていることを詩の言葉としてふわっと表現するところに作者のやりたいことの本質があるのかな。世界をふわっと立体的に見せている。(遠藤)

はしり梅雨睫毛に水をあつめては乾きいやしぬ草としてわれ

/尾﨑朗子『タイガーリリー』(齋藤芳生選)

「はしり梅雨」の頃の、本格的でない雨季の前の空気に含まれている水を「睫毛にあつめる」という、身体感覚の繊細さを感じます。(錦見)

ほほえみは中空に浮く校門を過ぐる無言のマスク百枚

/広坂早苗『未明の窓』

教職で大変苦労されているという知識がなかったら、とてもシュールな歌に読めました。半笑いの唇が青空に浮かぶマグリットのような絵が想起され、その下を大量の白いマスクがびゃーっと校門を過ぎてゆく場面が見える。(沼尻)


●座談会録の途中に、歌会記録が収録されている。2015年6月6日~2016年5月7日分まで。ほぼ毎月一回、11回分の題詠の詠草であり、ここも読み応えがある。

●また、十五首詠にはそれぞれの「好きなお菓子」という短文が添えられており、お腹がすく。鶴田伊津さんが挙げておられる鈴焼という和歌山のお菓子を私は食べたことがあるような気がするのだが、簡単には出会えなそうなのに、いつ、どこでいただいたのか、謎である。

●以上、長くなってしまったが、メンバーと同世代ということもあり、のめり込んで読んでしまった。



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