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「ただ行為の中にのみ」      ~大口玲子『自由』を読む〜

    はじめに

 大口玲子(一九六九~)は第三歌集『ひたかみ』(二○○五)刊行後カトリック教会に通い始め、二○○八年の復活前夜祭に受洗している。同年六月、長男を出産。第四歌集『トリサンナイタ』(二○一二)には妊娠出産、受洗、被災、避難、宮崎への定住という激動の六年間が綴られている。第五歌集『桜の木にのぼる人』(二○一五)は「東日本大震災後の世界を生きる」が大きなテーマになっている。第六歌集『ザベリオ』(二○一九)では、天を思いながらも地上での善を希求する祈りと実践、わが子とのかかわりが多く詠まれている。
 『ザベリオ』のあとがきは、潜伏キリシタンの信仰について触れたのち、「自分が選んだこよみに拠って自由な心で生きた彼らと同じ心を、私もまた生きたいと願いつつ。」と結ばれている。
 そして二○二○年に刊行された第七歌集のタイトルが『自由』である。大口の中で、自由に対する思索が深まった証であろう。
 本稿では、大口にとって自由とは何なのか、歌集『自由』の作品を中心に考えていきたい。

不登校


 まず「自由」と題された一連をみていこう。大口の子が図書室登校を経て完全に学校へ行かなくなった出来事を中心にして編まれている。

①学校には自由がないと子が言へり卵かけご飯かきまぜながら
②学校に行かなくてもよいが勉強はすべしと思ふ 自由のために
③生きのびる自由を捨てて餓死刑を選びしコルベ神父の自由
④学校へ行かない自由に揺れてをり川辺に群るる菜の花の黄(きい)

 ①で「学校には自由がない」と子が言ったとき、それはおそらく「自分の思うままに過ごせない」に近い意味で、表面的で狭い意味の自由のことを指していたのであろう。しかし短歌でこのように詠むとき、大口の耳はもっと広い意味での「学校」と「自由」との対立をとらえていたと思われる。子に限らず学校に関わるすべての大人たち子どもたちに「(思想と行動の)自由がない」とこの歌は訴えているようだ。そして大口の目は、その言葉を口にする子の姿をあやまたず映しだす。「卵かけご飯かきまぜながら」とは気楽そうにも思われるが、その動作をするとき、視線は伏せられていたはずである。
 ②では母としての子への望みを詠んでいる。学校には行かなくてもよい、しかし自ら考え、行動する「自由」を獲得するためには広い知識と鍛えられた思考力が必要だ、だから勉強はするべきだという思い。義務を逃れて遊んでいるだけでは真の「自由」には到達できないのだという意識の深さが、「自由のために」の前にある深呼吸のような一字あけに表現されている。 
 ③に詠まれているコルベ神父(一八九四~一九四一)は、第二次大戦下、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所で、逃亡者が出たため見せしめに死刑宣告された妻子ある男性の身代わりに立候補し、水も食料も与えられない餓死室に入れられた(餓死せず十四日後に毒殺された)人物である。歌意は、コルベ神父が「自由」であったということに尽きる。生きのびることもできた、それも自由だったが、あえて「友のために自分の命を捨てる」(新約聖書ヨハネによる福音書十五章より)ことを選んだその自由意志を思っている。
 ①~③は連続して置かれている歌だが、「自由」という観念が一首ごとに次第に深まっていることに注目したい。
 ④は①~③から少し離れて、連作の終盤に置かれている。ここでは②での「学校に行かなくてもよい」という言い切りや③での突き詰めた思索はそれとして、やはり揺れる思いというものが繊細に歌われている。「菜の花の黄」に仮託されているのは大口、子、そして学校やそれを支える体制そのものであろう。

裁判

 「椿の夜に」という一連がある。国と九州電力を被告とした裁判に原子力発電所反対の立場から原告として臨んだことを扱っているようだ。

⑤三号機増設計画進みをりつばきさざんくわひらくこの世に
⑥鳥も歌人も居ない真昼の法廷に『鳥の見しもの』の一首読み上ぐ
⑦もうみんなわかつたはずの本当は「あり得ることは、起こる」といふこと
⑧にんげんがメモをとりつつ聞くべきは椿の陳述 椿の夜に


 ⑤は、植物らが育ち花ひらく世にとって異物としての原子力発電所を喚起力豊かに詠んでいる。(具体的にはおそらく九州電力川内原子力発電所の三号機増設計画を指していると思われる)。
 ⑥には孤立感とともに連帯感が詠まれている。『鳥の見しもの』は原子力発電所反対の活動にも参加している吉川宏志の歌集。鳥も歌人も居ない法廷で、なお大口は歌人として、そして鳥のような自然界の生き物の一員として立つのだ。
 ⑦では、福島第一原子力発電所の事故のとき東北にあった自身の経験から来る考えを簡潔に示している。
 ⑧は、椿、つまり自然界の声を謙虚に聞く姿勢を人間に求めている歌であろう。それは、この一連全体に通奏低音のように響いているテーマでもある。

面会

 「黒き桜」という一連は、死刑判決を受けた人に面会した経験を詠んでいる。司祭とともに大阪拘置所を訪れ、主の祈りや聖フランシスコの平和の祈りを祈ったり聖書の差し入れがあったりするところから、カトリック信徒としての行動であることがわかる。

⑨殺された子どもがうちの子だつたらとアクリル板を隔てて思ふ
⑩「牢に居たときに訪ねてくれたから」酢のごとくしみてイエスの言葉
⑪殺すには理由のありてこの国の制度がさらに殺す ひとりを

 ⑨は非常に重い問いの歌。面会している相手は子どもを殺害した罪に問われている。その子どもが、自分の子どもだったとしたら。許すことができるかどうか、というような論理的・倫理的な問いではないだろう。それも含むかもしれないが、もっと生々しい心の揺れを感じさせる歌である。同じ問いが一連中に「殺された子どもがわが子だつたらと思ひ迷ひて選ぶカステラ」「(被害者や遺族の身になれば死刑は当然だという声)殺された子どもがわが子だつたらと幾たびも思ひ帰路にも思ふ」※()内は詞書。と、三度繰り返されている。
 ⑩の上の句は、新約聖書マタイによる福音書の次の箇所から引かれている。
「……『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ』……『はっきり言っておく。わたしの兄弟である最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」
 しかし、神の祝福を受ける行動をしているという誇らしさのようなものはこの歌からは感じられない。イエスの言葉が「酢のごとく」しみるというのはどういうことなのだろうか。それは、続く歌の「(群衆は叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」)牢に居るイエスを訪ね十字架のイエスを殺す偽善者われは」に見られる自らへの厳しいまなざしからくる苦い実感なのではないだろうか。⑨の歌をめぐって見てきたように、大口の中にも確かにある処罰感情なども、詞書にある群衆の言葉に響いていると思われる。
 右のように、愚直に丁寧に心の奥を探りながら詠まれているからこそ、一連の最後の一首である⑪が、死刑制度への批判を歌いながらも単なるスローガンに終わっていない。

  おわりに


 あとがきに大口は、
「反ナチ抵抗運動のメンバーとしてヒトラー暗殺計画にも関わったボンヘッファーが、逮捕され、刑務所や地下牢や強制収容所での生活をしいられながらなお自由であり続けたこと、その苦しみと喜びに思いをめぐらせつつ、「自由」というタイトルを選びました。」
 と綴っている。
 ドイツの神学者、ディートリヒ・ボンヘッファー(一九○六~一九四五)の絞首台で処刑されるまでの生涯と思想について、私も読んでみた。大口があとがきで一部を引用している「自由への途上における宿駅」は、反乱計画が失敗したというニュースを受けとったときに、自分の生涯を総括するように書き上げた詩だという。引用されているのは次の部分。

 「己が好みのままではなく、あえて正義を行ない、
 さまざまの可能性の中に動揺するのではなく、現実的なものを大胆に掴みとれ。
 観念の世界への逃避ではなく、ただ行為の中にのみ自由はある。」
 大口が裁判や面会活動などを行い、それを短歌にする動機は、ボンヘッファーやコルベ神父の生き方に通じているのではないだろうか。それは、自分自身のためだけに生きるのではなく、世界を良くしようという働きに、ときに己の好悪を超えて携わろうとする態度である。
 そして私は、新約聖書コリントへの信徒への手紙一 九章にみられるパウロの言葉「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての者の奴隷となりました。」に集約されている「キリスト者の自由」をも思い起こす。
 大口玲子は、行動する。歌人として、キリスト者として、人として、「ほかの人々のために自分自身から自由になる」(ボンヘッファー)ことを希求して。
 その苦闘の軌跡が刻まれているのが、歌集『自由』なのである。

参考文献
『コルベ神父 優しさと強さと』早乙女勝元(草の根出版会)
『ボンヘッファーを読む 反ナチ抵抗者の生涯と思想』宮田光雄(岩波書店)
『新共同訳 聖書』(日本聖書協会)

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